4月26日 営業担当者の雑記

今朝の日経に旧ソ連のチェルノブイリ原子力発電所事故発生から今日で30年を迎えるとありました。原発の半径30キロ以内は今でも立ち入り禁止だが一部住民は故郷に戻って暮らしているとの事。現地に入った記者に依ると爆発した部分をコンクリートなどで塞いだ「石棺」の耐用年数は30年でその壁はいつ崩れてもおかしくないほど傷んで見えたと書いてありますが私は当時の事をまだはっきり覚えています。それは「TIME」に載った放射線の影響に依る動物たちの異形が次から次に出ているとても正視できない写真です。故郷に戻った人達の中にも甲状腺の異常が見られるようです。国際原子力事象評価尺度では福島第一原発事故と同じもっとも深刻な「レベル7」に分類されるこの事故も最近の調査では大分風化されているようです。まだ容融燃料の取りだしなどを含む廃炉の完了時期は見通せていないのに。そしてその隣に「放射線測定器使わず 18道府県 国支援で購入の8割」という記事がありました。

4月25日 営業担当者の雑記

昨日駐車場を掃除していた時傍らに植えてある柏葉あじさいの花芽を見つけました。この花実は鎌倉は報国寺の竹林で見たとても可愛い柏葉あじさいに触発されて買ったのです。元々竹の寺として有名なこの寺に多分一株だったと思いますが真っ白い柏葉が咲いていたのがとても印象的だったので、竹林はありませんが我が家でもと思ったのです。ところが家のはとにかく大きな葉が一杯茂り、花と言えばとてつもなく巨大なブドウの房のような形をしたものが少し咲く位で報国寺のイメージとはまるで違います。去年はまったく花芽がなく天狗の団扇のような葉ばかりでした。花にも当たり外れがあり我が家のはハズレなのでしょう、だからといって花に罪はなし抜かずにおきましょうといった感じだったのですが今年は既に5,6個の花芽を見つけています。女房も今年は大丈夫そうだと大いに期待しています。今葉の根元にそれらしきものが収まっていますのであと一月くらいでしょうか梅雨前には立派な姿を見せてくれるでしょう。

4月22日 営業担当者の雑記

このところ通勤途中いかにも新入社員、新入学生といった感じの人たちと大勢出会います。まだ何となくスーツ姿がしっくりしない新入社員が電車の中で日経新聞を読んでいたり、配属先の仕事について情報交換していたり、あるいは女子大なのでしょうか黒のスーツ真っ白いブラウスにまだ化粧も薄い人たちが集団でいたりそして一番目につくのが新中学生です。まだいかにも小学生といったサイズの子、見上げるほど大きな子、甲高い声の子、しっかり声変わりをしている子など様々で本当に成長過程をみているようです。女の子も少し大人びた子も中にはいますが何も気にせずスカートをパタパタしたり無邪気な動作をしたり。女の子は成長が早いのでこれからどんどん背丈が伸びあっと言う間に大人に近づいていくのでしょう。今も昔も新しい環境に入って行くのはとても楽しみであり不安でもありますがそんな時間を経過していく中でみんな成人していくのでしょう。ややこしい、忙しい時代ですがみんが悩みながらでもすくすく育っていくのを祈るばかりです。

4月21日 営業担当者の雑記

今日久しぶりに松戸運動公園横の道を通りました。市民病院と運動公園の間の中央分離帯がある結構広い道です。正式な名称は知りませんがこの時期中央分離帯を中心に植わっている「ハナミズキ」がとてもきれいです。白い花が圧倒的に多いのですがピンクのもちらほらあります。さらに運動公園内は入り口からずっとハナミズキ並木でここはピンクが多くとてもきれいです。「ハナミズキ」は今から100年近く前に当時の東京市長尾崎行雄がワシントンDCにソメイヨシノを送った返礼として数年後に日本に来たのが始まりと聞きます。そのときの花はほとんど残っていないようですが今では日本中のあちこちに「ハナミズキ」並木を見ることが出来ます。枝が横に張り樹高も自然のままだと相当に大きくなるようで花が実に愛らしいですよね。先日上野の国立博物館の玄関横に白とピンクが一本づつ植わっているのを見ましたがこれが実にすばらしい。色の濃い方はピンクというよい少し赤みが強く芯の方が薄くまるで蝶が舞っているようで暫く立ち止まって見入りました。

4月20日 営業担当者の雑記

熊本の大地震は余震が激しく被災者の方々は本当に疲れ切っているようです。救援物資も続々と送られているようですがなかなか現地の必要な人たちの手元には行き届いていないとの報道もあります。そんな中気になるのが「エコノミー症候群」が原因とみられる死者が既に11人にも達していることです。この病気名前の印象とは随分異なり恐ろしい病気なんですね。一般的には長時間狭い場所であまり動かないでじっとしていると足の静脈に血栓が出来それが何かの拍子にちぎれ血液に乗って流れ肺に到達し肺の動脈を閉塞するのだということです。飛行機に長時間乗った時に起きる症状から付いた名前のようですが長時間の鉄道、車での移動、会議などでも起きるのだとか。水分、運動不足が主要因のようで今回女性の被害者が多いのはおしっこを出来るだけしない為に水を飲まないのが原因との指摘があります。食料品以外簡易トイレ、生理用品など気づきにくいものも車上生活をしている人たちを含め至急届けなくてはいけませんね。

4月19日 営業担当者の雑記

今朝の新聞に「ボストン・マラソン、君原健二さん完走 50年前に優勝」という記事がありました。まあ何と懐かしい名前でしょう。メキシコ、ミュンヘン、東京の三五輪大会に出場した名マラソンランナー。特にメキシコでは銀メダル。あの釜本、杉山がいた時のサッカーチームが取った銅メダルと共によく記憶に残っています。君原健二選手はいつも首をかしげ苦しそうなフォームで耐えて苦しんで走るその姿はなるで修行僧のような雰囲気がありました。出場レースすべてに完走し引退後も市民マラソン等で走りファンを喜ばせているようです。彼は期待されながら8位に終わった東京五輪に一緒に出場し3位になった円谷選手の命日にはずっと墓参を続けているのだとか。円谷選手は五輪後「幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません。」という遺書を残して自刃した選手です。一緒に練習した仲間とはいえ円谷は3位期待されていた君原は8位ということで素直に祝福することは出来なかったその選手に50年近くもです。彼の人柄がわかるエピソードです。

4月18日 営業担当者の雑記

昨日久しぶりに家の周りの雑草を刈りました。暖かくなり雨が降るとあっという間に雑草が伸びてきます。どなたかが「世の中には雑草という草はない」といったとか聞きましたが確かにその通りなのですが通常雑草と呼んでいる草はなんだか活力旺盛といいますか季節がくると物凄い勢いで繁殖します。どこからか飛んでくるのかあるいは鳥の糞に混じっているのかこれからの時期ちょっと油断をしていると大変なことになります。最近は特にタンポポが目立ちます。背が高く花の色がくっきりとして大きいものです。多分「セイヨウタンポポ」と呼ばれている外来種だとおもいますがこの花何と環境省指定要注意外来生物で「侵略的外来種ワースト100」に選定されているのですって。単為生殖で種を付け甚だ元気な為にこうなっているようですがもう少し調べてみると外来種タンポポが必ずしも固有種を駆逐しているようではなさそうですが何しろ蔓延り方が凄いので私は出来るだけ根っこから抜く様にしています。

4月15日 営業担当者の雑記

昨晩居眠りをしながらテレビを見ていたら突然アナウンサーの調子が変わり地震のニュースを伝えました。震源地は熊本県中部、震源の深さは約11km、マグニチュード6.5、同県益城町で震度7と非常に強い地震との一報。NHK熊本放送局の様子がライブでありましたがこれを見るとかなり強烈な揺れだったようです。時間が経つにつれ現場の様子が分かり始め家屋の倒壊、道路の亀裂、がけ崩れなどが多発。新幹線、鉄道、高速道路、ガス、電気などライフラインはストップ。避難する人達の実況中にも余震に脅えている声が聞こえてきました。私は以前熊本市内に赴任していたことがありますので報道の内容が頭の中でどんどん具体化していきます。このあたり昔は農家が多かったのですが今ではIT関係の会社、車製造の会社などが沢山あります。昼間は幾分温かくはなってきたとはいえ熊本の山間部は冷え込みます。余震の怖さとあいまり眠られぬ一夜を過ごした方か多いのでしょう。何とか被害が最小限にとどまって欲しいものです。

4月14日 営業担当者の雑記

今日は商談一件があっさり終わったので溜まっているデータの整理をしているのですがふと会社の門をみるとナツツバキの葉がとてもきれいになっていましたので見に行きました。しばらく前はくるくるまるまっており色はまるで違いますがく紡錘状の毛虫のようなっていましたが、これが開き今までは隠れていたう少しつるっとしたやや濃い緑色の葉が表になっています。全体的にとても優しい感じの木でこれから葉が大きくなり6月には直径5~6cmほどでしょうか5枚の縁が少しギザギザになった柔らかい純白の花が咲きその中の真黄のおしべが鮮やかなコントラストになります。私がこの会社に入った時から植えてありますがその間少しづつ背丈も伸び毎年着実に花を開きます。「シャラ」の異名もありますが地方に依っては「サルスベリ」とも呼ぶようです。成長すると「本家のサルスベリ」のように幹がめくれてくることからそう呼んでいるようです。花は朝開き夕方には落花するのですが咲いている時の状態のままでボタッと落ちているのも風情があります。

4月13日 営業担当者の雑記

拙宅の海棠が満開になりました。この花は一か所から5,6cmの細長い茎に真ピンクの八重の花びらがついている何とも派手な花です。もう7,8年になるでしょうか亡くなった母親が大好きだったので植えたのですが現在樹高さ2m足らずで枝という枝から沢山の花が垂れ下がっています。時々どうして母親はこの花が気にいっていたのかなと考えたりしますが彼女とこの花が結び付くのは生家の近所にあった鎮守さんの門を入った所にこの樹が植えてあり私が小さい頃時々お参りに行っていた記憶があるくらいです。母方の祖母は戦争未亡人でお茶とお花を教えながら5人の子供を育てたとても気位の高い人でした。その祖母にお花を習った母親が海棠を活けていた記憶はありません。華道のことは全くの門外漢ですがあんなに目立つ花は活けにくいのではなかろうかと思います。桜と比べると花の色はとても濃く、八重桜程のうざったさはありませんがそれでもかなり密集して咲いています。彼女が亡くなったのは2月ですがこの花が咲くと母親を思い出します。