6月13日 営業担当者の雑記

昨日お蕎麦を食べに行った時の話です。いつになく混んでおり少し待たされましたが間もなく案内されました。我々が席に付き注文したすぐ後隣のテーブルに初老のご夫妻が席に付き注文されました。さらにそのすぐ後彼らの隣に4人の若いお客さんが席に付き注文されました。私達は順調にお蕎麦が来たのですがお隣さんには中々来ません。隣の旦那さんが店員さんに「まだこないの?永久にこないと困るので」と皮肉を交え催促しました。店員さんは厨房に確認したようで「すぐに来ます」と返事をしましたが一向に来る気配はありません。そのうちに後から注文した4人組の3人分が届きました。そして次は自分達の番だろうと思っていたお隣さんを通り越して残りの一つが届きました。「プッツン」音が聞こえました。出よう。お二人は注文したものを見ずに店を出て行きました。まもなく店員さんが注文品を誰もいない席に置いていこうとするので「もう帰られましたよ」と教えてあげました。店員さんはとても不思議そうな顔をしていました。

6月10日 営業担当者の雑記

昨日久しぶりに娘に会いました。待ち合わせて一緒に買い物に行ったのですが私達の前を歩く娘を見て「本当に光ちゃんのお尻に似ているわね」と妻がいいます。光ちゃんとは亡くなった私の実母で彼女が逝ってからは二人ともこう呼んでいます。二人並んでいると正に親子だなという人たちもいれば我が家の子供達は少しづつ誰かに似てくるっと一回りするのですが個々はかなり違います。私達のどちらかに特に似ているわけではありません。体格、性格、顔かたち、声、足の形、手足の長さ、色沢山の要素がある中、娘と母はお尻の形がそっくりなのです。でもこれは娘に大きな声では言えません。何故って実は大きく少し垂れ気味なのです。私はケツ自慢だし妻も昔は小尻でした。どう見てもも私達の遺伝子ではないのです。母が亡くなって早9年毎年命日は信仰心のない私も蝋燭を灯しお線香を上げますが平生に母を思い出すこともめっきり減ってきた中、娘のお尻は久しぶりに母親を思い出させてくれました。

6月8日 営業担当者の雑記

朝刊にイスラエルに「スギハラ通り」の記念式典が行われたとありました。いうまでもなく第二次大戦中にナチス・ドイツの迫害から多くのユダヤ人を救った日本の外交官「杉原千畝」の名前にちなんで命名されたものです。戦後70年を過ぎ当時の関係者も数少なくなった今このような催しがあることに驚きます。ビザの発給を受けたと言うニナ・アドモニさん83歳も当時は12,3歳くらいでしょうか。きっと親から千畝氏から受けた恩について何回も聞かされそしてこの年まで生きて来られたのも70年前あの時杉原さんが取った勇気ある行動のお蔭だと感謝しているのでしょう。決して遠い昔のことではなく今に関ることなのですね。我々はともすれば全てを水に流すことで受けた恩まで忘れてしまいがちですがこうしてよその国の人たちがいつまでも杉原氏の功績を讃えているのは素晴らしくそして我々も見習わなければならないことだと思います。

6月7日 営業担当者の雑記

昨日6月5日に遡って関東甲信越地方の梅雨入りが宣言されました。雨の日が多くじめじめして体調管理が難しくちょっと油断していると食べ物に黴が生える厄介な季節がやってきました。梅雨とは揚子江沿岸、日本列島の6月上旬から7月上旬にかけて生じる雨季の事を指し梅の実が黄色く熟すことからその名がついたようです。そして旧暦の5月即ち新暦の今時分に降る雨の事を五月雨といいます。この鬱陶しい季節が意外に日本の風土を作っているのかもしれないなどと思ったりします。例えば奥の細道にも「五月雨を集めて早し最上川」あるいは「五月雨の降りのこしてや光堂」といった名句があります。芭蕉はこの季節に中尊寺金堂を見た時の印象を、濡れた青葉の中にあたかもそこだけは雨も降らず浮き上り燦然と輝いている様に見えたと表現しました。実際に雨が降ったとか金堂の周りだけ降らなかったとかそんなことではなく芭蕉の気持ちとしてはそういう状況設定である必要があったのでしょう。正に彼独特の詩的感覚の句だと思います。

6月6日 営業担当者の雑記

昨日佐倉先﨑で催されたラベンダー祭と佐倉城址であったあやめ祭りを楽しんできました。ラベンダー祭の方は個人の農家が主催されているようですがそれにしても人がとても少なかった。花は今真っ盛りで合成の芳香剤とは違うはるかに優しい何とも言えない香りが辺りに漂っています。ミチバチや蝶が飛びまわり蜜を吸っています。そんな中でのアイスクリームは格別においしかった。城址公園の方は売店が立ち並び着物を着た女性たちがいたり遠くから琴の音が聞こえてきたり。菖蒲は満開で八ツ橋を巡ると色鮮やかな紺、黄色、薄い青、白様々な花が今を盛りに咲いています。周りにはアジサイも大分咲いておりいかにも初夏。ところで城址公園においてあったパンフレットを見るとしょうぶ祭、朝顔展、ひまわり、花火などの紹介はされているのですがラベンダー祭はどこにも見当たりません。佐倉市あるいはその関係先の主催ではないからなのか多分関東では珍しいラベンダー畑をもう少し宣伝すればいいのにと思いました。

 

6月3日 営業担当者の雑記

朝刊に北海道で行方不明になっていた小学2年の男の子が6日ぶりに発見されたと言うニュースが出ています。このところ夜も暖かい関東ならいざ知らず北海道で食べ物もなく薄着で熊もいると言う山の中を一人で、、、。もう駄目なのでは、あるいはもっと悪いことまで想像してしまいましたが何より無事に発見されて本当に良かった。自衛隊の演習地の中で鍵が開いているところがあったのか部屋の中で過ごしていたようです。水だけで生き延びてきたのですね。たまたま雨の為に避難してきた自衛隊員に発見されたようですがこれも偶然。小学2年の子が何日間食事をしないで生き延びられるのか知りませんが飢え、孤独感などとても大きなストレスが掛かっていたでしょうに。なぜこうなったのかについてはよく知りませんが、何より無事発見出来てよかった。これから彼の心に残るかもしれない「何か」をしっかりとほぐしてまた今までと同じように家族で暮らせるようになってほしいものです。

6月1日 営業担当者の雑記

「ゆひ目解ばみな咲て居り萩の花:田上菊舎」昨日こんな句を見つけました。作者は天明・寛政の女性俳人のようですが何故気になったかというと、実は我が家の萩がまさにこの状態なのです。萩は毎年切っても切っても新しい芽を出ししかも伸び方がとても速くあっという間に1mほどになりました。枝をどんどん伸ばし横を通ることも出来ないので支柱をたて紐で結っているのですが、更に上に伸びるので一度紐を解いたところこの句のような状態が現れました。万葉の昔から好まれ秋の七草の一つでもあることから、勝手に萩は秋の野に赤紫色の小さな花を一杯付ける情緒のある花だと思い植えたのですがこれが間違いです。物の本に依ると荒れ地には他に先駆けてこの花が咲き英語でもBUSH CLOVERというようです。何しろ強い植物です。まあ腕白な子が時々見せる笑顔とでも思って精々大事にして行きましょう。

5月31日 営業担当者の雑記

安倍首相が消費増税を延期する様ですね。サミットで用意周到に準備した資料を官僚に作らせ精一杯延期のアリバイ作りをしていたのが少々滑稽なほどでした。難しい経済の話は専門家でも賛否両論ある中私に分る筈はありませんが一つだけ言えることがあります。私は今中小企業に勤めています。勿論業種にも依るのでしょうが業界の集まりなどを聞いているとアベノミクスの影響はどうもないようです。自動車産業を筆頭に超大手企業は確かにかの「ミクス」の恩恵を受けベースアップも順調に実施されているようだし有効求人倍率も2年半ぶりの高水準という。しかし平均というのがとんでもない曲者で1%の富裕層が世界の富の半分を稼いでいるように、日本でも労働人口の1割程度しかいない上場企業のそのまた一部の超大手企業で働く人達の収入が平均を引き上げており私達中小企業に働く者には景気がいいとは思えません。圧倒的に多い低所得者層には言うほどの好景気感はないと思うのですが。

5月30日 営業担当者の雑記

通勤途中の庭に咲いているピンクのヤマアジサイが満開です。最近あちこちの家にこのヤマアジサイが咲いているのを見かけるようになりました。流行りなのでしょうかいろんな色の種類がありとても可愛い花です。今日のような雨の日にはアジサイは本当によく映えます。昔はアジサイというと七変化の紺というイメージでしたが今神社、寺などで盛んに開かれているアジサイ品評会などでは色も形も大きさも様々な花があり目を楽しませてくれます。我が家の柏葉アジサイ今年は七房の花が咲きました。例年葉ばかり茂りほとんど花が咲かないので今年は豊作といえるのでしょう。それにしても我が家のこの花驚くほどの葉が生い繁っています。あまりに増えすぎるので昨日もまだ花の時期なのに大のゴミ袋に入り切れないほど葉を摘みました。見えるようになった地面には根が猛烈に伸びており放っておくと狭い敷地一杯に拡がりそうなのでそのうちに根も少し整理しようと思っています。

5月27日 営業担当者の雑記

今朝の日経朝刊に作家村上龍がある広告に載せた内容がおもしろかった。40年近く前に氏がケニアとタンザニアの大草原にいったときの話です。このあたりは人類が誕生したところなのでかこの旅は強烈で心安らぐ懐かしさがあったと書きさらに現地であった日本人霊長類学者に「わたしたちの祖先はどうして直立二足歩行を始めたのか、樹で生活していて地上に降りてきた人間はサバンナでは立ち上がってしまうと危険な動物とかに見つかってしまいやすいのに」と聞いてみた。学者曰くそれへの定説はないのだが彼の気に入っている仮説は「立ち上がったことで両手が使えるようになり獲得した食べ物を洞穴などにすむ家族や隣人たちに持ち帰ることができるようになった。祖先は一人では生きていけないことを知っておりコミニュティの起点を作る為に立ちあがった」というものです。広告に載せるにしては随分深い内容の話でした。