10月7日 営業担当者の雑記

何とも凄いニュースが入ってきたものです。ノーベル生理学・医学賞に大村智氏、物理学賞には梶田隆章氏と二人が続けて選ばれました。選考理由はそれぞれ高度な内容なのであまり理解は出来ませんが大村氏は国内の土壌に住む細菌から寄生虫の駆除薬として有望な菌を発見しアフリカの風土病治療薬開発に貢献した。梶田氏はニュートリノには質量がないという定説を覆したということだと報じています。難しいことはともかくとしてミーハー的には今回の受賞者はどちらも地方大学出身、スポーツでも活躍したなどに興味があります。大村氏はスキーで国体に選ばれ、梶田氏は弓道で関東学生選手権で団体優勝した時のメンバーだとか。ひとつも突出したものがない小生などにとってみると学問の世界ではノーベル賞、運動をさせると抜群などという人にはほとんど憧れを持ってしまいます。勿論とんでもない努力をされたのだとは思いますが、特に今回のお二人は何となく親しみが湧きみんなに愛されているお人柄のようで本当にすばらしいことです。

10月6日 営業担当者の雑記

今日は恒例の実績報告会議。精一杯活動した結果なのでどんな批判も甘んじて受けましょう。そんな予定も組まれていますが今朝の空は突き抜ける青さです。「むかしから穴もあかずよ秋の空:鬼貫」なんともうまく詠んだものです。凡人の私などは澄んだ空気、高く真っ青な空を見上げるといよいよ秋本番だな、さて今年はどこの紅葉を見に行こうかとか、ボチボチ蕎麦の花が咲き収穫も近いとか甚だ現実的な事を思うのですがこの江戸の粋人は吸いこまれるような空を見てよくもよくも穴があかないものだなと感じたのでしょうか。確かに一色の空のどこかに渦を巻いて穴があいているととても怖いし、あるいはこんなにきれいな空を皆が見上げているのに平然としているとでも言うのでしょうか勝手な解釈ながら飛びぬけた感覚とことば遣いには感心します。ともすれば枯淡の境地などと思いがちな江戸俳句にもこんな洒脱なものがあるのですね。好きな句の一つです。

10月5日 営業担当者の雑記

3日夜,10時半には食事も、風呂も済ませテレビの前にスタンバイしました。ラグビーW杯日本対サモアの試合観戦です。第一戦を奇跡的に南アに勝利し第二戦はスコットランドに敗れた日本は何としてもこの試合に勝たないと決勝進出がないという大事な試合。相手は世界に選手を供給している格上のサモア。彼らの体格は圧倒的に大きくまともにぶつかると日本選手たちは壊されるのではないかと思えるほどでした。巨漢が突っ込んでくると二人、三人がかりでのタックルで前に進ませない、さらに平均体重が4キロも軽いスクラムで押されることなくむしろ徐々に圧倒していく。あせるサモアは一人二人と退場者が出始め日本のバックスが走る、走る。五郎丸のキックは相変わらず正確で点差を開いていく。認定トライあり、山田の華麗なステップでのトライあり。終わってみると26対5と圧勝。強くなったものです。体格差のハンディーはいかんともしがたいこの競技で個々の力を付けタックルの技術を上げ二人、三人がかりで相手を止め休むことなく活動する日本チームは凄かった

10月2日 営業担当者の雑記

昨晩の風雨の酷かったこと!夜中に屋根を叩く雨の音、強風で壁に何かが当たる音で目が覚めてしまいました。案の定朝新聞を取りに行ったら2か所で簾が片一方外れており、木々の折れた枝が散乱、萩は花・枝ともに落ちていました。幸い雨はほとん止んでいましたので長靴はよしましたが通勤途中も何処から飛んできたのか結構大きな枝が折れていたり看板が折れ曲がったりしていました。「野分」というのでしょうか。源氏物語では「もとあらの小萩はしたなく待ちえたる風のけしきなり」とありますが本当に同じような様子が道中あちらこちらで見受けられました。一転突き抜ける秋晴れを期待したのですが鰯雲が流れる空模様で昼からは随分暑くなりましたした。

10月1日 営業担当者の雑記

今朝家の近所の庭に柿がなっているのを見つけました。先っぽが平べったいので富有柿かもしれません。そして会社の近くでも見つけました。これは先がとがっているので渋柿かもしれません。秋は果物がどれもおいしいのですがそのなかでも柿は好きなものの一つです。柿といえば子規の「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」が人口に膾炙していますが、このときの柿は御所柿だといわれています。正岡子規が故郷松山で療養し東京に戻る途中奈良に寄った時の句なんですね。病後とはいえまだ自ら動ける頃の作品で秋の風情が伝わってくる名句ですね。彼は晩年上野根岸でほとんど寝たきりになりながら創作活動を続けていましたが亡くなる前の年にも「柿食うも今年ばかりと思ひけり」と詠っています。34歳で亡くなるまでそして現在に至るまで幾多の人々に影響を与え続けた不世出の文学者。野球が日本に入ってきた頃いち早くその面白さを広め今でも上野公園球場にレリーフがある正岡子規。今朝の柿から大好きな文学者のひとり子規を思い出しました。

9月30日 営業担当者の雑記

今朝は少し涼しく上着を着て丁度いいくらいでした。空には鰯雲なのでしょうか魚のうろこのような形をした雲が固まりながら形を変えていきます。青く高い空に浮かぶ雲はいかにも夏のそれとはまるで違っています。今日で9月も最後。ポスティングの営業は一度関係が出来たらずっと続くというのではなく次々に新規開拓をしないと実績が上っていかないので毎週注文を取れるのか心配しながら仕事をしています。いい時もあれば悪い時もあると割り切る多少の鈍感力がないと気が持ちません。私の場合は毎日車に乗る仕事なので時に空を眺め、風を感じながら一人で喜んだり悲しんだりしながら営業を楽しんでいます。明日は必ず来るのであまり落ち込んだり有頂天になったりはせず自分のペースを守るのが長年の習性です。来月分も実は営業的にはもう大分進行しているのですが少なくなってきた本年度の大詰めが近づいてきていますので一層の頑張りで乗り切ろうと思います。

9月29日 営業担当者の雑記

昨晩台風21号の影響で与那国島では最大瞬間風速81.1mを記録したと報じていました。これは時速に直すと300km位になり新幹線のスピードと同じ位だとか。つまり新幹線の上に立って風を受けるのと同じ圧力だと言う事ですねエ。信じられません。史上4番目、富士山を除く地上では3番目だとか。さすがにテレビ局お得意の風雨の中での実況はありませんでした。昔石原裕次郎主演の映画「風速40米」の中でとんでもない風の中でビル工事をする場面がありましたが風速80mとなると冗談をいっている場合じゃありません。まさかそんな風の中外出する人もいなかったでしょうが、警察、消防も外に出られないので詳細は不明といっていました。牛舎の牛がひと塊りになって必死で足を踏ん張っている姿が出ていました。被害状況が分かるにつれその激しさが段々分かってくるのでしょうがあまりショッキングな映像は見たくないものです。

9月28日 営業担当者の雑記

先週の土曜日前職の同期が亡くなりお通夜に行ってきました。退職してからすぐ脳腫瘍が見つかり入退院を繰り返していましたが最近はもうずっと家にいたようです。きっと看病が大変だったのでしょう奥様はほっとしている様子でした。元の会社の仲間達があちこちから集まってきました。出席したのは一番若い人でも去年定年退職しているのでみんな60代、70代です。それでもほとんどの人が現役時代とそんなに変わらない様子で故人を偲び話がはずみました。少々遠い所でのお通夜だったので酒が飲めないせいもありますがみなとは合流せずまっすぐ帰りました。彼の現役時代は真面目な仕事ぶりでしたが家庭生活はどうだったのでしょうか。ゆっくり時間がとれ自分の好きなことが、あるいは女房との水入らずの生活が出来る退職後の時間がとても大切に思えました。退職間もなくの発病、闘病生活、そして死というのはちょっとさびしい気がします。やっぱりいつまでも健康な体でいたいものです。

9月25日 営業担当者の雑記

「もしかしてやっぱり君か金木犀:大島翠木」 一昨日玄関に出たらお待ちかねの香りが漂ってきました。お隣の金木犀か家の銀木犀かは定かではありませんが慌てて女房を呼びました。もう咲いてもなんの不思議もないのですが煩いほどに咲き乱れる萩やバラに目が行き鼻が利いていなかったのでしょうか。 葉が虫に食われ大丈夫かしらと思っていた銀木犀ですが今年も見事に咲いています。金木犀ほど派手に香りを撒き散らしはしませんが少し控えめなその匂いは大好きです。匂いは時空を超えて数十年前の記憶を一瞬にして蘇らせてくれます。私が行った学校には門を入った直の所に大きな金木犀が植わっていました。当時は学生運動のさなかで新学期は秋に始まりました。多分教科書等を買って下宿に帰るところだったように思います。その香りがいつまでも残っていました。勿論その頃は金木犀の名前も知らなかったのですが、いつの間にか毎年この香を嗅ぐとその当時の事がよみがえってきます。「金木犀過ぎ去りし日の香りなりけり:佐渡谷秀一」

 

9月24日 営業担当者の雑記

6年ぶりだとかいう「シルバーウイーク」。私は土曜日に出勤したので4連休でしたが各地の行楽地は大変な混雑だったようですね。私は上野に「モネ展」を箱根ポーラ美術館に「セザンヌ展」を観にまた近場にコスモスを捜しに行きました。絵は勝手に自分の好き嫌いだけで観ているのであまり人が溢れているような有名な絵は出来るだけさらっとにしています。上野はそんなに混んでいませんでしたが箱根に行く道中は酷い渋滞でした。朝は早く出たのですがあまり時間が掛かるので目的地全部に行けるか心配しましたが何とか予定通り廻ってきました。我が家の子供もそうですが連休中は掻き入れ時だという方々、連休とはまったく無縁という人たちも大勢いらっしゃいます。毎日が日曜日という生活に入った友達がこんな時は少し羨ましく思えます。休みがありがたく思える今があることの方が贅沢なのかもしれませんが。