7月4日 営業担当者の雑記

今朝通勤途中の電車の中で居眠りをしながら本を見るともなく見ていたらちょっと気になる短歌がありました。「川を見てゐた手だろうかうつすらと電車の窓にしろき跡あり:澤村斉美」帰りの電車なのか流れる窓外の景色を眺めながら何事か物思いにふけっているのかあるいは思い出にでも浸っているのか自分に入り込んでいます。こういう人にはぼーと座っている私などは想像を逞しくするので楽しいのですが最近のドア近辺には「門番」とかいう人がいて中がどんなに空いていても座らずひたすらスマホに夢中になっています。電車が到着してもその場を動こうとはせず降りる客、乗る客がいても全く無関心。そしてたまたま体に触れたりするとものすごい形相でにらみつけます。同じように何事かに入り込んでいる様ではありますが外を眺め周囲に気が行ってないのとは随分違います。まあ座ろうと座ろまいと本人の勝手ではありますが少しだけ周囲にも気を止めてほしいものです。

7月3日 営業担当者の雑記

日経夕刊に「消える地方紙と報道砂漠」というタイトルの記事が出ています。ある米大学の調査によると日刊紙のない郡の数は全米3100強のうち2000を超えるとのこと。アメリカでは全国紙より地方紙のほうが好まれており一番発行部数が多い「ウォール・ストリート・ジャーナル」でも210万部程で日本の全国紙に比べると非常に少ないのだが、最近インターネットの台頭で無料の情報に読者と広告収入を奪われ地方紙の廃刊あるいは編集体制の縮小が続いているというのです。買収ファンドの投資もあったが彼等も手を引き始め「地方紙はもうおしまいだ」と著名投資家W・バフェット氏」も匙を投げたと報じられている。地域に根差した民主主義を正しく機能させるために不可欠なローカル紙をどう守っていくのかクラウドファンディングなどで初期投資を賄い、長期的には住民からの寄付金で運営していくなどの試みもあるが取り組みはまだ始まったばかりとのこと。

7月2日 営業担当者の雑記

梅雨前線の影響で昨日から九州南部に激しい雨が降り土砂崩れや川の氾濫で被害者が出始めていると報じられています。久しぶりに「線状降水帯」という言葉も聞きました。次から次に同じ場所で積乱雲が発生し物凄い量の雨が降る現象ですね。これは危険です。もう40年近く前になりますが私が九州佐賀に赴任していた時に大雨に出会いました。7,80cmはあったと思いますが床下一杯に浸水しもう少しで畳にまで上がってくるというところで止まりました。ここは平屋だったので床上浸水になると後は押し入れに逃げるしかありません。古いタイプのトイレがあふれる寸前になりもう只管これ以上増水するなと祈るしかありませんでした。転勤で事情をよく知らず便利だと思い住んでいた繁華街に近い辺りは土地が低かったのです。翌日玉屋(当時佐賀で一番大きなデパート)がある場所はボートで行き来する状態になり市役所から消毒薬が配布され散布したのを思い出します。

7月1日 営業担当者の雑記

普段は陸上日本選手権の実況中継を見ることはまずないのですが今回はちょっと違いました。正確に言うと日曜日だったこともあり男子200m決勝は生で見ました。勿論先日の100m決勝で余裕の一着だった「サニブラウン・ハキーム」選手がお目当てです。アメリカの大学選手権で100m10秒98をマークし今回はまた10秒切りが期待されていましたが記録は当日のコンディション次第なのでそう簡単に出ませんが勝負は圧倒的でした。トップクラスの争いで1m近く離してのゴール。しかもレース後のコメントは勝った喜びより9月の世界選手権に向けての修正。そして昨日の200mは僅差での優勝でしたがそれでも2着の人がよく頑張ったなという印象でした。2年前の二冠と比べ数段進化しての勝利。やはりスケートの小平選手、バスケットボールの八村選手、短距離のサニブラウン選手など自ら世界の荒波に飛び込み上を目指す人達は迫力が違いますね。

6月28日 営業担当者の雑記

昨晩の天気予報では今朝の通勤時間帯は台風3号の影響で大荒れだったが予想が外れてよかったですね。私の自宅周辺では朝6時過ぎにはもう雨は降っていなかったので大丈夫だろうとは思いましたが平常時と変わらない天気になりました。西日本一帯では梅雨が遅れ渇水状態だとの報道もありましたがこの雨で少しは収まったのでしょうか。元々雪の多い地方はその雪解け水が、台風がくる地方はその雨が日本の気候を作り自然が回っているのだがその加減は誰にもどうにもならないのでまさに「神頼み」です。古来「五月雨」として歌や句に読まれてきた季節はこの梅雨時のことで台風も含め私たちの生活に根付いておりなくてはならないものです。「降るものにして日和は梅雨のまうけもの:子規」と何ともとぼけた句もありますが梅雨時には当たり前に雨が降りそのどんよりとした空気と合間にのぞく晴れ間を楽しむ余裕を持ちたいものです。

6月27日 営業担当者の雑記

このところ高校野球のピッチャーに100球制限をしようという動きがあるようですが高野連は様子見のようです。私はこの球数制限に大賛成です。プロ野球の名選手の中には自分の腕が折れても体が壊れても投げ切るつもりでいたという方あるいは桑田さんのように野球寿命を伸ばすためには絶対に球数制限は必要だという方もいらっしゃいます。選手の中には甲子園出場は小さい時からの夢なので出場すればもう何もいらない、監督も何しろ勝たせたい、勝ちたいといいまた親御さんの中にも少々の無理は厭わないという方がいらっしゃいます。彼らはあまりに野球=人生と短絡すぎるのではないでしょうか。有能な投手ほど酷使される可能性が高く必然体を壊してしまう確率も高いというのはあまりに残酷な話です。選手層の薄い学校にハンディが出てくるとの意見もありますがまずは選手生命を守るため暑いさなか一人で連投などと破壊的なことは回避すべきだと思います。

6月26日 営業担当者の雑記

先日スーパーに行ったとき妻が入り口の屋根下を指さしています。なんだろうとよく見るとツバメの巣です。小さいころはこの時期あちこちの軒下にツバメの巣がありましたが最近はとんと見たことがありませんでした。「あそぶともゆくともしらぬつばめかな:去来」実際には子育ての最中で外で小さな虫を捕まえてきては赤ちゃんに与えているのでしょうがスマートな体でヒューと飛んできてまた慌ただしく出ていきます。私は少々目が薄いので良く見えませんでしたが老眼の妻には確かに赤ちゃんツバメが見えたようです。南方からやってきて7月くらいまでに子育てが終わり一緒にまた下っていくのでしょう。懐かしの列車「ツバメ号」、燕尾服、旅のつばくろなどなど私たちの生活にはある時期ツバメが必ずいたのですがどうしたのでしょうか昨今はあまり見かけなくなりました。久しぶりのツバメがとても新鮮でした。

6月25日 営業担当者の雑記

今朝いつものように京成津田沼駅で新京成に乗り換えて座ったらドアを隔てた隣の座席で大きなランドセルを背負った新一年生らしい男の子が泣きながら携帯電話を握っています。どうも自分の乗った電車が正しいのかどこで降りたらいいのか不安になり親御さんに聞いている様子です。すると隣に座っていた60年配のおじさんが優しく声を掛けここから五つ目の駅で「北習志野」というところで降りるんだよと教えています。子供はなお携帯を握ったままですがおじさんが更に同じことを優しく繰り返していると段々泣き声が普通の声になりそのうち携帯もしまいました。そして北習志野駅で子供が降りていくのが見えました。その子は手を振るでもなくさっと降りて行きまた又おじさんもごく普通に座ったままでした。でも私にはその子の後ろ姿が「安心感」で一杯なのを感じましたしおじさんの顔も姿も見えませんでしたが座席の辺りはふんわりとした空気になっていました。

6月24日 営業担当者の雑記

今日は変な天気でした。朝起きたときはそんなに涼しいとも感じなかったので昨晩用意していた半袖シャツで家を出たのですが少しひんやり気味。それでも昼に向かいだんだん暖かかくなるだろうと思っていたがほとんど終日気温は変わらない感じでした。多分朝からずっと20度Cくらいだったのではないでしょうか。梅雨寒というでもいうのでしょうか。昼過ぎまでずっと雨が降っていたのですが夕方近くは「狐の嫁入り」状態。陽は確かに出ているのですが車のワイパーは作動させたままでした。昔バア様が「狐の嫁入り」や「馬の背を振り分ける」などと使っていたのを思い出します。狐は人をダマスと信じられていたからなのか地方地方で由来も違うようですが。私などは狐のオスメスの区別もつきませんし動物園以外で実物の狐は多分見たことがありません。タヌキは家の近所で見たのですが。昔の人達は動物と共生していたのか彼等にまつわる言葉も沢山残っていますね。

6月21日 営業担当者の雑記

昨日の日経夕刊「プロムナード:行間を読まない幸せ」が面白かった。河合香織というノンフィクション作家の担当で前半部分はライターの仕事を始めたころ約束の時間に遅れカメラマンに「寝坊してすみません」といったら「本当のことを言われると腹が立つ。人が不愉快にならない正当な言い訳を考えろ」といわれそうしてきたが今本当のことを言える環境の風通しのよさに触れるにつれ、つまらない言い訳をする暮らしの歪みがどれほど大きいかを知った。偽るのは自分のことも他人のことも信頼できないからだろうとしつつ更に信頼といえば過剰に行間を読む行為も信頼と自信の欠如ではないかという。知人のお別れの会に参加した時「平服で」とあったのに黒いワンピースでいった。平服の参加者たちは個人に対する思いを人から借りてきた言葉でなく自分の心のこもった言葉によって捧げていた。自由な精神の基底には他者への信頼があり優しさは波のように他者に伝わっていく。同様に人を受け入れ信頼する心も伝播していくと結ぶ。