9月27日 営業担当者の雑記

日経夕刊に梯久美子さんが「あすへの話題」で永六輔さんの思い出を書いていました。彼女が駆け出しのフリーライターだったころ永さんに一度だけインタビューしたときのこと。今まで多くの質問相手が彼女ではなく同行した編集者に向かって話したのに彼は受け取った名刺を見て「珍しい姓だね。どこの出身?」と話しかけ質問にはすべて彼女の目を見て答えてくれた。数日後永さんから絵葉書が届き「よい記事を書いて下さいね」とあった。それを編集者に話すと「きっとみんなに出しているんだよ」といわれた。先程見ていた再放送で永さんが藍染の作務衣を着ているのを見て、インタビューした時も藍染めの上着を着ていた彼はたまたま紺色のシャツを着ていた彼女に「梯さんのそれも藍染」と聞いてくれたのを思い出した。たったそれだけのことだがあの声のあたたかさを忘れない。と結んでいる。永六輔をこれほど短い文章で表現できるのかと感心しました。亡くなってもう1年が過ぎました。

9月25日 営業担当者の雑記

昨日東京駅そばのブリジストン美術館にムーア展を見に行きました。ここは八重洲中央口から歩いて数分で直に目指す場所に着きましたがあるべきところは工事中です。近寄ってみれば2015年から閉館しており2019年の秋再会予定と書いています。そういえば最後の展覧会にこの美術館のお宝青木繁の「海の幸」「わだつみのいろこの宮」などを見た記憶があります。念のためスマホで調べたのですがそれらしき展覧会はどこにもありません。どうして今「ムーア展」がブリジストン美術館で開催されていると思ったのでしょうか。ひたすら思い出そうとするのですがまったく分かりません。折角なので出光美術館に「江戸の琳派芸術」を見にいったのですがどうしても「ムーア展」の謎が分かりません。家に帰りよく調べてみると何と2010年のパンフレットにこの案内がありました。7年前のパンフレットを見て二人とも何も思わず出かけたのですね。はてさて。

9月1日 営業担当者の雑記

昨晩のサッカーW杯アジア最終予選は物凄い試合でした。このオーストラリア戦で勝てば予選突破だが嘗て日本はかの国には一度も勝っていない位の知識しか持ち合わせていなかったのですが浅野、井手口のゴールには大興奮しました。出場選手のほとんどをよく知らない私はこの二人とも昨日の試合で初めて聞く名前でした。21歳と22歳ですって。ど素人の私から見ても二人のゴールシーンは本当に格好よかった。片やサイドからのクロスを浅野が敵守備陣の後ろから一瞬のうちに飛び出し鮮やかなゴール。もう一つは敵陣近くでボールを受けた井手口が一人二人と横走りで交わしながら空いたスペースからズッドーンとゴール。しびれましたね。私でも名前を知っている本田、香川は出ていなくても凄い選手は日本にいるんですね。W杯本選出場が出来なければ「クビ」という噂もあったハリルホビッチ監督の喜ぶ姿も印象的でした。

8月7日 営業担当者の雑記

今朝もう長くお付き合い頂いているお客様で集金、商談を終わり道路に止めてあった車に戻るとワイパーにサルスベリの小枝が引っ掛かっています。まるでよく車検などの案内チラシのようにきれいに挟まっています。ここ二十世紀美野里町、昔のJRの官舎前の道には数kmに亘ってサルスベリが植わっています。色は薄い赤紫一色ですが今真っ盛りです。サルスベリは若い木でも花が付きますので樹齢は分かりませんがでもそんなに年には見えません。一直線の道の端から見ると両側がサルスベリで一杯です。街路樹にはよくつかわれていますのでこの花きっと強いのでしょうがそれにしても毎年時期を忘れずに目を楽しませてくれます。余程強く挟まっているのか一日中走り回った車の前にはまだ花が乗っていました。何か得をした気分の一日でした。

7月3日 営業担当者の雑記

昨日終わった東京都議会議員選挙も暑かったようですが今日の関東地方の暑い事。松戸の最高気温は33度湿度も70%を越し蒸し暑さも加わりいよいよ日本の夏ですか。私がいる事務所のエアコンは年季物のようでファンが真っ黒になっており先日洗剤で大分きれいにしたので「使ってもいいかな」位には成りました。それでもしばらくはススが室内に飛び散るだろうと窓を全開で強い送風にしておきました。ところが今度は室内になんだか安物の香りが充満してしまいました。どうも私は匂いにあまり強くないようで、特に怪しげな芳香剤の匂いはNG。若いお姉さんの鼻孔をくすぐる香りは勿論OKなのですが。ということで今日は暑い一日にも拘わらずほとんどエアコンを使わないという修行僧のようなことになってしまいました。ビールが飲める人はこんな時「くっと」一杯行くのでしょうがそちらは至って不調法な私はミネラルヲーターで「くっと」行きますか。

6月27日 営業担当者の雑記

6月25日発行の「松戸よみうり」に市川「国府台に古代の大型道路跡」という題の記事が一面に出ています。奈良時代から平安時代にかけて全国に政庁が造られたが今回発掘された道路跡は道幅が約9mもあり下総国国府の国庁(国府の中心施設)につながるメインストリートではないかとのこと。現在の東葛地域は古代律令制の下で制定された五機七道の東海道に属し京の都から常陸国まで続く東海道という幹線道路が通っており今回の発掘場所はそのそば現在和洋女子大があるあたりだと言う。この辺りは弥生時代の竪穴住居も発見されており大昔から人が集まる場所だったようです。国府台は松戸市矢切りの南隣りでここから国府台辺りは戦国時代里見氏、北条氏などが戦った国府台合戦、あるいは幕末新撰組の残党と新政府軍が戦った市川・船橋戦争など歴史的にも有名なところで「歴史の街」なんですね。

5月11日 営業担当者の雑記

昨晩のニュースで熊本慈恵病院に設置されている「こうのとりのゆりかご」所謂赤ちゃんポストが10年目を迎えたと報じていました。何らかの事情で自分では育てることの出来ない赤ちゃんを匿名で受け入れる施設で賛否両論あるようですが院長は赤ちゃんの命を守るという意味ではその役目を果たしてきたとおっしゃっています。私はこの世に生を受けた「人」の命はたとえ親であっても奪う事は出来ないと思っています。母親になる人が生まれた子の命を他人に託そうと決心するのは余程のことだと思います。本当は妊娠した時に相手の男性と一緒になってどうすることが一番いいか考えるべきなのですが、こういうケースはほとんど女性に結論を委ねているようです。預けられた子は里子となりそれなりに幸せに暮らすのでしょう。大きくなってその出自を知りたいと思うことがあるのでしょうが少なくとも「生きている」ことこそが一番大事なのだと思います。

4月12日 営業担当者の雑記

昨日の夕刊を見て驚きました。一面に大きく浅田真央引退の報です。その紙面の大きさにまずびっくりしたのですが冷静になると彼女は確かに凄かったのですね。私はフィギアスケートはあまり見ません。解説者もアナウンサーも難しい技の名を連発するのでそれを知らない私はテレビ見ることはまずありませんが彼女の出番だけは別です。少女時代は軽やかに妖精のように飛び跳ねていたのが段々大人の表情になりしなやかな体を活かした演技は圧倒的な存在感がありました。彼女の凄いところは多分演技なのでしょうがそれよりそのたびに見せる表情が作り物ではないことが万人に愛されてきた理由だと思います。生真面目というか。バンクーバー五輪での銀に。そしてソチ五輪フリーの演技終了後の彼女に涙した人は大勢いることでしょう。随分長い間フィギアスケートをやってきたので生まれ変わったら多分やらないだろうというのも彼女らしいコメントでした。

4月7日 営業担当者の雑記

近所の松戸南高校周辺でいかにも新入生らしい親子ずれを見かけました。入学式でもあったのでしょうか。さてさて随分昔のこととはいえ自分の高校の時の入学式。母親と一緒だったような記憶はあるのですが中身は全く覚えていません。高校の卒業式、大学の入学・卒業すべて一人でした。昨今は親が一緒に出ることが多いと聞きますが子供達の小中高大いづれの入学式、卒業式にも出たことはありません。別に格好付けていたわけではありませんが何となく父親まで行くことはないだろうと随分いい加減な父親だったものです。唯一娘の大学卒業時だけは夫婦で出かけました。年を取ったこともありますが流石に娘は袴などをきて写真映えがしますので出かけました。これまたいい加減なものです。まあ一人で飯が食えるようになればいい位の子育てでしたのでこんなものだったのでしょうか。

3月27日 営業担当者の雑記

大相撲春場所は横綱稀勢の里が13勝2敗で優勝しましたが大いに盛り上がりました。12日目まで全勝で来ていた稀勢の里は13日目横綱日馬冨士との一戦で敗れた時激しく左肩を痛め暫く立ちあがれず救急車で病院に搬送され14日目は休場かと思われていたのを強行出場しなすすべもなく横綱鶴竜に敗れ2敗となり1敗の大関照ノ富士に遅れを取った。痛めた肩で優勝するには千秋楽で本割と決定戦の2回照ノ冨士に勝たなければならず解説者も「まずありえないだろうそれより体をこれ以上悪くしてほしくない」といったコメントの中での大一番。本割での逆転勝利さらに決定戦でも土俵際で照ノ冨士を小手投げで土俵に転がしての大逆転優勝。もう館内は騒然。テレビがアップで捉える観客の目にも涙が見える。稀勢の里はそれでもいつもと表情を変えず支度部屋に引き上げた。しかし表彰式では国歌が斉唱されると顔を覆い号泣。その昔貴乃花がひざに大けがをしながらの逆転優勝に表彰式で当時の小泉首相が「感動した」と絶叫したのを思い出しました。