4月8日 営業担当者の雑記

バドミントンの日本を代表する二人の選手が違法カジノ店で賭博をしていた疑いで警察が事情聴取を始めたとの事。二人は所属会社に対し事実を認めているようだ。一人の選手は世界ランキング2位でリオオリンピック出場が確実視されていたが今回の件で日本バドミントン協会は推薦しないことを決定したとのこと。この両選手は国内では抜群の成績で所謂スター選手。言動も派手でバドミントンを目指す子供達の憧れだったようだ。才能にも恵まれてはいたでしょうがそれでも並み大抵の努力ではチャンピオンにはなれないでしょうにもしかした選手生命も危ないかもしれません。海外でもこういった場所に出入りしていたとの事なのに周りの人たちは注意することはなかったのでしょうか。それとも天狗になっている二人は聞く耳を持たなかったのでしょうか。試合後のコメントでは随分勇ましいことをいっていましたが、あくまでバドミントン選手としての評価であって自らその名誉を傷つけてしまったら一介のおバカにいちゃんってこと分かってるのかなア。

4月8日 営業担当者の雑記

今日電車に乗っていたら私立小学校の生徒が「今日は入学式なので。。」と話していました。どの学校も大体この時期ですね。自分自身のことになるとあまりに昔のことなのでよく覚えていませんが中学、高校には母親と行ったような記憶があります。入学式は大体平日にあるので子供たちの時にも多分妻だけしか行ってないと思います。学校には大概桜の木が植えてあり入学式の頃は満開というのが定番ですがもし明日が入学式の場合は少々危ないかもしれません。今朝の天気予報では今晩は傘をさして歩くのが大変な程の風が吹くとの事です。まあそれでも地面一面が花吹雪というのもいい思い出になるかもしれません。いつの世も入学式、入社式というのは希望に満ち前途洋洋とした雰囲気を漂わせた人々が集いいい雰囲気ですよね。私はもう少し桜を楽しみたいので「春風の花を散らすとみる夢は起きても胸のさわぐなりけり:西行」といったところです。

4月6日 営業担当者の雑記

今日はいい天気なので営業に出ました(?)。先日八柱霊園脇の桜並木が切られたり間引かれたりでがっかりだと書きましたがやはり満開になると凄いです。特に市立松戸高校から紙敷にかけて木々が両側から空に向かって伸びており青空に映える薄いピンクの花が少し散り始める様は桜の花びらに囲まれて走るような感じです。歩道も結構広いのですが勿論花見客もいず満開を楽しめます。車の運転には注意が必要ですが。またさらに国分川の黎明橋から下流にかけて嘗ては草が伸び放題で汚い川だったのですがちょうど付近で堤防の工事をしている為草を刈り取っており河原一面に植わった菜の花と川岸の桜が満開でとても鮮やかなコントラストです。この川岸は松戸向陽高校の学生さんや散歩、犬連れの人たちで比較的人が多いのですがこの時期はちょっと点数が上がりそうな景色です。今年はあまり見えませんでしたが丁度この位置からは富士山やスカイツリーが顔を出し夕焼け時は一層眺めがいいところです。

4月5日 営業担当者の雑記

今日は久しぶりに寒い朝でした。花冷えとでも言うのでしょうか。先週末には大体桜も満開になっているようですからこの寒さで花の時期が伸びることになるのでしょう。この時期新聞のコラムには必ず「西行」の歌が一つ二つ紹介されますよね。確かに花(桜)の和歌をこれだけ沢山そして様々な表現でその花狂いぶりを表現した人もいないかもしれません。でも平安時代末期戦乱の世に生きた彼は花を愛でただけの軟弱坊主ではなく世を捨てたといいながら結構政治的な動きもしているのですね。ある時は高野山の寺の勧進の為に平泉に行き途中鎌倉で源頼朝をあしらったり同じ職場にいた平清盛に金の無心をしたり。若いころは北面の武士として文武両道に秀で女性にもて出家してからも都と高野山、伊勢、東北を行ったり来たりする行動派で彼の居る所に女御達が慕ってきたといいます。思い通り花の盛りに亡くなったというのは出来過ぎですが。「おしなべて花の盛りとなりにけり山の端ごとにかかる白雲」今年もあと少し花を楽しめます。

 

4月4日 営業担当者の雑記

昨日は曇りでしたが桜真盛りということで朝から出歩きました。まず近所の花見川沿いはまだ6,7分といったところでピンクの提灯がたくさんぶら下がり宴会の用意は出来ていましたが花は少し早い様子。次に市川弘法時(ぐほうじ)の枝垂れ桜。急な階段を上り切った境内に鎮座する「伏姫桜」と名付けられた樹齢400年の一本桜。ここはもう20年ほど前から見に来ているがやはり高齢の為か樹勢は衰え加減、花の数も心なしか少なくなったように思います。それでも樹高15mから10m四方に流れ落ちる花は見事なもので付近に植わっているソメイと合わさり桜色の霞が掛かっているようでした。近くなので里見公園にも行きましたが花より団子の方たちで賑わっていました。そしてこれも近くのじゅんさい池緑地にも行ってみました。前から気になっていたのですがここは人も少なく池の周りには大きなソメイが池にしなだれかかり八重がアクセントになり予想外の素晴らしさでした。朝からどんよりした天気だったのですが少し明るくなりシャッターチャンスも出来ました。

3月31日 営業担当者の雑記

3月末日。公官庁など3月が年度末の会社は大変な一日なのでしょうかそれとも余裕なのでしょうか。私の会社は決算ではないのでいつも通りです。3月の実績はボチボチということで今日は4月の営業に回ったのですがこのところの暖かさで桜が一挙に開花し始め今週末に松戸のあちこちである桜祭りは大丈夫のようです。さくら祭と花の満開時期は結構ズレるのですが今年はぴったりです。各場所とも四方に伸びた枝が邪魔だったり危険だったりあるいは古い木が倒れるおそれがあったりということで沢山の木が間引かれています。八柱霊園脇は車の通りに覆いかぶさる程見事でしたが今年は随分減っていますし空がくっきり見えます。常盤平のさくら通りは提灯がスタンバっていました。ここも結構隙間がありますが道が比較的狭いので歩行者天国になるとそれでもまだ楽しめそうです。まあいずれにしても花より団子、酒の肴の花なら十分雰囲気はあります。新松戸中央公園にはもう花の下に陣取っている人たちがいました。

3月30日 営業担当者の雑記

今日日経夕刊の「プロムナード」という欄に劇作家前田司郎氏のおもしろい文章を発見した。彼は今マドリードで現地の演出家、俳優たちとワークショップを持っているのだがその時に感じたことがその内容です。外国の人と共同で何かを作るときいつも感じるのが「もどかしさ」で日本人と芝居を作っている時も感じるが少し質が違いまるで自分が子供になったような気がするというのだ。彼はスペイン語が出来ないようで片言の英語同士でスペイン人と演技に付いて話すのだが5歳時程度の英語力で語るときいろんな発見がある。もどかしさ、つたわらなさ、そして会話が成立した時の嬉しさ。だけどいくら言葉が上手くなっても本当のところ僕たちは互いに理解し合うことなど出来ない。言葉が通じると何となく理解し合っていると感じてしまうが、それは全部気のせいではないかと思える。言葉の壁は日本人同士にもある。僕たちは互いに理解し合えない。なのに理解し合おうと努力する。だから人間の営みは時々、美しいのだと思う。とても示唆に富む話だと思いました。

 

3月29日 営業担当者の雑記

先日2年余り行方不明になっていた女子中学生が救出されました。報道によると弁護士を装った若い男に両親が離婚するのでなどと声をかけられそのまま監禁されていたようです。男は中学生が逃げられないようにドアに細工をしていたようですが、とりあえずは命があってよかったとはいうもののこの男許せません。ご両親の喜びはいかばかりか。お父さんが「娘は行方不明になった当時は155cm位だったのに160cmくらいになっていた」とおっしゃっていましたが心も体も大きく変わり大人になって行くこの時期の子供の人生を奪ったこの犯人。そしてこの犯人のご両親もこんな子に育てた筈じゃなかったどんなにか心を痛めていることでしょう。大馬鹿野郎。親不孝者。御近所の人たちなどボランティアの人たちが街頭でチラシを配り何とか消息を掴もうと協力してくれたとの事ですが本当に無事でよかった。これから2年間で受けた心の傷をどうやって癒していけるのか。何とか早く本来の彼女に戻ってほしいものです。

3月28日 営業担当者の雑記

先日佐倉の川村美術館の公園にハクモクレンを見に行きましたが色が汚く珍しく期待外れだったので近所の佐倉城址に桜を見に行きました。シャレではないのですがここは桜で有名なところです。ソメイヨシノはまだまだこれからですが大寒桜、寒緋桜、ハナモモが満開で少し濃いめの桜と真っ白なハナモモがとてもきれいでした。来週あたりにはソメイが満開になり大変な人出になりそうですが一足先にゆっくりと楽しめました。私はソメイヨシノの花霞もいいのですが年を経て大木になった大島桜、山桜が四方に枝を張り艶やかさを競っている姿も大好きですしここの寒緋桜の少し派手目の色も気に入りました。ところでここの木には名札が付いておりよくみると桜の種類は結構沢山あるのですね。まだ咲いてはいませんでしたが今まで聞いたこともない「ヒナギクサクラ:この名前はネットで調べても出てきません」「普賢象桜」などといったものもありました。桜を普及する会の人たちが付けたようですがどこもが同じDNAをもったソメイばかりでなく色んな種類の桜も見たいものです。

3月25日 営業担当者の雑記

今朝の朝礼で社長が「今日プロ野球セ・パ両リーグが開幕する」といったのを聞いて初めてそれを知りました。いつからだろうかプロ野球にまったく興味がなくなったのは。私の小さい頃はスポーツといえば野球か相撲くらいでどちらも大変夢中になりました。福岡育ちなので今はなき地元の西鉄ライオンズと唯一テレビ中継があった巨人ファンに分かれていましたが私は熱狂的な巨人ファンでした。長島さんが立教大学の頃から、王さんが甲子園を熱狂させたころからずっと野球がそして巨人が大好きでした。レギュラー選手は勿論控え選手、監督、コーチに至るまであらゆる情報を仕入れては友達と自慢話をしあいました。それが何がきっかけなのかよくは覚えていないのですがすっかり巨人にもプロ野球そのものにも興味がなくなりました。子供達は近所の野球チームに入っていましたがそれでも特定の球団を応援することもなく家でプロ野球の話題になることはまずありませんでした。今日といういう日も私には3月25日にしかすぎません。