9月12日 営業担当者の雑記

この土曜日庭の梅の木の下に虫のフンらしきものが大量に散らばっており、見上げると枝に5,6cmほどの毛虫があっちにもこっちにもいます。しかも場所に依っては葉が全くありません。事は一大事万難を排し毛虫退治です。取り敢えずBBQで使うような大きな挟みで一匹一匹捕まえようと梯子を立て懸け登ったら木にぶつかってしまいました。すると何たることかバラバラバラと毛虫の大群が落ちてきました。敵の過失をこれ幸いに一網打尽、ビニールの袋に入れ踏みつぶしました。何回か木を揺さぶり同じように処分しさらに目視でまだ残っているものを捕まえ、最後は防毒マスクをし市販の薬を万遍なく撒き敵をせん滅したところで今回の作戦は終了。しかしながらこの毛虫あっという間に大量発生します、時々木をチェックしているのですが本当に10日、2週間であっという間に広がってしまいます。彼等も子孫を残す為に必死なのでしょうが葉を食い荒らされますと翌年の花が心配ですので彼らの絶滅作戦を敢行した次第です。

9月9日 営業担当者の雑記

プロ野球広島カープが25年ぶりのセリーグ優勝にマジック1となりました。といっても私はここ二十年位とんとプロ野球には興味がなく広島カープで知っているのは山本浩二、衣笠幸男の頃でもう一世代前です。前回優勝は監督が山本浩二で選手では当たってもないのに大げさにデッドボールをアピールするのが上手だった達川選手、ハンサムな川口、北別府投手位しか覚えていませんが、ずっと弱小球団で基本的には貧乏な市民球団の為選手の補強もままならず住民のカンパで何とか看板変えせずにやってきた事くらいは知っています。お金持ちで次々に有名選手を入団させ優勝するのが当たり前といった球団もいいのですが、広島のように苦節二十年というのはその嬉しさは格別でしょう。地元と言えば今は亡き「西鉄ライオンズ」が優勝した時町をオープンカーでパレードしたのを見た記憶があるといったら女房に感心(?)されました。あまりにも昔のことなのでもしかしたら実体験ではなく夢かもしれないのですが。

9月8日 営業担当者の雑記

久しぶりにクリント・イーストウッドの新作が来ます。邦題は「ハドソン川の奇跡」。7年前離陸直後鳥がエンジンに飛び込み制御不能に陥った旅客機を機長の判断でハドソン川に不時着水させ、155人全員の命を救ったという話が原作です。クリントは映画制作の動機を「ただ単にすごくいいストーリーだから。それに私自身も飛行機で着水した経験があり、気持ちがわかったから」という。実はこの話当時世間では美談として沸く裏で機長は「判断は本当に正しかったのか、空港に引き返すことは出来なかったのか」と事故調査委員会から疑われ事情聴取を受けた。しかし検証の結果エンジンの再始動をすると引き返すには時間が足りず、機長の判断は市街地に墜落して大惨事を引き起こす可能性から救ったことが実証されその名誉は回復された。機長をトム・ハンンクスが演じる。24日公開が楽しみ。その昔マカロニウエスタンの看板俳優として我々の英雄だったクリント、さらに映画監督として大活躍のクリント、86歳、まだまだ健在ですね。

4月22日 営業担当者の雑記

昨日テレビを見ていた女房が「今野菜が高いのだけどしばらく続くらしいわよ」と言っていました。農畜産業振興機構の発表によるとこの春は異常な雨続き日照時間不足で関東でも日照時間は例年の半分くらいだとか。この為農作物に深刻な影響が出ており葉物野菜を中心にさまざまな野菜が値上がりしているとの事。都内のあるスーパーでは4月初めに198円だったナスが先週298円に値上がりした。ところが仕入れ値は500円なのであまりの高騰に原価割れの売価を出したのだとか。スーパーも大変でしょうが野菜好きの我が家では大困りです。さらに雨続きの為ハチが飛ばないので受粉が出来ずトマトの生育にも影響が出ているのだとか。旬の野菜はどれもみな美味しく栄養があり我が家では本当によく食卓に上ります。女房の腕の見せ所もないほどの値上がりのようなのでちょっと寂しくなりますね。

11月27日 営業担当者の雑記

先日鎌倉に紅葉を見に行ったのですが、その折に水仙が咲いているのを見つけました。本等に依ると12月ー4月が花の時期となっていますので少々早いのかもしれません。この花が数輪だけ咲いているのもちょっと寂しい気もします。実は私の家の水仙はもう2週間前からかなり葉を伸ばしています。去年株分けをしたのでこじんまりと塊にはなっているのですがこの我が家の水仙は毎年「葉」だけなんです。葉はしっかりと伸びすでに30cmくらいにもなっているのですがまったく花芽が見えません。可憐な黄色い花と緑の葉が春の浅い時期とても愛らしいというのが私のイメージで去年は伊豆下田まで自然の水仙を見に行きました。紺碧の海、小島、灯台、広がる草原の中に群生する水仙に痛く感激したものです。それなのに家の葉だけの水仙にはどうにも風情がありません。そのうち近所の野良猫がニラと間違えて食べてしまうのではないかと心配しています。何とか今回は花が咲きますように。

9月7日 営業担当者の雑記

読売新聞朝刊に「四季」という欄があります。今日は高橋順子さんの「山なりに蝶のゆくなり母の里」でした。この欄に詩歌を選び其れに寄せた文章を書いている俳人長谷川櫂氏はいいます。自分の故郷ではなく「母の里」それは人の話や思い出でできた別の天地であると。私の母の里は住んでいた所からJRで一駅、歩きもいれて小一時間ほどでしたが周りは畑があり小川がありとても行くのが楽しみでした。母は父と喧嘩をしたと言っては出かけ祖母の顔を見たいと言っては私を連れて出しました。母親に手を引かれ駅からバアチャンの家までの道中は歌の好きな母親と一緒に大きな声で歌いながら行きました。バアチャンの家には隣に住んでいたいとこが生まれたお祝に桃の木が植わっていました。今の時期はトンボを追いかけ井戸で冷したスイカを食べました。もう祖母も母も亡くなりかの地がどうなっているのか桃の木は残っているのか全く分かりませんが時にふと思い出す場所です。

9月6日 営業担当者の雑記

今回の台風10号は北海道にとんでもない被害をもたらしました。TVによると道央というのでしょうか十勝、富良野、上川地方が特に酷いようです。「北の国から」「風のガーデン」の舞台にもなった富良野の景色はそしてそこに住む人達は大丈夫なのでしょうか。農作物が壊滅的な被害を受け全国一位の収穫量を誇るたまねぎを始め、ジャガイモ、スウィートコーン、とうもろこしなどこれからシーズンを迎える作物がまったくダメになったようです。その為ポテトチップスの工場を持っているカルビー、湖池屋は製品供給が出来ないとか新製品の発売を延期するとかあるいはスィートコーンのメーカーは原料が確保出来ないなど大変なことになっているようです。もともとあまり台風とは縁が少ない地方だけに河川の堤防だとか崖への対策があまりなされていなかったかもしれません。さらに住民の人たちも台風の怖さをあまり実感していず避難が遅れたのかもしれません。何とか寒くなる前までに復旧の目鼻が立つといいのですが。

9月5日 営業担当者の雑記

我が家の萩が大分開いてきました。万葉の時代から萩は非常に人気がある花のようでして山上憶良は「萩の花尾花葛花なでしこの花をみなえしまた藤袴朝顔の花」と歌っています。ここでいう朝顔はききょうともむくげとも言われていますが他は今の花と同じようです。萩の花はその花の色形から何となく可憐だとか、ひっそりだとか大人しいイメージがありませんか?私が勝手にそう感じているだけかもしれませんが。実際は大違いですよね。我が家のは一本しか植えていないのに根は増え上にも横にも物凄い勢いで伸びています。少し位乱暴に切っても一向に堪える気配はありません。今年の春もしっかり咲いたのですがまた元気に赤紫色の花が付き始めました。芭蕉の句に「ひとつ家に遊女も寝たり萩の花」となんとも色っぽい句がありますが一般的な山萩だとすれば少々お年を召した方あるいは柳腰というよりはぽっちゃりぎみの女性なのかもしれません。いずれにしても芭蕉の虚の話ではありますが。

9月2日 営業担当者の雑記

先日写真展「星野道夫の旅」を見に行きました。星野道夫は学生時代に出会った一枚の小さな北極圏エスキモーの空撮写真に心を奪われ宛先を「The MAYOR」とだけ書いた手紙からその人生が始まります。星野道夫はいいます「時々、遠くを見ること。それは現実の中で、悠久なるものとの出会いを与えてくれる。」と。カリブーの季節大移動を追いかけエスキモーとクジラを待った彼は生物が生きていくということは誰を犠牲にして生きのびるのかという終わりのない選択である。近代社会の中では見えにくいその約束を狩猟民はもっともストレートに受け止めている。だからこそ動物たちに対する償いと儀式を通しその霊をなぐさめいつかまた戻ってきてふたたび犠牲になってくれることを祈るのだと言う。その彼は20年前カムチャッカ半島の湖畔でヒグマと遭遇し逝ってしまいました。命あるものに対する敬虔で愛情に満ち溢れた動物たちの写真、風景は一度見たら忘れられないものになるでしょう。5日まで銀座松屋で。

9月1日 営業担当者の雑記

今日は防災の日です。1923年9月1日正午前突如関東地方を襲った大地震。私はかつてバアサマから関東大震災について聞いたことがあります。浅草の12階が崩壊したこと、発生した大火災の為リヤカーに荷物を積んだ人たちが逃げ回っていたこと、流言飛語で大勢の朝鮮の方が殺されたことなどなど。「死ぬる子を箱にをさめて親の名をねんごろに書きて路に棄ててあり:窪田空穂」多分この世のものとは思えない地獄絵だったのでしょう。先般の「風立ちぬ」にも主人公20歳くらいの頃体験した大震災の様子が出てきました。そして2011年3月11日の東北大震災。そのたびに大勢の人の命が奪われ空穂が歌ったような状況が生まれました。一度しかない命が何とも無残に奪われそしてたった一人になった子供達、妻子を亡くし抜け殻になった男たちがいました。本当にやり切れない気持で一杯ですが自然は到底人智の及ばない力で猛威を振います。先人に学び少しでも被害を少なくしたいものです。