2月9日 営業担当者の雑記

今朝は結構寒かったですね。家を出る時は車も屋根も畑もみんな真っ白でした。近所の車通勤のお宅はだいぶ前からエンジンを掛け暖気しフロントガラスの氷を溶かしていました。ところでこのところ気になる花が我が住宅街の一角に咲いています。花の形からすると福寿草だと思うのですが花が結構大きいのです。私には鎌倉宝戒寺で見た小さく可愛い花のイメージがあるので少々戸惑っています。福寿草の花の時期がお正月だと言うのは旧暦の話ということで今からが本番のようですが、花びらが艶々しており色がとても鮮やかです。ポツンポツンと植わっているのですが枯れ草の中あんなに派手な色の草花は珍しいのでとても目立ちます。今日の昼間は13,4度くらいまで気温が上がるとのことで寒暖の差が相当に激しい一日になりそうです。インフルエンザが流行りつつあるとのこと体調管理に気をつけましょう。

2月8日 営業担当者の雑記

昨日の夜7時半頃茨城県南部を震源地とする地震がありました。私は丁度テレビを観ていたのですが最初にドンと沈み込む感じがありまもなく横揺れが始まりました。10秒かそこらだったのでしょうが「ヤバツ!」と思いました。最初の揺れと次の揺れの間隔が非常に短かかったので震源地は結構近いなと感じました。一瞬立ちあがり食器棚の方を見ましたが何事もなく収まりました。後で報道を見ると私が住んでいるところは震度2で数字的には大したことはないのでしょうが結構びっくりしました。女房と東北大震災の時の話題になり、あのときは驚いたな、販売店に行っていたのだがチラシを新聞に折り込む機械が大揺れに揺れテーブルの上のチラシなど紙類が散乱し女性陣は机の下にもぐりこみ泣いている人もいたなどと話したのですがやっぱり地震は小さくても怖いですね。因みに松戸は震度3でしたね。

2月5日 営業担当者の雑記

昨晩テレビで「ダイヤモンド富士」が神宮外苑から見えたと報じていました。確かに東京には富士に名が付く地名は沢山ありますよね。私の婆様の出身地も埼玉県入間郡富士見村だったのを覚えています。どもどうして今頃と思っていましたが旧国立競技場が取り壊されポカっと西に向かって空間が広がっているのですね。昨日は富士山に向かって左側に夕日がある即ち左ダイヤでしたがテッペン、コロコロど移って行くのですね。シルエットの富士山と大きく真っ赤な太陽そして暮れていき夕やみに包まれる。やっぱり富士さんは只者ではないですね。千葉でも今月19日から21日にかけて幕張の浜から見えるようなので是非とも時間を調整してシャッターチャンスを狙いたいものです。今年はチャリで何回も幕張の浜には行っているのですがどうも富士山ははっきりとは見えません。当日は晴れた空気が澄んだ天気になってほしいものです。

2月4日 営業担当者の雑記

今朝新聞を取りに行きいつものように木ゞにご挨拶をしましたら、一輪梅が咲いているのを見つけました。まだ日が昇る前なのでよくは見えなかったのですが小さな花びらが確かに開いています。このところいくつかかなりつぼみが膨らんでいるのがあったのでもう直かなとは思っていたのですが。私は最近どちらかというと桜より梅の方が好みです。勿論爛漫の桜もいいのですが早春まだ寒い頃そしてようやく空気が和らぎ始めたかなという時期どこからともなく漂ってくる香りは何とも雅です。かの菅原道真公は大宰府で梅の香りに望郷の念を掻き立てられて「東風吹かば」と歌いましたが「月の輝くは晴れたる雪の如し 梅花は照れる星に似たり」と梅を賛美した漢詩も作っています。当時は「花」といえば梅を指していたようで派手さより清楚、気品の方が好まれたのですね。ところでこれ道真公10歳頃の作品だとか。時代が違うとはいえ何たる早熟。

2月3日 営業担当者の雑記

「使わざる部屋も灯して豆を撒く:馬場移公子」2月3日今日は節分です。昨年の春年の離れた末っ子が一人暮らしを始めたので子供達は全員いなくなりました。そういえば義母は娘(家内のこと)が東京に出てきた時寂しくて落ち込み妻は2年ほどで故郷に帰ったと聞きます。娘が住んでいるのが埼玉だということもまた昨今はスマホで何時でも連絡が取れるからなのでしょうか妻はそんなに寂しがっている様子はありません。去年は子供たちがいない、正確に言うと物置になっている部屋それぞれでいつものように「福は内、福は内」と福だけを呼び込みました。今は年の数だけ食べると大変なことになってしまうので10歳で一つということにしていますがそれを家の中では後で拾いやすいようにじんわりと撒きます。子供たちが小さい頃は皆で大騒動しながら数が多いの少ないのと喧嘩しながらの豆撒きでしたが今は古女房と二人だけですので声だけでもと気勢をあげています。

 

2月2日 営業担当者の雑記

先日日経に慶大教授土居丈朗氏が「機械と競争」の表題で面白い記事を書いていました。第四次産業革命による時代の変化は加速こそすれ後戻りすることはない。人工知能やロボットによる自動化は働く者がもつスキルを急速に陳腐化させる。オックスフォード大のM・オズボーン氏などによると10~20年以内に日本における現在の仕事の49%が自動化可能という。スマートマシンの大量出現で所得格差が深刻化、労働需要が減少するといった懸念が出よう。それへの対処は即ち、自分の持つスキルが陳腐化しないよう不断の努力が必要とか、数学的な論理が大切とかいった意見の中で、新時代を生き抜く為には自然科学だけの知識だけでなく何が自分と人間社会にとって価値あるものなのかを検討し「権威」に依拠しない自分の考えを正確に豊かに語る能力、説得力のある文章を書く力を養う事が、これからの大学の教養教育で不可欠と青学大猪木武徳特任教授は説く。スマートマシンでは未だ及ばない統合的見地とその的確な表現が求められるとうことだと解釈したが。

2月1日 営業担当者の雑記

あっという間に1月が終わりました。営業成績の方はボチボチでんな。昨日いつものように地元花見川周辺を散歩していましたらあるお宅の庭で寒木瓜発見。この時期に明るい色の花は珍しいのでとても目立ちます。すくっと伸びた枝に薄赤の花が沢山ついています。またこの家は白梅がもうほとんど満開です。よほど日当たりがいいのでしょうか。路地からは少々遠いので香りまでは届きませんでしたがここまで飛ばしてきた体が急に軽くなったように感じました。さて家に帰りつくと雪柳が2輪咲いているのを発見。小さな花ですが一番星ならぬ一番花が枯れ枝の中で開いています。他はまだ咲きそうにないのでかなりのフライイングのようです。月が明けたからと言って急に季節が変わるわけでもないし寒さは愈々本番なのに何となくそこここに春の兆しが見え始めました。

1月29日 営業担当者の雑記

昨日福岡に住んでいる知人から氷爆の便りが届きました。福岡県宇美町にある「難所ガ滝」というところです。知る人ぞ知る場所らしく学生時代からヒマラヤ登山でならしてきたこの彼も先日の寒波襲来のときに出かけてきたとの事。仏頂山(868m)、宝満山(829m)といった山の途中のようです。タクシーも積雪の為途中までしか行けず山の入口までも随分歩いたようです。私は山の装備には全く不案内なのでそのまま書きますが軽アイゼン6本爪を用意して登ったとのこと。段々雪が深くなり稜線付近では50cmくらいあったようです。目的の「難所ガ滝」は少しガスが掛かりいい写真が取れなかったと言っていますが何の何の、私には福岡市近郊のそれも標高4,5百mのところで氷爆が見られるとは夢にも思わず大感激です。実は十数年前袋田の滝で生まれて初めて氷爆を体験して以来数年おきに見に行っており今年もボチボチかなと思っていた矢先にこのニュースです。夫婦とも福岡出身ですがこの「氷爆」のことは全く知らず昨日はこの話で大いに盛り上がりました。

1月28日 営業担当者の雑記

非常に珍しい事件だから新聞始めマスコミが取り上げているのだろうと信じたいニュースがありました。都内に住む3歳の男の子が母親と同居している男性からいじめ殺されたというのです。報道によるとその男は暴力団員で195cm、120kgという大男。それが3歳の子供が「眼付けた」ので1時間半も殴ったり頭をけったりして殺したというのです。どんなに手加減しても相手は3歳の子供。同業者とけんかするのとは訳が違います。暴力団の方と面識はありませんが彼らには刑務所に入ると「箔」がつくというのを聞いたことがあります。しかしいくら常人のうかがい知れない世界とはいえ三歳の子供が「眼を付けたので殺した」ということに「箔」はつかないと思いますが本当に不愉快な事件です。女房は「かわいそうに男を見る目がなかったのだね」と一生懸命子供を育てていたという母親に思いを馳せていました。もし亡くなった子供が怨霊になって殺した男に仕返しができるのなら、そして生まれ変わってもう一度3歳からやり直しができるなら、嗚呼。

1月27日 営業担当者の雑記

現在天皇皇后両陛下がフィリピンを訪問されています。フィリピン国交正常化60周年とのことですが、天皇陛下が第二次大戦時かの地で亡くなった大勢の兵隊さん、市街戦で犠牲になった現地の方々を弔いたいという強いご希望があったとの報道です。私の祖父もフィリピンで戦死しています。ルソン島のバギオというところで亡くなったという報告が戦後無事帰還した彼の部下からあったとのこと。激戦地のこと勿論遺骨などなく骨壷に石が一つ入っていたそうです。後年叔母さんたちがバギオを訪れ父親の霊を供養したと聞きました。実は私もバギオとは縁があり以前前職の研修で1ヶ月ほど滞在しました。祖父の亡くなった場所などは分かりませんので唯同じ地で手を合わせただけだったのですがそれでも祖母は大変喜んでくれました。フィリピンは戦争による犠牲者だけでなく山野もすっかり崩壊してしまったのですが今回のご訪問は大統領はじめ皆様から歓迎を受けているとの事。恩讐を乗り越えてしかし忌まわしい事実は決して忘れずにいたいものです。