10月11日 営業担当者の雑記

このところ朝晩が急に涼しくなってきたので今日から上着を着始めました。つい1週間くらい前は異常気温だとか言って最高気温が28,9度ありましたが今日は22度くらいまでしか上がっていないようです。でもこれが平年並みなんですね。昔の人は畳の目一つ分づつ日の入りが早くなると言っていますがやはり随分早くなってきました。もう5時になると暗くなってきたように思います。私暑い間は腕時計をせずズボンのポケッに入れていました。時計のバンドが革製なので臭くなるしなんだかじっとりしてくるからなのですが、今日は無意識に時計を腕に巻いていました。いつの間にか移って行く季節の変化は体に浸みこんでいるのでしょうか。植物などは微妙な温度の変化に対応して花の時期が早まったり遅れたりしますが私も秋花粉のせいか少々鼻炎気味になってきました。昔あさまは何故だか「秋はさみしいねエ」といってました。いよいよ秋本番です。

10月7日 営業担当者の雑記

昨日、天平神護元年(765年)と記された木簡にペルシャ人の役人とみられる「破斯清通」という名前があったと新聞に出ていました。続日本紀に736年遣唐使が連れ帰った「唐の人3人、波斯一人」が聖武天皇に会ったと記されており今回の発見はその時のペルシャ人の可能性があるのではないかということです。それで思い出したのですが先日日高市の巾着田に彼岸花を見に行った時ついでに高麗神社に寄りましたら、そこの縁起に668年に滅亡した高句麗の人たちが日本に亡命し、716年に関東地方に住んでいた高麗人を日高に集めこの高麗神社が首長の住まいになったという趣旨が書いてありました。今回見つかったペルシャ人の話、朝鮮半島高麗人の話はほぼ同年代で今から凡そ1,300年くらい前の天平時代のことになります。「咲く花のにおうがが如し」と謳われた平城京は中国の人、朝鮮の人さらにペルシャの人と色んな国の人、言葉が往きかい私達の想像以上に国際的な都市だったのかもしれませんね。

10月6日 営業担当者の雑記

今日久しぶりに弁当屋に昼飯を買いに行った時の話です。弁当の種類を言いお金を払いました。すると店員さんが「ありがとうございます、それでは○○円丁度頂きます」というのです。一瞬耳を疑いました。昨今買い物をすると年に関係なくレジ担当は「△△円丁度お預かりします」といいます。以前は私が間違って多く出したのでおつりがくるのかなとおもっていましたが、そうではありませんでした。暫く家でその言い方が話題になったのですが、多分「頂くより預かるの方が丁寧、あるいは柔らかい言い回し」だと思い使っているのだろうと、一々訂正するのも嫌みなのでもうしょうがないのかなと思っていました。しかし「全然」を肯定に使ったり、「とんでもない」の丁寧語を「とんでもございません」などとする誤用は今やすっかり定着しておりそんなに違和感はありませんがどうもこの「丁度お預かりします」にはやっぱり変な感じが残っていました。この店の方針なのかあるいは若い女性でしたが彼女自身のことば使いなのかわかりませんがなんだかほっとしました。

10月5日 営業担当者の雑記

今日の日経MJ一面にセブンーイレブン・ジャパン社長の古屋一樹氏と小説「コンビニ人間」で芥川賞を受賞した村田沙那香氏との対談があり興味深く読みました。私が就職した時ある同期がこれからはコンビニの世界だとアメリカの事情を滔々と語っていたのを思い出します。当時は丁度GMSが大きくなっていく頃だったのでコンビニに目を付けた彼の先見性に驚いたものです。そのころから変われば変わるもので名前の通り何しろ便利だと思われるものは何でも取り扱っています。物販以外各種支払い、本の注文受け取り、チケットの申し込みなどなど。女房はネットバンキングが嫌いなので我が家では通販の支払いもコンビニが圧倒的に多いのです。売れ筋商品、商圏、顧客の分析が非常に優れておりしかもそれに応じた販促活動をしている、時代に一歩先んじた商品を取り扱うなどコンビニのマーケティングは留まるところをしりません。一生コンビニで働いて頂けるのですかという古屋社長の問いに村田さん「できれば、はい!」うーん?!

 

10月4日 営業担当者の雑記

快挙!3年連続で25人目のノーベル賞受賞者に大隅良典氏が選ばれた。生理学・医学賞で「オートファジーの仕組みの解明」が受賞理由。このオートファジーとやらは随分前からその現象は知られていたが大隅氏は微生物である酵母でこの現象を初めて観察することに成功。関連する遺伝子を発見し世界で「オートファジーの父」と呼ばれているのだとか。昨晩何回かそのメカニズムを聞いたのだが難解。ただ成人は毎日体内で約200gのたんぱく質を作るが、食べ物から摂取するのは70g程度で不足分のたんぱく質は分解して出来た原料で補っているつまり今回の「オートファジー」というのですね。生物の生存になくてはならない機能で細胞の健康を保つほか分解したたんぱく質を栄養源に再利用することで飢餓に耐える働きがあるのだというのは理解できました。究極のリサイクルですね。この研究が進めば難病の治療への応用が期待されており一気に注目が集まっている分野ですと。なんですって。

10月3日 営業担当者の雑記

ゴルフ日本女子オープンで17歳のアマチュア選手畑中奈沙さんが優勝したという記事がでています。彼女本格的にゴルフを始めてまだ5,6年だというから更に驚きです。しかもトップ10に彼女を含め3人入っているのだとか。ゴルフは1年に数回する位で特に興味を持っているわけではないので女子プロの動向などは全く分かっていませんがそれにしてもきっととんでもないことだと思います。他のプロスポーツでこんな快挙は聞いたことがありません。大昔高校野球のPL学園が全盛時代に当時の阪神タイガースより強いといった「皮肉」がでていましたが野球にしてもサッカーにしてもアマチュアがプロより強いと言うのはまずあり得ないことです。日曜日の張本氏だとプロしっかりしろよ!と「喝」を入れるのかもしれませんね。これにより女子プロゴルフ協会に登録すればプロとしてのツアー参加が可能になるがまだ結論は出していないとのこと。末恐ろしいというか楽しみというか彼女の名前は覚えておかなくっちゃ。

 

9月30日 営業担当者の雑記

昨日久しぶりで「ともき君」の甲高い声が家の中から聞こえてきました。彼は小学校2年生で少し小太りのとても快活な子です。小さめの愛車で何処にでも出かけ路地で友達とふざけ合いけらけら笑いながら遊んでいます。最近は少し大人びてきたのか話しかけると照れ笑いします。彼はお父さん、おばあちゃん、お姉ちゃんの4人暮らしで、おばあちゃんのことを「お母さん」と呼んでいます。彼が3歳のころ母親は二人の子供を置いて家を出て行きました。母親にどんな理由があったのかはよくわかりません。「ともき君」は連れて行ったようですがすぐに父親が連れ戻したとの事。両親に思い切り可愛がられて育った私には母親が突然自分を棄てていなくなるという状況が想像出来ず彼の事がとても気になります。「みどり児のわれを捨てにし母の行方尋め来てむなしわれすでに老ゆ:中西悟堂」幼いころに父親が夭折、母親にも捨てられた「日本野鳥の会」の創設者中西悟堂の悲痛なうめきです。涼しくなってくるとふっとこんなことが気になります。

9月29日 営業担当者の雑記

あちこちで金木犀が香り始めました。全くいつの間にかですがこの木、香りが強いのですぐに分かってしまいます。会社の駐車場はその場所が不明ですが何処からか匂いが漂ってきます。ご近所には毎年楽しみにしている木があります。今年も順調です。しっかり手入れしているようでもないのにここのは樹高、拡がりが丁度いい塩梅です。駅のそばには3、4mはあろうかという大きな木がありますが流石に夜傍を通ると香りに溺れそうになります。家のは銀木犀ですが結構白い花をつけ始めました。昨晩辺りは風の流れ具合なのでしょうかそれほど強い香りではありませんでした。トイレの消臭用に化学合成された匂いはある香り要素だけが強調されており鼻を刺すので好きにはなれませんが、自然のは強い香りの中にも柔らかさ甘さのバランスがよく遠くからでも近くでも其々の良さがあります。私は遠くから漂ってくる方が好きです。風で散った花も風情があります。いよいよ本格的な秋到来ですね。

9月28日 営業担当者の雑記

昨日は日中忙しく個人用の携帯を見ていなかったので帰宅途中の電車の中でチェックしたところ友達から1本入っていました。21日に少し胸が痛いので自分で車を運転し病院に行ったら「急性心筋梗塞」と診断され即入院緊急手術。カテーテル手術は2時間くらいで終わったが3日間ICUに入り今は一般棟に移ったと言う内容。以前にも同じような症状があったので念の為のチェックの気持ちがまさかの病名。完全に閉塞する前に対応できてラッキーだとは医者の弁。彼は定年退職後年間半年くらい北海道に住んでいる義弟の農業を手伝いながらのんびりとした生活を送っており、先日北海道を襲った台風にも大きな被害が出なかったと喜んでいたのですが何と自分の身に大異変です。容態が落ち着き「北海道の秋が楽しめず残念、農業はカミさんにピンチヒッターになって貰い彼女も実家の秋が楽しめると喜んでいる」などと呑気なことを言っています。自分の体のちょっとした異変に気付いたので大事にならなくて済んだようです。他山の石。

9月27日 営業担当者の雑記

今日の朝刊に「沖縄遺跡から古代ローマ硬貨」という記事が出ています。沖縄県うるま市の勝連城跡(国史跡、12~15世紀)で3~4世紀の古代ローマ帝国のコインとみられる銅貨4点が見つかったという内容です。勝連城が海外交易によって栄えた14~15世紀の地層から発掘されており東アジアを経由して持ち込まれた可能性があるとのこと。14,5世紀というと倭寇が活躍していた時代で海外交易が盛んだったのでしょうがこの銅貨がどんなルートで沖縄に入ってきたのか興味シンシンです。この当時の沖縄は独立国でまだ日本の干渉はそれほど強くなくむしろ東南アジア、中国と内地との貿易中継点としての役割を果たしていたのでしょう。今回の銅貨もそういった交易によって入ってきたものでしょうが往時の船がどんなものだったのか、何が取引されていたのかその対価は何だったのか、人々はこの銅貨を何に使ったのか、文化交流はなどなどこれから更に発掘が進みその謎が明らかになるのが楽しみです。