3月9日 営業担当者の雑記

「一片を解き沈丁の香となりぬ:稲畑汀子」

昨日の帰宅途中家の傍までくると漂ってきました沈丁花の香り。沈香のような香りと丁字のような花を咲かせるところから付いた名前という事ですが、沈香の中でも伽羅は日本でも大昔から珍重されていたようです。丁字(クローブ)の香りは大好きなのですが花は見たことがありません。講釈はともかく昔から沈丁花の香りが大好きです。私にはこの香りはとても官能的で何かしら頭の中がもやもやしてきます。花の咲き始めと盛りの時ではその匂いが違うのでしょうか今は少し甘めの香りです。段々と薬臭さが増してくるのですがこちらのほうがもういけません。暗い道を歩いていてどこからともなく漂ってくるこの香りは私を想像の世界に引きずり込んでしまいます。女房に行ってもそんなことはないと言いますので私が唯変態性嗅覚の持ち主という事かもしれません。これからしばらくの間帰り路で私の頭は毎度おかしくなっていきます。

 

 

 

3月9日 営業担当者の雑記

今朝の霧は物凄かったですね。新聞を取りに行った6時過ぎは視界7,80mといったところでしょうか。なんか少し焦げくさい感じの匂いがしたのは気のせいでしょうか。そして通勤時7時過ぎになると少しは晴れていましたがいつも乗っている京成電車がまだ霧の中からライトの灯を滲ませながら通過していきました。霧は随分久しぶりです。一度朝霧で有名な大分県日田で素晴らしい景色に出会ったことがありますがこれとは少し出来方が違うようで放射霧とかいうそうです。毎日あるいは昼夜の温度差があるこの時期は地面の温度と大気温にかなりの差があり空気中に溢れでた水蒸気が霧になるのが原因のようです。コップに冷たい飲み物を注いだらガラス面に水滴が出来るのとは訳が違うのかしら?私が乗る電車に遅れはありませんでしたが埼玉方面では混乱もあったようです。昨今話題の「空中に浮かぶ城」というほどのことはありませんが束の間の霧の町でした。

3月7日 営業担当者の雑記

昨日福岡に住んでいる先輩から庭の白木蓮が咲いたとの便りがありました。添付されている写真を見ると確かにもう花がしっかり開いています。またもう一枚の写真は木の枝にオレンジの輪切りが置いてあり鶯が枝にとまっています。もうそんな時期になったのですね。梅に鶯といった写真は大概の場合メジロなのですがこれは本物の鶯です。鶯色というのがありますが元々は鶯本来の色灰色がかった緑褐色をさすのですが時に誤ってメジロの抹茶色を指している場合があるようです。鶯は福岡県の県鳥だとか。ところでこの先輩は至って元気且多趣味。学生時代に山岳部でならしスキーも本格派。山に雪が積もったと聞くと嬉々として終日単独雪中行軍を敢行し70歳はとうに過ぎていると思うのですが今年に入ってからも鳥取の大山、広島、北海道とスキー三昧。山岳写真だけでなく季節の花々の写真をこれでもかと言うほど懲りずに送り続け、盆栽の会に入りゴルフも結構な腕。退職後の時間を実に有意義に使っている何ともうらやましい人です。

3月4日 営業担当者の雑記

今朝待ちに待った水仙が咲きました。今年は先に房総保田で買った和水仙が咲いたのですが実はこれも随分久しぶりなのです。しばらく葉ばかり伸びて花芽が一向に付かない状態が続いていたのですが今年ようやく咲きました。そして今朝咲いた水仙は多分ラッパスイセンだと思うのですがいつどこで球根を買ったのかまったく覚えていません。これも和水仙と同じく葉ばかり茂らせてどちらがどちらなのか区別が付きませんでした。それが今年は何と両方とも咲きました。今のところ二株だけですがもういくつか花芽がついているので楽しみです。花が咲かない理由を保田の農家さんに聞きいろいろ試していたのですが中々うまくいかないので今年もダメなのかなと思っていました。水仙にも事情があり私が望むようにはいかないのでしょうがそれにしても「こいつぁー春から あ 縁起がいいやー」と歌舞いてもみたくなります。

3月3日 営業担当者の雑記

甚だ私事で恐縮ですが今日3月3日は愚妻の誕生日なのです。多分小さいころからお雛様と併せての御祝いだったろうと思います。いやー早いもので御年○○歳。随分可憐な頃もあったのですが近頃はすっかり貫禄が付いてしまいました。というと鏡を見なさいと言われるのですが確かにお互い様です。「箱を出て初雛のまま照りたまふ:渡辺水巴」といいますが娘が中学くらいまででしょうかもうお雛様はしまいっぱなしです。それでも最近は極小さな貝雛が一対玄関の棚に飾ってあります。そして帰ると多分子供達からの誕生祝いの花が届き華やかになっていることでしょう。この間「何か欲しいものはある?」と聞くと特にはないので美味しいものでもとのリクエスト。ということで今週の土曜日は幕張のホテルでディナーなどと思っています。よく今の私があるのは妻の御蔭ですなんてことをおっしゃる方がいらっしゃいます。私も真似をして妻に感謝の言葉なんぞをいってみようかしらとも思いましたが大笑いされるのが落ちなので軽く「おめでとう」位にとどめよう。

3月2日 営業担当者の雑記

さて鎌倉の梅第二弾。昨日は海蔵寺の梅とその境内が素晴らしいことを書きましたが今日は残念な話。鶴岡八幡三の鳥居を東に向かっってすぐ金沢街道沿いに「宝戒寺」というのがあります。ここは鎌倉幕府執権の跡地とのことで由緒正しいお寺のようですが私の興味はここの枝垂れ梅と紅梅です。もうかれこれ20年近くなるでしょうかこの時期になると時々通っており今回も楽しみにしてきました。ところが肝心の「枝垂れ梅」が甚だ心もとないのです。枝に勢いがなく花の数も少ないのです。高さは3,4m枝の広がりは4,5mほどあった筈です。それがとても縮こまって見えます。嘗て末の女の子が小さい頃は彼女が枝の陰に隠れてしまうほどそして木のまわりを飛び跳ね花の間から顔が見える様は感激したものです。受け付けの人に聞くと最近はどうもいけない寿命なのかなといいます。樹医さんに頼んでなんとかならないものでしょうか。この寺昨今は「思い思い」とか称して一本の木に白、ピンクの花が咲くと言う事で話題になっているようですが私は「枝垂れ梅」が心配です。

3月1日 営業担当者の雑記

先日鎌倉に梅見に行きました。毎年この時期の恒例行事で北鎌倉、金沢街道沿いに寺々を一日かけて訪ね歩いています。今年は全体的に時期が早かったのかどこもイマイチで定番の東慶寺も気にっている鐘楼脇の梅を始めあと一週間位かなという感じでしたがここは色んな花が植わっていますのでそれなりに楽しめました。今回の目玉はここから亀ケ谷坂を抜けての海蔵寺です。東慶寺から線路を渡り左に建長寺を見ながら切り通しに入ります。急な坂の上り下りを経て門にたどり着きますとまず階段を登り切った所に大きな枝垂れ紅梅が満開で迎えてくれます。後方の山の緑に揺らぐ濃い紅色が映えさらに寺の古色とのバランスが何とも結構なんです。梅の下にちょこっと植わっている福寿草もアクセントです。本堂前の長いすに座り用意してきたコーヒーでしばしの休憩。と目の前にシャクナゲが勿論まだ花は咲いていませんが10本位でしょうか植わっています。この寺の名物海棠の時期と、このシャクナゲの時期には是非もう一度訪れたいと思います。

2月29日 営業担当者の雑記

今日は2月29日。4年に一度の閏年の為平年より1日多いのですね。グーグルのデスクトップ画面もウサギが28日と1日の間に割り込んでいます。私の仕事は週単位なので一日長くても影響はありませんが何とか今月も予定通りに乗り切りました。一般的には昨年対比という数字が営業のメインの指数のようになっていますが、これにはいろんな要素が絡みますので単月単月でのみ見ていると危険です。私は三ヶ月とか六ヶ月といったもう少し長いサイクルで見る必要があると思っており、毎月の実績に一喜一憂せず目標を追いかけることが大事だというのが持論です。そうはいっても会社に雇われている限り数字への評価を無視するわけにはいきません。一番望ましいのは毎月の好成績の結果半年、1年の目標をクリアすることでしょうが中々そう上手くはいきません。見る人の興味の度合いで実績数字へのコメントが違いますので営業たるもの自分をしっかり持ってなくてはいけませんよね。

2月25日 営業担当者の雑記

今朝は久しぶりにほんの少しですが雪が積もる寒い朝でした。先日83歳の男性が77歳の認知症の奥様を殺害したというニュースがありましたが、その男性が23日に亡くなったと報道されていました。奥様を殺したのは実は老老介護に疲れ無理心中を図ったのだが奥様だけが亡くなったこと。さらに留置所では水以外一切食事は口にせず、病院でも食事を取らず点滴をしていたのだという。何とも悲しい事件です。自分のこととして考えてみるとぞっとします。仮に妻が認知症になったとして徘徊したり昼夜の区別がつかなくなった時彼女を人間の尊厳を持って介護することが出来るだろうか。誰が好きこのんで長年連れ添ってきた妻に手を掛けましょうか。もうこれ以上他に方法がないと思ってしまった彼を誰が批難することができるのでしょうか。近所の人たちは助けることは出来なかったのかと自省し役所は相談があれば何とかなったのにとかいいますが彼としては無理心中が成功していればよかったのかもしれません。妻殺害から自ら命を絶つまでの彼の苦しみは想像を絶するものがあります。

2月24日 営業担当者の雑記

昨日会社からの帰宅途中いい景色を見ましたのでご紹介します。会社を出るとまもなく個人所有の梅林があり5,60本の白梅が植わっています。そこは道沿いではありますが1.5m位高いところにあります。6時過ぎくらいでしたでしょうか会社を出てまもなく遠くから梅の香りが漂い始め近づくにつれ段々濃くなってきます。空は薄暮れでまだ少し青さが残ってはいるものの辺りの景色はくっきりとはしていず、少し見上げると垣根の向こうに満開の梅の花が薄墨で描いたように見えます。さらに昨日は満月だったのでまだ上りきらないお月さんがまん丸く木々の間から見えます。お月さんの色も煌煌と照らす黄色ではなく少し白っぽく全体がぼやっとしています。夕暮れの桜のような妖艶さとは違いゆっくり流れる時間と薄ぼんやりとした空間と清らかな香りが混然一体となって一幅の墨絵を見ているような何とも雅な夕暮れでした。春は曙も結構ですが夕暮れも味があるもんだなと思いました。