12月16日 営業担当者の雑記

先週「等々力渓谷」に行ってきました。その前に静嘉堂文庫美術館、五島美術館と車で行ったのですが夕方暗くなってしまい渓谷には行けなかったので仕切り直しということです。駅を降りて2,3分歩くと渓谷入り口となっており階段を下って行くと遊歩道にでます。見上げると真っ赤なゴルフ橋がありますがここが出発点で1kmほどの散歩開始。かなり下りましたので左右は森、眼下には小川という都内とは思えない景色が広がります。赤や黄に色づいた紅葉を見上げながら歩を進めると足元が随分濡れてきます。湧水があちこちにあります。暫くすると左手に滝(といえるか少々疑問ですが)がありそこから等々力不動尊に繋がります。境内からは見事な紅葉が眼下に広がります。お団子を頂いて次は日本庭園。お不動さんと反対側の崖を登って行くと大きな岩とそこに沢山散らばる色づいた葉が見事なコントラストです。ゆっくり歩いても往復30分ほどの距離をぐだぐだしゃべりながら2時間くらいかけて完走です。水の透明度は致し方ありませんがしばし雑踏から離れのんびりできるところです。

12月15日 営業担当者の雑記

今週の日曜日は恒例の年賀状版画作りをしました。もう三十数年に成るでしょうか記憶が定かなら結婚以来毎年版画を彫っているように思います。絵はからきし描けないので人様の図案を拝借して私はもっぱら彫りと刷りだけです。昨今パソコン用の図案は本屋に一杯並んでいますが木版用のものはごく僅かしかありません。その中から干支に絡む出来るだけ可愛いもの(これは女房のリクエスト)、近況を書く余白があること、二色程度のものを選び一気に彫ります。ジャズを聞きながら「いけねェ」とか「やっちゃった」などと独り言をいいながら根を詰めて頑張ります。一通り出来上がると試し刷りをして細部を手直しするのですが酷い時は目を片方削ってしまったりしますがこれはもうどうしようもありませんので刷った後筆で修正などと随分いい加減な仕事です。前職時代は枚数も多く刷るのも一苦労でしたが今は随分減り女房の分と合わせ90枚程で今週土曜日に住所名前の㊞をついて出来上がり。そこから全部手書きで近況等を添えて完成という段取りです。実は結構楽しんでいます。

12月14日 営業担当者の雑記

両国橋のたもと。「年の瀬や水の流れと人の身は」と問うた其角に身を煤竹売りにやつした大高源吾が「明日またるるその宝船」と応じる。翌日其角は俳諧仲間で吉良上野介の隣に居を構える松浦候にそれを伝えたところ事の重大さを悟った候。と聞こえてくる太鼓の音。oh!あれは山鹿流の陣太鼓。さては浅野家の浪士達がとうとう討ち入ったかと助太刀に馳せ参じようとするとそこに大高源吾が仇討の報告にやってくる。「山を抜く刀も折れて松の雪」辞世の句を残し浪士達は主君の墓前に上野介の首級をそなえ切腹する覚悟だと明かす。有名な歌舞伎「松浦の太鼓」の場面ですね。実は私はこの場面を歌舞伎で見たことがありません。ただ亡くなった婆さまがこの時期になると毎度毎度「、、、明日またるるその宝船」とその場面を説明してくれました。きっと役者の名前も教えてくれたのでしょうが幼い私に分かるわけはありません。後年宝井其角が芭蕉の高弟であること。大高源吾は浅野家の浪士であること。そして何より12月14日が討ち入りの日であることを知りました。

12月11日 営業担当者の雑記

野坂昭如逝去85歳。また一人戦争を知っているその悲惨さを腹に持ちながら文学に政治活動に突き抜けた人が亡くなった。戦争を知らない、頭でしかその何たるかを知らない私達の世代からみれば一言一言、一語一語がとても重く本物だった。今さら言うまでもないが「火垂るの墓」はその深い悲しみと怒りの体験を乗り越えようやく言葉に出していえるようになった彼のもしかしたら懺悔の詩かもしれません。今朝の日経に大好きな寂聴さんの追悼文があります。彼女の思いがこもった素敵な内容です。悲しみばかりが、称賛ばかりが亡くなった人へのお悔やみではありません。寂聴さんが、脳梗塞で倒れ療養中の野坂昭如と対談した後編集者が瀬戸内さんをどう思われますかと聞いた時「や、さ、し、い」と答えて下さったと書いています。しかし実は彼こそ、その本質はやさしさだと思います。深い所にある優しさなのだろうと思います。才能があり勇気があり腹が据わり決して媚びたり言い繕ったりすることなくしっかりと人間の本質を見据えたそんな人が亡くなった。

12月10日 営業担当者の雑記

昨晩宇宙航空研究開発機構(JAXA)は金星探査機「あかつき」を金星周回軌道への投入に成功したと発表した。この「あかつき」は2010年に打ち上げたが主力エンジントラブルの為周回軌道に投入できなかったものだが金星へ再接近するこの時期に小型エンジンを使って軌道に乗せたとの発表。宇宙も金星周回軌道も全く分かっていない私の頭脳を飛び越えた快挙なのだろうと思います。金星に最接近するのは2016年の予定だったのを少しずつ軌道を修正(ここからもうそのメカニズムがわからないのですが)し何万通りだかある軌道のなかから金星の周回軌道に乗せるのにベストな道を計算したとのことです。私にとっては5年間毎日どれがベストなのか計算を続けた広瀬研究員の、軌道投入にあたり夫が「豆乳鍋」を作ってくれたというダジャレが唯一理解できた話ではありました。それにしても地球からは25万kmも離れ交信にも数分かかるという「あかつき」に信号を送りこんな緻密なことが出来るのかとただただ感心するばかりです。

12月9日 営業担当者の雑記

「初霜や朝の大地の緊張す:赤井よしを」このところ毎日慌ただしく過ごしていたので気が付かなかっただけなのでしょうか、今朝家を出て直の畑が真っ白になっていましたしさらに駐車場に止めてある車のフロントガラスにもびっしり白いものが張りついていました。吐く息が白いのにも今頃気づきました。「快晴の朝はじまりぬ」と吟じた方もいましたが今日はド快晴。いかにも冬空です。空気がピンと張りつめたような何かしら緊張感がある景色、空が澄んでいるときは辺りの輪郭がくっきりとしてこれもまた冬景色。昨今地球の温暖化が進みあちらこちらでその影響が出ているようですがこうやってまた、今年も訪れてきた冬の使者寒気団にある種の感慨を覚えます。季節の微妙な移ろいを頭で感じるのは粋ですが、目の前の景色の変化を肌で感じるのも生です。

12月8日 営業担当者の雑記

昨日の帰宅途中最寄り駅の傍にある個人タクシーの事務所兼駐車場に大根が5,60本干してありました。2階建ての1階入口5mほどに張ったロープにそれは干してありました。農家の軒先や畑に木を組んで大がかりに干してあるのはテレビで見ますがさてこんな絵は記憶にありません。ここに住んで2十数年経ちますが今までこんな光景はみたことあったかなア。大根を丸のままあるい適当な大きさに切って干すのはこの時期の風物詩で出上がった漬物や切干大根は私も大変好きな食べ物です。ばあさまがまだ生きていた頃毎年彼女の里から切干大根が送ってきていました。油揚げと一緒に薄口しょうゆで煮たものは何とも鄙びた味がしました。昨今の大根は甘くなりましたが私はピリピリするほど辛い大根を蕎麦に入れて食べるのもさらに汁が浸みこんだおでんも大好きです。庶民の食べ物としていろんなメニューになる冬の味覚、大根。ところで個人タクシーの軒先に干している大根はタクアンにでもなるのかしら。

12月7日 営業担当者の雑記

先日私達夫婦と今年家を離れた娘の三人で鎌倉に行ってきました。一応「鎌倉の紅葉を楽しむ会」という事ではありますが私達夫婦は久しぶりに娘とダベるというのが本音です。北鎌倉で待ち合わせ円覚寺、明月院と歩を進めました。娘は明月院の奥の部屋にある丸窓がえらく気に入り何枚も写真を取っていました。出口辺りに沙羅双樹が植わっているというと突然平家物語の一節を覚えているかという話になりました。私はどうしても最初の句を飛ばして沙羅双樹の花の色からしか出てこないのですが、そしらぬか顔をして樹が植わっているところの説明書きを盗み見してきました。「何覚えてないの?」「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり、、、」と講釈を垂れました。「すごい」などと娘におだてられニタついてはみましたが直に実はねとネタをばらしました。などと他愛のない話を延々と続け東京駅で晩飯を食べ分かれました。見知らぬ場所に住み社会人一年生になった娘ですがとても元気で仕事も半分くらいは楽しみながらやっているようで親としては一安心の一日でした。

12月3日 営業担当者の雑記

アメリカでまたなんとんもやりきれない事件がおきました。カルフォルニアで銃乱射の為14人が殺害されたと報道されています。男女二人の犯人は逃走後警察に依り射殺されたようです。犯人はテロリストの可能性も否定は出来ないとのことですが今年に入ってもう300件以上の銃による犯罪があるとのこと。そのたびに銃を規制しようとする動きもあるようですがここが日本人には理解できない歴史、国の成り立ちなのでしょうか直に立ち消えになります。確かに狂人が刃物をもっっている場合悪戯に傷つけられたり殺されたりするのは適わないのでその対策として銃を持つというのは多少の論理はありますが、私の感覚ではそれより銃は持てないようにする方が余程安全のように思います。アメリカでは銃関連のロビー活動が非常に活発で政治家は簡単に銃を規制することは難しいようですが大勢の人が何の関係もない狂人に殺されてしまうのは何ともやりきれません。

12月1日 営業担当者の雑記

とうとう12月になりました。今年は年初から営業が厳しいことは分かっていましたが、結局その通りになりそうです。いまからどうにもなりはしませんが出来る限りのことはやって一年を締めたいと思っています。まあいつものようにここだけは数字と離れるとして。今日も一日車に乗っていたのですがまあ天気のいいこと。小春日和とでもいうのでしょうか車の中はポカポカでうっかりすると瞼が重力に負けそうでした。「玉のような小春日和を授かりし:松本たかし」なんとも絵にかいたような小春日和でした。この松本たかしさんは能役者の家に生まれたのですが体が弱くお能は断念し子規について俳句を作り始めた人だとか。そんな生い立ちも影響しているのでしょうか特にこの句は暖かい、柔らかい、ふんわり、愛おしいそんな言葉が似合う心がホッコリとするいい句だと勝手に思っています。