4月9日 営業担当者の雑記

昨日は北関東だけでなく東京近郊あるいは都内でも雪が散らついたと報じていました。この時期にと驚きですが「終雪またの名をなごり雪」だと伝えていました。初雪はニュースで大きく取り上げられますが終雪という言葉は初めて聞きました。「雪見桜」とも言うそうで季節感あふれた何とも情緒のある言葉です。もう40年ほど前になるでしょうか。フォークソング全盛のころにイルカがカバーして大ヒットした「なごり雪」という歌があります。「東京で見る雪はこれが最後ねとさみしそうに君はつぶやく、、」という歌詞に妙に切なくなった記憶があります。また時に里帰りした際当時大学生だった弟がよく歌っていたのを思いだしました。一つの言葉が時空を超え一瞬にして色んな記憶を手繰り寄せるのですね。昨晩は「なごり雪」という言葉を聞いてなんだかほっこりとした気分になりました。

4月8日 営業担当者の雑記

いやー、大変な天気ですね。月曜日は昼間の気温が20度を超え暑い位だったのに今日の予報では最高気温が6度くらいまでしか上がらないとの事。昨晩から寒くなり始めテレビでも寒さに注意といっていたので慌ててもう外していたコートの裏地をつけ直しセーターを出しての冬準備で出勤。大正解。北関東では雪が降った所もあるとか。この時期の寒さはそんなに珍しいことでもないようだがそれにしてもちょっと寒すぎ。菜種梅雨というのでしょうか。私の方はというとこのところ中々商談まで進めるところが少なく今日はヒーターを入れっぱなしにして部屋の中での資料作り。

4月7日 営業担当者の雑記

昨日月初めの会議があり先月のレビューをしました。県会議員選挙候補者からの注文があり数字的にはなんとかなったのですが、私はこのところの顧客件数に危機感を覚えています。また一からのアプローチということでリストを作り一軒一軒に電話をする作業をしています。毎月毎月決まった顧客があるルートセールスと違い下手をするとまったく注文がこないという恐怖感に駆られながらの毎日です。それだけに注文を頂いた時の喜びは格別ですし配布する人たちのうっかりミスで顧客からクレームがあるとすっ飛んで行き何とか離れられてしまわないように必死で対応します。まあこんな毎日でございます。

4月6日 営業担当者の雑記

昨日はあいにくの小雨の中常盤平のさくら通りを始め松戸市内のあちこちで桜祭りがあったようですが花見客の人出はどうだったのでしょうか。この雨が名残の雨になったようで関東地方の桜もほぼ終わりになりました。西行より200年ほど前、彼と同じように桜を愛し、女性を愛した歌人在原業平が「世の中にたえて桜のなかりせば春の光はのどけからまし」と歌いましたが西行と一緒になってのぼせあがっていた私も少し落ち着かなければと思っているところです。三寒四温が続く中それでも着実に気温は上がってきておりこれから桜はどんどん北上し5月初旬の北海道稚内辺りで見おさめなのでしょうか。家の雪柳は10日ほど前一挙に咲きもうほとんど散り今年はダメかと思っていた海棠もその派手な色を見せ始めました。桜は一段落しましたがまた初夏に向けていろんな花の便りが聞こえてくるのが楽しみです。

4月3日 営業担当者の雑記

東京の花も今週末が見収めでしょうか。西行はこの時期「眺むとて花にもいたくなれぬれば散る別れこそかなしかりけれ」と詠みました。花だ、花だと心は舞い上がり何も手に付かず桜を楽しみ続けこれにすっかり慣れ切ってしまっていた。花である限りいつか散ってしまうのは分かっているが悲しいものだ。さらに「散る花を惜しむ心やとどまりてまた来ん春のたねになるべき」とも歌った。花が散ってしまうのはしょうがないことなのでそれはそれとして受け止めるが何か心に穴が開いたようだ。せめて来年の春また桜の花が私の心を一杯にしてくれることを楽しみに待っていよう、と未練たらたら自分を納得させようとしています。西行の凄い所は世を捨て毎年こうやって桜に現を抜かしながら京都に高野山にさらに奥州にと旅を続け歌枕を探り時には頼朝を手玉に取ったりしながら乱世の中歌の道を突き進んだことです。

4月2日 営業担当者の雑記

昨日の帰りは昼間と打って変わって風雨が強く、漸く満開になった桜がこの風雨で散ってしまうのではと心配しました。西行の歌に「春風の花を散らすと見る夢は覚めても胸のさわぐなりけり」というのがあります。すっかり桜花に心を奪われているこの時期に何とも無粋な夢を見たものだ。身には心地よい春風が、大好きな桜花を散らせてしまった。夢から覚めても散ってしまった花の事を思うととてもショックでいまだに胸が騒ぐというもの。実はこの歌恋焦がれていた待賢門院の忘れ形見清和院の歌会で「夢中落花」の題詠として披露されたものとのこと。待賢門院が亡くなった夢を見てとても平静ではいられなかった気持ちをさらけ出した恋歌ともいえるようです。西行には大好きだった桜に待賢門院を託しているのかなと思われる歌が沢山あります。平明な歌が多い中この背景を知っているとより趣が感じられます。

4月1日 営業担当者の雑記

今まさに花見シーズン真っ盛りというところです。西行は「花見にと群れつつ人の来るのみぞあたら桜の咎にはありける」と詠みました。有名な能「西行桜」のテーマです。西行は一人で桜を楽しみたいので今年は花見禁制にしたのに世俗の風流人士たちが世に知られた西行の花を眺めたいとやってきた。迷惑だが折角来たものをむげにも断れないのでお通しする時の西行の嘆き歌(という作者世阿弥の設定)。桜の咎というけれど誰と観るかは問題ではないその人の心こそが肝心なのであって非情無心の草木の花に浮世の科はないという老桜の精の反論。たしかにそれはおっしゃる通りだと西行と老桜の精は一心同体と言える境地になり二人の魂の契りは最高潮を迎えると言う内容。西行と桜の関係を世阿弥が表現するとこうなるというものです。今時の花見とは甚だ趣が違いますがたまにはこんな花見もいかがでしょうか。

3月31日 営業担当者の雑記

西行の花狂いは留まるところを知りません。「あくがるる心はさても山桜散りなんのちや身に帰るべき」昨日は吉野山の桜を見ると心がどこかに行ってしまうという歌でしたが、今日のはさらに桜の花が咲けば心が浮かれ出て行ってしまうのはもう止めようがないのだけれど、せめて花が散ってしまったあとは私の体にきちんと帰って欲しいのですがとお願しています。「自分の心」ではあるが体から抜け出してしまった「心」に、花が咲いている時期だけはしょうがないので好きなように楽しんでいても構わないから散ったらとにかく私の体に戻ってきてくれ頼むよとそんな感じなのでしょうか。所謂腑抜け状態なのですね。桜花以外何も考えられない、もう世の中桜の花だけ他には何も見えませんとおっしゃる西行。いいなァ。こんなに夢中になれるものがあってその夢中さ加減をいとも簡単に(そう見える)表現出来るって。

3月30日 営業担当者の雑記

東京はあちこちで桜の便りが聞こえ初めてきました。今週は大好きな西行作の桜に題を取った歌を紹介したいと思います。まずは「吉野山こずゑの花を見し日より心は身にも添わずなりにき」場所は花の名所吉野、といっても平安末期に桜を見に吉野に通うというのは余程の酔狂人。京都にその噂くらいはあったとは思うが何しろ遠隔地。貴族たちは死ぬ思いで熊野詣はしたろうが吉野山に桜を見に行く人はごく稀であったろう。その昔役小角が桜樹に蔵王権現像を彫ったのに由来し神木として大事にされてきた吉野山の桜を見てしまった西行は、それからというものこの時期になると寝ても覚めても桜がチラつき挙句の果て心がどこか遠くに行ってしまい夢遊病者のようになってしまったというのである。さもありなん。一目千本の白山桜が全山に咲き誇った姿を想像するだけで西行ならずとも心は浮かれ狂おしくなります。

3月27日 営業担当者の雑記

ジャーマンウイングスの旅客機墜落事故原因はとんでもないことが起きたのかもしれないようだ。ボイスレコーダーを調べている仏検察当局の発表によると副操縦士が単独で降下装置を操作し、故意に高度を下げて墜落させたとの見方を示したとの報。機長が何らかの理由でコックピットを外したら副操縦士が内側からカギ掛け機長がドアを激しく叩いても更に管制官からの問いかけにも応じず「自らの意思で航空機の高度を失わせた」可能性が高いというもの。テロの可能性は考えにくいとのことなのでまったくの自殺行為になり本当に仏当局の発表が正しければこれは大変なことです。それなりのチェックでは見つけられず親会社の社長も「こうした行動を起こす予兆はなかった」と語っているようで、だとするとこのような可能性がある操縦士は他にもいるかもしれないので飛行機の安全性が一挙に下がってしまいます。