4月3日 営業担当者の雑記

東京の花も今週末が見収めでしょうか。西行はこの時期「眺むとて花にもいたくなれぬれば散る別れこそかなしかりけれ」と詠みました。花だ、花だと心は舞い上がり何も手に付かず桜を楽しみ続けこれにすっかり慣れ切ってしまっていた。花である限りいつか散ってしまうのは分かっているが悲しいものだ。さらに「散る花を惜しむ心やとどまりてまた来ん春のたねになるべき」とも歌った。花が散ってしまうのはしょうがないことなのでそれはそれとして受け止めるが何か心に穴が開いたようだ。せめて来年の春また桜の花が私の心を一杯にしてくれることを楽しみに待っていよう、と未練たらたら自分を納得させようとしています。西行の凄い所は世を捨て毎年こうやって桜に現を抜かしながら京都に高野山にさらに奥州にと旅を続け歌枕を探り時には頼朝を手玉に取ったりしながら乱世の中歌の道を突き進んだことです。

4月2日 営業担当者の雑記

昨日の帰りは昼間と打って変わって風雨が強く、漸く満開になった桜がこの風雨で散ってしまうのではと心配しました。西行の歌に「春風の花を散らすと見る夢は覚めても胸のさわぐなりけり」というのがあります。すっかり桜花に心を奪われているこの時期に何とも無粋な夢を見たものだ。身には心地よい春風が、大好きな桜花を散らせてしまった。夢から覚めても散ってしまった花の事を思うととてもショックでいまだに胸が騒ぐというもの。実はこの歌恋焦がれていた待賢門院の忘れ形見清和院の歌会で「夢中落花」の題詠として披露されたものとのこと。待賢門院が亡くなった夢を見てとても平静ではいられなかった気持ちをさらけ出した恋歌ともいえるようです。西行には大好きだった桜に待賢門院を託しているのかなと思われる歌が沢山あります。平明な歌が多い中この背景を知っているとより趣が感じられます。

4月1日 営業担当者の雑記

今まさに花見シーズン真っ盛りというところです。西行は「花見にと群れつつ人の来るのみぞあたら桜の咎にはありける」と詠みました。有名な能「西行桜」のテーマです。西行は一人で桜を楽しみたいので今年は花見禁制にしたのに世俗の風流人士たちが世に知られた西行の花を眺めたいとやってきた。迷惑だが折角来たものをむげにも断れないのでお通しする時の西行の嘆き歌(という作者世阿弥の設定)。桜の咎というけれど誰と観るかは問題ではないその人の心こそが肝心なのであって非情無心の草木の花に浮世の科はないという老桜の精の反論。たしかにそれはおっしゃる通りだと西行と老桜の精は一心同体と言える境地になり二人の魂の契りは最高潮を迎えると言う内容。西行と桜の関係を世阿弥が表現するとこうなるというものです。今時の花見とは甚だ趣が違いますがたまにはこんな花見もいかがでしょうか。

3月31日 営業担当者の雑記

西行の花狂いは留まるところを知りません。「あくがるる心はさても山桜散りなんのちや身に帰るべき」昨日は吉野山の桜を見ると心がどこかに行ってしまうという歌でしたが、今日のはさらに桜の花が咲けば心が浮かれ出て行ってしまうのはもう止めようがないのだけれど、せめて花が散ってしまったあとは私の体にきちんと帰って欲しいのですがとお願しています。「自分の心」ではあるが体から抜け出してしまった「心」に、花が咲いている時期だけはしょうがないので好きなように楽しんでいても構わないから散ったらとにかく私の体に戻ってきてくれ頼むよとそんな感じなのでしょうか。所謂腑抜け状態なのですね。桜花以外何も考えられない、もう世の中桜の花だけ他には何も見えませんとおっしゃる西行。いいなァ。こんなに夢中になれるものがあってその夢中さ加減をいとも簡単に(そう見える)表現出来るって。

3月30日 営業担当者の雑記

東京はあちこちで桜の便りが聞こえ初めてきました。今週は大好きな西行作の桜に題を取った歌を紹介したいと思います。まずは「吉野山こずゑの花を見し日より心は身にも添わずなりにき」場所は花の名所吉野、といっても平安末期に桜を見に吉野に通うというのは余程の酔狂人。京都にその噂くらいはあったとは思うが何しろ遠隔地。貴族たちは死ぬ思いで熊野詣はしたろうが吉野山に桜を見に行く人はごく稀であったろう。その昔役小角が桜樹に蔵王権現像を彫ったのに由来し神木として大事にされてきた吉野山の桜を見てしまった西行は、それからというものこの時期になると寝ても覚めても桜がチラつき挙句の果て心がどこか遠くに行ってしまい夢遊病者のようになってしまったというのである。さもありなん。一目千本の白山桜が全山に咲き誇った姿を想像するだけで西行ならずとも心は浮かれ狂おしくなります。

3月27日 営業担当者の雑記

ジャーマンウイングスの旅客機墜落事故原因はとんでもないことが起きたのかもしれないようだ。ボイスレコーダーを調べている仏検察当局の発表によると副操縦士が単独で降下装置を操作し、故意に高度を下げて墜落させたとの見方を示したとの報。機長が何らかの理由でコックピットを外したら副操縦士が内側からカギ掛け機長がドアを激しく叩いても更に管制官からの問いかけにも応じず「自らの意思で航空機の高度を失わせた」可能性が高いというもの。テロの可能性は考えにくいとのことなのでまったくの自殺行為になり本当に仏当局の発表が正しければこれは大変なことです。それなりのチェックでは見つけられず親会社の社長も「こうした行動を起こす予兆はなかった」と語っているようで、だとするとこのような可能性がある操縦士は他にもいるかもしれないので飛行機の安全性が一挙に下がってしまいます。

3月26日 営業担当者の雑記

24日フランス南東部の山中に独航空会社ジャーマンウイングスの旅客機9525便が墜落し乗客乗員150名ほどが犠牲になった。報道によるとバルセロナを出発した同機は順調に高度を上げた後8分ほどで1万メールも急降下し標高2000メートル付近の山に激突。機体はバラバラになり散乱しているとのこと。専門家の解説では急降下した理由について色んなケースが述べられているがそれにしても何の訓練も受けていない人たちが1万メートルの急降下に合うとどんな状態になるのだろうか。今回の事故機エアバス「A320」は昨年12月に墜落しまだ機体が発見されていないマレーシアのエアアジアの旅客機と同型とのこと。またどちらもLCC(格安航空会社)の飛行機。料金を安くするために安全性が蔑ろにされていたのでなければいいのだが。いずれにしてもきちんとした原因究明が待たれます。

3月24日 営業担当者の雑記

今日営業中に「アカシア」が満開の家を発見しました。「アカシア」は金色の花が枝いっぱいに付いた何とも贅沢な花なのですがこれはよく「ニセアカシア」と混同します。清岡卓行が書いた「アカシアの大連」に出てくるアカシアはやはり藤に似た白くていい香りがするいかにも北国の花「ニセアカシア:和名ハリエンジュ」でなければ小説になりません。アカシア蜂蜜もこの花から採取されたものです。大連では毎年5月から6月にかけてアカシア祭が開催されるとのことで長い冬が終わり一斉に花開くニセアカシアの芳香に包まれ多くの小説の舞台になった大連の街をいつの日か散策したいものです。どこかで見た映像が残っているのでしょうか実際には行ったことはないこの「大連」という地名は何とも言えない甘くどこかせつないそんな郷愁を感じさせます。

3月23日 営業担当者の雑記

昨日松戸の江戸川河川敷で第十五回江戸川カッパ市があり終日そのお手伝いをしていました。天気が良く絶好のイベント日和でした。子供に人気がある(実は初めて知ったのですが)ようかい体操選手権があったせいで小さな子供とそのご家族一同、応援団が沢山来ておりやっぱり子供が多いと賑やかでいいですね。中でベンチャーズのコピーバンドが出演したのですが少々くたびれたエレキ少年ではありましたが「ダイヤモンドヘッド」などヒット曲メドレーで久しぶりに「テケテケテケテケ」が楽しめました。驚いたのはドラマーが御婦人だったことです。娘も高校でドラムを叩いていたので女性ドラマーには驚かないのですが「妙齢?」というところがちょっとびっくりでした。しっかりリズムを刻みスティック捌きも軽やかに見せ場も作り大変結構な演奏でした。お元気そうだったのでドラムソロがあればもっと興奮しましたのに。

3月20日 営業担当者の雑記

桂米朝師逝去
あの端正な風貌とその通りの語り口、品のいい大阪弁、どんな噺をしても下種にならない人徳、知性に裏打ちされた言葉の広がり、葬り去られようとしていた古い話を掘り起こした落語への情熱。どんなにいっても言い尽くせない一世一代の落語家でした。最初にかれの噺を聞いた時こんな落語家がいることに仰天しました。世に名人と称される人は沢山いました。しかし米朝師はそれ以上の何か人を引き付けるものがありました。一門の隆盛は誠にめでたくはありますが枝雀さんの自死はどんなに辛かったことでしょう。多士済々の面々が其々の芸風で活躍していますが結局弟子たちは米朝師に愛されたくて、噺を聞いて欲しくて、怒られたくて、認められたくて一生懸命精進しているように思えます。ここ数年は高座にも上がっていませんでしたが弟子の米團治を聞きに行くと今の様子が時々報告されていました。もう生の米朝師に会えないと思うと残念でたまりません。合掌。