4月22日 営業担当者の雑記

このところ通勤途中いかにも新入社員、新入学生といった感じの人たちと大勢出会います。まだ何となくスーツ姿がしっくりしない新入社員が電車の中で日経新聞を読んでいたり、配属先の仕事について情報交換していたり、あるいは女子大なのでしょうか黒のスーツ真っ白いブラウスにまだ化粧も薄い人たちが集団でいたりそして一番目につくのが新中学生です。まだいかにも小学生といったサイズの子、見上げるほど大きな子、甲高い声の子、しっかり声変わりをしている子など様々で本当に成長過程をみているようです。女の子も少し大人びた子も中にはいますが何も気にせずスカートをパタパタしたり無邪気な動作をしたり。女の子は成長が早いのでこれからどんどん背丈が伸びあっと言う間に大人に近づいていくのでしょう。今も昔も新しい環境に入って行くのはとても楽しみであり不安でもありますがそんな時間を経過していく中でみんな成人していくのでしょう。ややこしい、忙しい時代ですがみんが悩みながらでもすくすく育っていくのを祈るばかりです。

4月21日 営業担当者の雑記

今日久しぶりに松戸運動公園横の道を通りました。市民病院と運動公園の間の中央分離帯がある結構広い道です。正式な名称は知りませんがこの時期中央分離帯を中心に植わっている「ハナミズキ」がとてもきれいです。白い花が圧倒的に多いのですがピンクのもちらほらあります。さらに運動公園内は入り口からずっとハナミズキ並木でここはピンクが多くとてもきれいです。「ハナミズキ」は今から100年近く前に当時の東京市長尾崎行雄がワシントンDCにソメイヨシノを送った返礼として数年後に日本に来たのが始まりと聞きます。そのときの花はほとんど残っていないようですが今では日本中のあちこちに「ハナミズキ」並木を見ることが出来ます。枝が横に張り樹高も自然のままだと相当に大きくなるようで花が実に愛らしいですよね。先日上野の国立博物館の玄関横に白とピンクが一本づつ植わっているのを見ましたがこれが実にすばらしい。色の濃い方はピンクというよい少し赤みが強く芯の方が薄くまるで蝶が舞っているようで暫く立ち止まって見入りました。

4月20日 営業担当者の雑記

熊本の大地震は余震が激しく被災者の方々は本当に疲れ切っているようです。救援物資も続々と送られているようですがなかなか現地の必要な人たちの手元には行き届いていないとの報道もあります。そんな中気になるのが「エコノミー症候群」が原因とみられる死者が既に11人にも達していることです。この病気名前の印象とは随分異なり恐ろしい病気なんですね。一般的には長時間狭い場所であまり動かないでじっとしていると足の静脈に血栓が出来それが何かの拍子にちぎれ血液に乗って流れ肺に到達し肺の動脈を閉塞するのだということです。飛行機に長時間乗った時に起きる症状から付いた名前のようですが長時間の鉄道、車での移動、会議などでも起きるのだとか。水分、運動不足が主要因のようで今回女性の被害者が多いのはおしっこを出来るだけしない為に水を飲まないのが原因との指摘があります。食料品以外簡易トイレ、生理用品など気づきにくいものも車上生活をしている人たちを含め至急届けなくてはいけませんね。

4月19日 営業担当者の雑記

今朝の新聞に「ボストン・マラソン、君原健二さん完走 50年前に優勝」という記事がありました。まあ何と懐かしい名前でしょう。メキシコ、ミュンヘン、東京の三五輪大会に出場した名マラソンランナー。特にメキシコでは銀メダル。あの釜本、杉山がいた時のサッカーチームが取った銅メダルと共によく記憶に残っています。君原健二選手はいつも首をかしげ苦しそうなフォームで耐えて苦しんで走るその姿はなるで修行僧のような雰囲気がありました。出場レースすべてに完走し引退後も市民マラソン等で走りファンを喜ばせているようです。彼は期待されながら8位に終わった東京五輪に一緒に出場し3位になった円谷選手の命日にはずっと墓参を続けているのだとか。円谷選手は五輪後「幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません。」という遺書を残して自刃した選手です。一緒に練習した仲間とはいえ円谷は3位期待されていた君原は8位ということで素直に祝福することは出来なかったその選手に50年近くもです。彼の人柄がわかるエピソードです。

4月18日 営業担当者の雑記

昨日久しぶりに家の周りの雑草を刈りました。暖かくなり雨が降るとあっという間に雑草が伸びてきます。どなたかが「世の中には雑草という草はない」といったとか聞きましたが確かにその通りなのですが通常雑草と呼んでいる草はなんだか活力旺盛といいますか季節がくると物凄い勢いで繁殖します。どこからか飛んでくるのかあるいは鳥の糞に混じっているのかこれからの時期ちょっと油断をしていると大変なことになります。最近は特にタンポポが目立ちます。背が高く花の色がくっきりとして大きいものです。多分「セイヨウタンポポ」と呼ばれている外来種だとおもいますがこの花何と環境省指定要注意外来生物で「侵略的外来種ワースト100」に選定されているのですって。単為生殖で種を付け甚だ元気な為にこうなっているようですがもう少し調べてみると外来種タンポポが必ずしも固有種を駆逐しているようではなさそうですが何しろ蔓延り方が凄いので私は出来るだけ根っこから抜く様にしています。

4月15日 営業担当者の雑記

昨晩居眠りをしながらテレビを見ていたら突然アナウンサーの調子が変わり地震のニュースを伝えました。震源地は熊本県中部、震源の深さは約11km、マグニチュード6.5、同県益城町で震度7と非常に強い地震との一報。NHK熊本放送局の様子がライブでありましたがこれを見るとかなり強烈な揺れだったようです。時間が経つにつれ現場の様子が分かり始め家屋の倒壊、道路の亀裂、がけ崩れなどが多発。新幹線、鉄道、高速道路、ガス、電気などライフラインはストップ。避難する人達の実況中にも余震に脅えている声が聞こえてきました。私は以前熊本市内に赴任していたことがありますので報道の内容が頭の中でどんどん具体化していきます。このあたり昔は農家が多かったのですが今ではIT関係の会社、車製造の会社などが沢山あります。昼間は幾分温かくはなってきたとはいえ熊本の山間部は冷え込みます。余震の怖さとあいまり眠られぬ一夜を過ごした方か多いのでしょう。何とか被害が最小限にとどまって欲しいものです。

4月14日 営業担当者の雑記

今日は商談一件があっさり終わったので溜まっているデータの整理をしているのですがふと会社の門をみるとナツツバキの葉がとてもきれいになっていましたので見に行きました。しばらく前はくるくるまるまっており色はまるで違いますがく紡錘状の毛虫のようなっていましたが、これが開き今までは隠れていたう少しつるっとしたやや濃い緑色の葉が表になっています。全体的にとても優しい感じの木でこれから葉が大きくなり6月には直径5~6cmほどでしょうか5枚の縁が少しギザギザになった柔らかい純白の花が咲きその中の真黄のおしべが鮮やかなコントラストになります。私がこの会社に入った時から植えてありますがその間少しづつ背丈も伸び毎年着実に花を開きます。「シャラ」の異名もありますが地方に依っては「サルスベリ」とも呼ぶようです。成長すると「本家のサルスベリ」のように幹がめくれてくることからそう呼んでいるようです。花は朝開き夕方には落花するのですが咲いている時の状態のままでボタッと落ちているのも風情があります。

4月13日 営業担当者の雑記

拙宅の海棠が満開になりました。この花は一か所から5,6cmの細長い茎に真ピンクの八重の花びらがついている何とも派手な花です。もう7,8年になるでしょうか亡くなった母親が大好きだったので植えたのですが現在樹高さ2m足らずで枝という枝から沢山の花が垂れ下がっています。時々どうして母親はこの花が気にいっていたのかなと考えたりしますが彼女とこの花が結び付くのは生家の近所にあった鎮守さんの門を入った所にこの樹が植えてあり私が小さい頃時々お参りに行っていた記憶があるくらいです。母方の祖母は戦争未亡人でお茶とお花を教えながら5人の子供を育てたとても気位の高い人でした。その祖母にお花を習った母親が海棠を活けていた記憶はありません。華道のことは全くの門外漢ですがあんなに目立つ花は活けにくいのではなかろうかと思います。桜と比べると花の色はとても濃く、八重桜程のうざったさはありませんがそれでもかなり密集して咲いています。彼女が亡くなったのは2月ですがこの花が咲くと母親を思い出します。

4月12日 営業担当者の雑記

今日4月12日は私の好きな歌人のひとり窪田空穂の命日です。彼の作品は派手でも劇的でもありませんがその飾らない、自分の心に忠実な歌はじんわりと浸みてきます。若い時には次々に子供をそして最愛の妻をも病気で亡くしてしまいます。その時の歌は電車の中では読めないものばかりです。「今ははや現なき子が顔まもり涙ながして何いふや妻」そしてその妻をも亡くした時は「人呼ぶと妻が名呼べり幾度をかかる過ちするらむ我れは」と慟哭しています。さらにさらに関東大震災の時の一首「死ねる子を箱にをさめて親の名をねんごろに書きて路に棄ててあり」です。その情景は手に取るように視えます。無念この上ない親のせめてもの供養、心の葛藤までが分かります。多分その場での作ではなく家に帰ってあるいは心の整理が出来てからの作だとは思いますがこんなに哀しい表現がよくできるものだなと芯の強さなのか作歌意欲なのか、感心してしまいます。晩年になっても決して老成せずいつも己を見つめ続けていた空穂でした。

4月11日 営業担当者の雑記

桜の追いかけが一段落しました。今年は樹齢400年ともいう市川弘法寺の伏姫桜、800年になろうかという北本市東光寺の石戸蒲桜、100年は経ているだろうという市原市の与市郎桜といった一本桜と冬桜、オオシマザクラ、ソメイヨシノなど色んな桜が5000本以上とも言う妙義山の桜の郷等に行ってきました。伏姫桜は二十数年前見たときからは大分弱ってはいますがそれでも大きく広く垂れ下がる枝枝は豪華です。。東光寺の蒲桜は流石に最初の木ではないようですがそれでも樹高、枝ぶりは貫禄があり少々満開を過ぎ散った花びらが地面を覆い尽くしていました。与一郎桜は何ともあけっぴろげな民家の高台にあり最近は小湊鉄道の宣伝にも使われていますが遮るもののない空間に向かって枝が伸びとても楽しい桜です。また妙義山のは吉野山をイメージしていたのですが山の斜面、谷などに纏まって咲いており見渡す限りの桜という風情ではありませんがそれでも薄い、濃い、花びらの大小などいろんな種類があり足腰の疲れも吹っ飛びました。