7月22日 営業担当者の雑記

昨日年2回銀座ブロッサムである「桂米團治」の落語を楽しんできました。桂米團治は彼が小米朝と名乗っていた時からのファンで日曜日に東京であるという私にはありがたい企画なので欠かさずいっています。この会では大概得意の芝居噺が入っています。何しろ声が通り所作の一つ一つが決まっているので落語家がやるオチャラケ芸ではありません。昨日は「本能寺」という明智光秀三日天下の話しですが冒頭で下げにつながる「青田」をしっかり説明します。昨今は「青田刈り」などと学生を早い時期から自社に取り込むことを指していますが落語ではお金を払わないで見に来ている人のことを指すのだと教えます。話は光秀が信長になぶられ謀反を起こす状況を普段は使わない三味線やその他の鳴り物をバックに一人芝居で進めていきます。芝居の中身、枕の下げがどのように最後使われるのかは聞いてのお楽しみです。賑やかで品の言い擽りを混ぜての熱演には大満足でした。

7月19日 営業担当者の雑記

今日久しぶりにけやき通り八ヶ崎近辺を通りましたら旧北部市場に建設中の「テラスモール松戸」の覆いが取れ全貌が見えるようになっていました。敷地面積は49,000平方メートルといいますから15,000坪強ですか。郊外型のモールとは違い建物が道に迫っています。見た目は派手な体裁ではなく吹き抜けらしい部分が目立ちますが全体的にはおとなしい感じです。10月下旬オープンに向けてテナントも180店のうち150店ほどが決まったとのことでファッション、雑貨、フードコートを始め松戸からなくなっていた映画館もできるとのことです。松戸はラーメン激戦地といわれていますが「富田麺桜」さんと「IPPUDO RAMEN EXPRESS」さんが激突するとも。千葉には幕張、酒々井、木更津など沢山のショッピングモールがありそれぞれ賑わっているようです。充実したワンストップショッピングがなかった松戸ですからここも大賑わいするといいですね。

7月18日 営業担当者の雑記

今朝通勤途中でいつものように睡眠導入剤代わりに「四季のうた:想像力という翼」という本をめくっていたら面白い俳句に出会いました。「Tシャツを主張のやうに着てた夏:夏井通江」私は学生時代から今に至るまでずっとジーパン、Tシャツの愛用者です。バックスキンの靴と。理由は着た切り雀でいられるということです。アイビールックも流行っていましたが揃えるほどの金はないのでなけなしの金で特別デート用に一着だけ持ち普段はジーパンでした。同年代の女性も同じような格好をしていたと思います。Tシャツは安いので目立つようなものあるいはメッセージが書いてあるものなど複数枚持っていました。Tシャツに主張を込めていたかどうかは別にしてもほとんどの学生が同じような格好でした。ジーパンの汚れは気にならずむむしろその方が、さらに多少の破れなどあるともっとかっこよく見えました。以降いつまでもジーパンが穿ける体型だけは維持してきました。

7月17日 営業担当者の雑記

まあそれにしてもアメリカはとんでもない人を大統領にしたものですね。今回のトランプ大統領の発言にそしてそれを大喝采する支持者たちが大勢いることに驚きました。報道によると祖先の出身地が中東やアフリカの野党・民主党の女性下院議員たちに「国に帰ったらどうか」と促したというのです。「この国を愛せないのであれば、国を去った方がよい!」これに対し民主党の当事者たちは記者会見で「トランプ氏は白人至上主義の主張をしている」と痛烈に非難したとあります。米国民でもない私がいうのは筋違いではありますがそもそもアメリカ合衆国は移民でできている国であり、もっと正確に言うと原住民であったアメリカインディアンをヨーロッパから素性の知れたあるいは知れない人達が入ってきて蹴散らしアフリカから黒人を勝手に連れてきて発展した国ですよね。トランプ自身は確かドイツ人移民の子孫。米に人種差別は未だにあるとは聞きますが大統領の発言とはとても思えません。

7月12日 営業担当者の雑記

先日フォルクスワーゲンの「ビートル」がついに生産終了と報道されていました。1930年代に初代が出たということなので90年近い歴史になるのでしょうか。私はもう40年くらい前復活版の「ニュービートル」に乗っていました。この車は非常に特徴的で、まず形がカブトムシ型でとてもユニークである、当時としても珍しい空冷でエンジン音が大きい、気密性が非常に高い、車体が非常に頑丈で衝撃に強い、塗装がとても強く少々乱暴に扱っても傷がつかないなどまたエアコンがなく小さい三角窓から風を入れるとか、小さい割に重く燃費が悪いだとか、車高が高いので風の影響を受けやすいなどの欠点はかえって誇らしく当時の若者には人気がありました。夜遅く帰宅するときは少し遠くからエンジンを止め惰性で走るとかきつい坂は機関車のようにあえぎながら登るといった車の機能としては相当マイナスだったのですがそんなことは一切関係なくとにかく「カッコヨカッタ」

7月11日 営業担当者の雑記

読売新聞朝刊に毎日掲載されている「四季」という小コラムがあります。俳人長谷川櫂氏が俳句や短歌を選び関連写真を添えそれをごく簡単に解説しているものです。今日のはちょっと良かったですよ。「花々は咲き尽さんと 花の寺:伊丹三樹彦」で櫂氏は「花には花の命がある。すべての花は命をまっとうしようと、花開き、散ってゆく。人も同じ、私もそうありたいという思いもあるだろう」と書く。この句は関西の花寺特に沙羅(ナツツバキ)で有名な應聖寺での作品で写真にもこれが載っています。私は更に、花はただただ子孫を残すために花を付け種子をばら撒きそこには何の意思もない、自分のやるべきことをひたすらやっているに過ぎない。それこそが大切なのであって人間も自分が歩み始めた人生を精一杯何の邪念もなく生き続け全うしたい、そんな思いを抱かせてくれた花 花の寺に思いを寄せた作品だろうとも思った。一つの俳句には様々な背景がありそうです。

7月10日 営業担当者の雑記

先日上野の西洋美術館に開催中の「松方コレクション展」を見に行きました。1900初頭当時欧州にいた松方幸次郎が買い集めた1万点近くの美術品が第二次大戦で散逸していたのを買い戻しあるいは寄贈などで相当数集まってきたのでその保管展示の為出来た「国立西洋美術館」。会場は物凄い数の作品が時代ごとに展示されており「ルノワール・モネ・ゴーガン・ゴッホ・ムンク・ロダン・マイヨール」などの作品が次々に出てきて圧倒されます。ゴッホの「アルルの寝室」、モネの「睡蓮」といった過去にも見ている作品もありましたがその中でもモネの「睡蓮 柳の反映」は特筆ものです。1916年にルーブル美術館で相当部分が破損されもはや芸術品ではないといわれた状態で発見され上野に帰ってきたのを出来える限りの情報を集めようやく2/3近くまで当時のタッチ、色を復元した作品です。素晴らしい復元技術はモネの代表作を想像させるところまでになっていました。

7月9日 営業担当者の雑記

先日どこだかで「ウニ」にキャベツを食べさせると非常に生育が良くなったのでこれからブランド品として売り出していきたいという記記事がありました。確か三浦か湘南だったような気がしますが。このウニ、エサになる海藻を食べつくすので漁師の間では実は嫌われ者らしいです。そこでミカンの皮や野菜などを与えてみたところ非常に立派に育ったのだとか。一石二鳥。ウニといえばずっと若いころ、女房がまだ娘さんだったころウニが好きでして困ったことに寿司屋では時価と書いてあります。一応鷹揚な格好をつけて「どうぞどうぞ」なんて言いながら懐勘定をしていたことを思い出します。値段が安くなればそんな心配もせずに食べられるということはウニを好む女性が彼女の男の懐を少し応援するということになのかな。

7月8日 営業担当者の雑記

昨日は七夕。15夜の前後は歌で詠まれることがありますが七夕のそれはあまりないように思います。確か芭蕉の句に「文月や六日も常の夜には似ず」があったと思ますが浅学の私はそれくらいしか思い浮かびませんが短歌では例のサラダ記念日に「「この味がいいね」と君がいったから七月六日はサラダ記念日:俵万智」がありますね。1987年の作ですからもう30年以上前になるのですね。若者の日常をごく普通の言葉で気張らずに謳ったこの作品は当時一大旋風を巻き起こし以降普通の女子がさりげない毎日を自分の言葉で短歌を作るようになりました。それまでなんとなく敷居が高く古臭い言葉で重々しいしかめっ面をした雰囲気があった短歌をまさにこの時代のものにした大殊勲者、短歌ですね。電車などで聞くともない女子の会話に「うん 分かる 分かる」というのがありますがこれですね。中身もわざわざ七夕を外して前日を二人の記念日にするというのも斬新です。

7月5日 営業担当者の雑記

今日の新聞に、昨年9月にアパートの受水槽の中で泳ぎそれをネットに流した男二人が書類送検されたと報じられていました。まだ完成前の受水槽にここを点検にきた彼らが起こした事件でアパート管理を委託されていた会社が訴えたものです。現在は居住者がおり会社はこの受水槽を全部消毒したが住民の不安は収まらない様子。犯人はどちらも30歳前後の分別は付く年齢。飲料水にも使われる受水槽の水の中で泳ぎネットで拡散するという発想はほとんど理解できません。こんな動画を見て喜んだり面白がったりする人達がいるのでしょうか。人が困っているのを見て笑いのネタにしたりいじったりするのはテレビで見かけますがこれとも少し違い一歩間違えば病気を引き起こすかもしれないことを面白がっているというのですから呆れます。なんでもかんでも処罰すればいいというわけではありませんがやっていいことと悪いことの区別がつかない人達には致し方のない処置なんだと思います。