10月22日 営業担当者のブログ

このところ朝晩は随分ひんやりしてきました。昼間は上着がなくてもいい位なので一日の気温差が大きくなってきました。これが秋の特徴なのでしょうか。紅葉がきれいになるのもこの気温差のようです。さて日本列島本日の最低気温を見ると北海道天塩でー5.2度ということで10月の観測史上最低気温だとか。昔同僚がミルクを北海道で扱っている時に凍らせない為に冷蔵庫に入れておくと聞いたことがありますが今からもうそんなに寒くなるんですね。首都圏では真冬でもマイナス5度なんてそんなに体験しないように思いますがさすが北海道北部ともなると寒いんだな。それ以外にも首都圏では府中の10.6度、あるいはお隣の船橋は12.1度で今季最低気温となっていました。関東圏はこれから紅葉の時期、北からはぼちぼち寒さ絡みのニュースが聞かれるようになってきました。

10月21日 営業担当者の雑記

先日裏磐梯の紅葉を見に行ってきました。家が千葉なので東関東自動車道からこの6月に開通した圏央道神埼、大栄間のルートを使い常磐道つくばジャンクションに出て磐越自動車道で磐梯までというルートでした。今までは首都高中央環状線を通って常磐道にでていたのですが、この時期日光、那須方面など北へは早朝からとても混んでおり一度事故でも起きるともう「にっちもさっちも」状態でしたが、今回は非常に快適なドライブでほとんど渋滞はありませんでした。圏央道はそれまでつくばジャンクションから神埼までは開通していたようなのですが家からだと使えないので知りませんでした。家からは330kmのドライブなので途中2回ほど休憩しましたがそれでも4時間位で着きました。いつぞやこの時期に袋田の滝にいったのですが事故にあったせいもありますが何と着いたのは夕方。降りる予定のインターは数キロ手前から路側帯が渋滞しておりどうにも身動きできなかったことを思い出しました。

10月20日 営業担当者の雑記

八柱霊園の南側の街路樹h桜並木ですがここが大分色付き葉が枯れ始めています。また牧の原から新京成の常盤平に向かう道通称けやき通りも黄色くなり始めました。けやき通りは両側から道路の中央に向かって枝が覆いかぶさっています(高さは10m近くありますので車の通行にはまったく支障はありません)のでいくつかの色が重なった間から木漏れ日が差し込み青空とのコントラストが結構見ごろになり始めました。この通りは新緑の頃も青葉に透ける陽の光がとても柔らかく好きな道の一つです。また駅前でさくら通りと交差するのですがこちらの桜も随分散っています。路の端に落葉が降り積もり始めたので時々近所の人でしょうか履いたりしていますがもうじき清掃車ががさっと持ち去っていくことでしょう。この風景は何となく冬が近くなったぞという合図のように思え気に入っています。車で走りまわる仕事のささやかな楽しみです。

10月19日 営業担当者の雑記

昨日いつものように近所の花見川周辺を散歩したのですが大分秋色になっていました。川と平行に走るサイクリングロードの両側は雑木林が生い茂っています。所どころでは陽の光が入らないほど鬱蒼としています。それらの広葉樹が大分葉を落としています。朝露に濡れた葉は何とも微妙な香りがします。枯れ葉の匂いに少し甘い香りが混じっています。桜は少し水分が入ると芳しくなるのでしょうか。幾重にも重なった葉を踏むと少し滑りますが別に先を急いでいるわけでもないのでそれも楽しみながら歩きました。この川はまだ自然堤防が随分残っており野鳥観察でも結構有名なようです。鳥の名前に疎い私にはその区別はつきませんが色んな鳥の鳴き声が聞こえます。朽葉を踏みながら鳥の声を聞きながら割と速足で歩き家に着くとうっすら汗をかいておりシャワーを浴びるのがこのところの私のささやかな贅沢です。

10月15日 営業担当者の雑記

東芝の不正経理、フォルクスワーゲンに依る排ガス規制を逃れるための不正なソフト搭載、東洋ゴムの再再度の防振ゴムでの検査データの改ざん、更には三井不動産レジデンシャルの建築基準法違反。まあ揃いもそろって大きな会社の悪事が続くことですね。それぞれが会社の運命を左右するようなことばかりですが関係者は本当に知らなかったのでしょうか。私も昔ビートルに乗っていました。空冷独特の音、形、安全性、丈夫さなどなどさすがドイツ車だなと大変気に入っていました。ある時等信号無視の酔っ払い運転に激しくぶつけられ前輪が大破しましたが私は無事でした。ああそれなのに自動車売上NO1という目標を達成する為にという事のようですが信じられないような不祥事です。バレたらとんでもないことになると言う事くらい経営者は分かっていたでしょうに。現場の人もヤバイぞと思っていたでしょうに。止めることは出来なかったのですね。不動産会社はどんな対応をするのでしょうか建て替えなんでしょうか?えらいことです。

10月15日 営業担当者の雑記

昨日青森岩木山、八甲田山で積雪があったと報じていました。もうそんな時期なのですね。もうずいぶん昔の話ですが学生の頃青森、山形方面を旅行したことがありました。十和田湖、奥入瀬渓谷の紅葉が目当てでした。十和田湖のシンボル「乙女の像」の前で記念撮影をしいよいよ奥入瀬渓谷。渓流が岩にぶつかった辺りでは白い水しぶきと岩に張り付いた紅葉が絶妙の景色を作っています。深くえぐられた渓谷に映える紅葉はどこでもが撮影ポイントです。14,5kmも続くのでしょうか奥入瀬を堪能した我々は、「八甲田山死の彷徨」で知られる八甲田山をずんずん登って行きました。前日の大盛り上がりと車の揺れですっかり寝こんでしまいました。そして本日の宿泊地酢ケ湯温泉に着きました。何と外は見事な雪景色。寒さ対策などまったくしていず大慌てで宿に入り一目散に千人風呂に飛び込んだ記憶があります。何かのコマーシャルではありませんが一日で紅葉と雪景色の二度美味しいめをしたことを思い出しました。

10月14日 営業担当者の雑記

先日印西市の「北総花の丘公園」にあかいそばの花を見に行きました。以前何処だかに行った時ふと目についた小さな白い花が気になり調べたらそばの花だと分かりましたが、最近雑誌で「あかいそば」という記事が目にとまり見に行ってきました。どぎつい赤ではなくややピンクがかったなんともかわいい花で直径5~6mm位の五弁の花びらが(正確には萼片のようですが)重なるように枝の先についておりこんもりとした形になっています。茎も赤い色をしています。この「あかいそばの花」は信州大学の先生がヒマラヤの高地3,800m辺りに咲いているのを日本に持ち帰り種苗会社と共同で品種改良を行い「高嶺ルビー」と名付けたものだとか。背があまり高くないので遠くから見ると絨毯は言い過ぎかもしれませんが一面赤く染まりとても賑やかです。収量は普通のそばの1/3くらいのようですが実そのものも赤いのでしょうかもし殻をむいて赤い実が出てきたら驚くでしょうね。味はどうなんでしょうか。一度賞味したいものです。

10月13日 営業担当者の雑記

第八回W杯ラグビーは日本がアメリカを28対18で破り3勝を挙げたがポンイトの差で三位となり決勝進出は惜しくも逃した。今は感動的な映画を見た直後のような何となくもう少し余韻に浸っていたいそんな気分です。嘗て松尾、平尾といったスター選手全盛時代同志社も神戸製鋼も新日鉄釜石も強かった。でもそれらは国内の大会で体格差のない仲間内での試合でした。今回はあろうことかあの南アフリカにスクラムで挑み僅差での勝利。サモア戦でもラグビーでは絶対的に不利な体格差を補う波状攻撃、的確なタックル正確なキックで圧倒、そしてアメリカ戦は全員一丸となった火の球タックル、倒されても倒されても尚起き上がる不屈の闘志で勝利。ともすればゴールを決めた選手が称賛されがちだがそこに至るにはスクラム陣が耐え、押し進み、あの小さな田中が2mの選手にタックルし倒した時は身震いしました。NO8キャプテンのリーチは突っ込みぶつかり走り獅子奮迅の活躍。勿論五郎丸のキックは素晴らしかった。彼らの1プレー1プレーはいつまでも脳裏に留まることでしょう。

10月9日 営業担当者の雑記

来週月曜日10月12日は芭蕉の命日です。今から300年程前大阪御堂筋にある「花屋」という宿で51歳の生涯を閉じました。その名前はあまりに有名ですが同時代に蕉門以外で一茶、蕪村、鬼貫など優れた俳人が沢山いたにもかかわらず何故芭蕉が圧倒的に知られるようになったのでしょうか。勿論作品自体が我々の心を打つというのが一番の理由だとは思いますがそれ以外にも弟子達に依る彼の臨終記、あるいは後年高浜虚子が俳句とはこうあるべきだと芭蕉の名前を大きく取り上げその名が一気に広まったとか色んな要因があるようです。そんな中で私は彼が終生俳句の宗匠として生き抜いたこともその要因の一つだと思います。歌枕、西行など昔の作品に精通し死の間際までその作品を磨き上げ凡作を捨てようとしたことあるいは晩年は「何時だって辞世の句だと思って一句一句作っているよ」と弟子に語っていることなどあくまでプロとしての姿勢を貫いたことである種の像が出来上がったのかなと思います。連休にもう一度彼の作品に触れてみようと思います。

10月8日 営業担当者の雑記

昨日プロ野球中日球団の山本(昌)投手が先発登板した。50歳。昨晩の登板は引退表明をした彼への花道として打者一人に投げただけなので「戦力として試合に出た」というのではないがそれにしても何たる頑健な体。普通投手は30歳を超えるとボチボチベテランと呼ばれ始める。彼の場合はノーヒットノーラン達成が41歳。特別にスピードがあるわけでもなく変幻自在の変化球があるわけでもないのに老いてますます盛んという感じでした。きっと体のケア、心の持ちようなど全ての面で並み以上の注意を払ったことでしょう。お疲れさんでした。高齢スポーツ選手としては我らがキングカズ。48歳。この人もあり得ないですね。野球と違って広いグランドを走り回るサッカーでは一部例外はありますが大概30歳を超えると控えに回っているような気がします。40歳以上は多分いないのではないでしょうか。ずっと一線で活躍している彼もまた努力の人なのでしょうがきっと「サッカー少年」のままなのでしょうね体も心も。「出来るのですね」あの年で。