9月29日 営業担当者の雑記

先日久しぶりに葛西臨界水族園に行ってきました。子供達が小さい頃以来ですからもう随分なご無沙汰です。2,3年前でしたか同園の「売り」回遊マグロが原因不明のまま次々に死んでいき最後は一匹になってしまったまではニュースで聞いていましたがそれ以降どうなったのか知りませんでした。今回行ってみると以前のように元気なマグロ達が泳ぎ回っており丁度餌をやる時間に遭遇したのですがそれは見事なものでした。下に落ちてしまう前に黒光りしている大きなマグロがヒューっと口に吸いこみます。次から次に餌場に集まってきてそれぞれが争うでもなく餌をさらっていきます。小さなマグロは鰭を必死で振りながら餌に食いつきます。因みに下に落ちてしまった餌は食べないそうです。マグロ死滅の原因はいくつかの要素が重なったもののようですが年齢のバランスをとることも大事なことのようで1歳、2歳、3歳と大きさの違うものが一緒に泳いでいました。

9月27日 営業担当者の雑記

日経夕刊に梯久美子さんが「あすへの話題」で永六輔さんの思い出を書いていました。彼女が駆け出しのフリーライターだったころ永さんに一度だけインタビューしたときのこと。今まで多くの質問相手が彼女ではなく同行した編集者に向かって話したのに彼は受け取った名刺を見て「珍しい姓だね。どこの出身?」と話しかけ質問にはすべて彼女の目を見て答えてくれた。数日後永さんから絵葉書が届き「よい記事を書いて下さいね」とあった。それを編集者に話すと「きっとみんなに出しているんだよ」といわれた。先程見ていた再放送で永さんが藍染の作務衣を着ているのを見て、インタビューした時も藍染めの上着を着ていた彼はたまたま紺色のシャツを着ていた彼女に「梯さんのそれも藍染」と聞いてくれたのを思い出した。たったそれだけのことだがあの声のあたたかさを忘れない。と結んでいる。永六輔をこれほど短い文章で表現できるのかと感心しました。亡くなってもう1年が過ぎました。

9月26日 営業担当者の雑記

先日俳人の黒田杏子さんが日経に「寂聴さんとの歳月」と題し一文を寄せていました。彼女に寂聴さんが95歳の誕生日に発行した一冊の句集「ひとり」が送られてきたというところから二人の交友が綴られています。私は寂聴さんが俳句を詠んでいることはまったく知りませんでしたが若いころからそして得度してからも彼女の本を時々読んでいました。物事に囚われない破天荒な生き方に共感しつつも幼子を置いて家を出たことについていわく言い難い違和感がありました。仏の道に入ったきっかけはよく知りませんが自分が腹を痛めて産んだ子を捨てて来たことを今どう思っているのだろうかと興味がありました。黒田さんが「ひとり」のなかから選んだ5句の中に「子を捨てしわれに母の日喪のごとく」というのがありました。寂聴さんやはりずっと罪の意識に苛まれていたんだなと今までの違和感がなんだか氷解した気持ちになりました。

9月25日 営業担当者の雑記

昨日東京駅そばのブリジストン美術館にムーア展を見に行きました。ここは八重洲中央口から歩いて数分で直に目指す場所に着きましたがあるべきところは工事中です。近寄ってみれば2015年から閉館しており2019年の秋再会予定と書いています。そういえば最後の展覧会にこの美術館のお宝青木繁の「海の幸」「わだつみのいろこの宮」などを見た記憶があります。念のためスマホで調べたのですがそれらしき展覧会はどこにもありません。どうして今「ムーア展」がブリジストン美術館で開催されていると思ったのでしょうか。ひたすら思い出そうとするのですがまったく分かりません。折角なので出光美術館に「江戸の琳派芸術」を見にいったのですがどうしても「ムーア展」の謎が分かりません。家に帰りよく調べてみると何と2010年のパンフレットにこの案内がありました。7年前のパンフレットを見て二人とも何も思わず出かけたのですね。はてさて。

9月22日 営業担当者の雑記

今朝家を出る時奥方に「午前中はいい天気だけど午後は急に雨が降るらしいわよ」といわれ大きな傘を持って出ました。電車の中では同じように傘を持っている人も少しいました。会社までの道中は真っ青な空で「雨が降るというのは本当かな」と思いましたが念のため今日は一日中車に傘を於いておきました。すると3時過ぎでしょうか「一転にわかにかき曇り」ではありませんが黒い雲が溢れ雨が降ってきました。車の中から見ていると後ろ前に子供を乗せた電動自転車のお母さんがびしょぬれになりながら必死でペダルを踏んでいます。あるいは紺色の制服を着た女子高生がスカートをたくしあげ猛烈な勢いで自転車をこいでます。びしょぬれの赤ちゃんかわいそうだな、びっしょりの女子高生ちゃんと家まで帰れるのなどどうにもならない心配をしながら見ていました。予報では午後から強い雨が降るといっていたのに。

9月21日 営業担当者の雑記

昨晩の天気予報で今日が最後の真夏日になりそうだという話がありました。確かに今日の昼間は汗ばむほどの陽気でしたが日陰に入ると湿度が低い所為で涼しく感じられました。昨日が彼岸の入りなので偶々かもしれませんが文字通り「暑さ寒さも彼岸まで」となるのでしょうか。9月21日が気象でいう「特異日」なのかは知りませんが実際数十年間のデータを見ますとでこぼこはありますが東京は大体この辺りが最後の真夏日のようです。今年の夏はいわゆる夏らしくない天候で猛暑日が比較的少なくずっと梅雨が続いているような不純な日々でした。更に例の「線状降水帯」の影響であちこちでとんでもない雨が降り被害が続出しました。九州大分では復旧出来ないうちに次の被害に遭い何とも気の毒なことになりました。地球に異変が起きているという説もありますが出来ることならいつまでも「四季」を感じていたいものです。

 

9月20日 営業担当者の雑記

先日ユニークな科学研究などの贈られる「イグ・ノーベル賞」の授賞式があり吉澤北大准教授、上村慶大准教授ら4人が生物学賞を授与されたと報じられていました。内容は「ブラジルの洞窟に生息するトリカヘチャタテという昆虫の雌に雄のような生殖器があることを発見した」というものです。報道に依っては「性器の発見」などと見出しもありました。そもそもオスとメスの定義もあまり定かではない私ですが体の特徴が男女逆というのは結構なニュースです。シモネタ好きな私としてはあらんことを想像してしまいますが多分かつて聞いたことはないと思います。雌雄が入れ替わるなどというのはありますが持ちモノがひっくり返っているというのは大発見なのでは。必要に迫られての構造の逆転のようですがそれにしてもこの「イグ・ノーベル賞」は旅費など自前とのことですし、授賞式も大層凝っっているようで是非一度ハーバード大学での授賞式を拝見したいものです。

 

9月19日 営業担当者の雑記

今日は9月19日は「糸瓜忌」、正岡子規の命日です。有り余る才能を36歳という若さで終えたのですが文学の世界特に短歌、俳句ではひとつのエポックを作った人です。さらに今につながる俳句雑誌の創設あるいは弟市の育成更には各種アンソロジーなどなどその功績は計りせれません。弟子の一人河東碧梧桐の「子規言行録」には子規最後の様子が事細かに書かれています。僅かに残る命を振り絞って傍らの板に書きつけさせた糸瓜の三句は壮絶です。「糸瓜咲いて痰のつまりし佛かな」「痰一斗糸瓜の水も間にあわず」「をとゝひのへちまの水も取らざりき」この世にいるのか彼岸に行ってしまっているのか辛うじて残る意志の力はこの土壇場でも諧謔というかユーモアというのか少しすっと抜けるような笑いをさそいます。高校からの友達夏目漱石がその訃報を留学先のロンドンで聞いて詠んだ「霧黄なる市に動くや影法師」などの句は漱石の深い悲しみが伝わってきます。

9月15日 営業担当者の雑記

松戸金ヶ作祖光院の彼岸花が満開です。あちらこちらの花だよりが聞かれるのに祖光院はいつなんだろうと待っていたのですが今日漸く慶事に出会いました。ほとんど毎日通っている道なので多分気付かなかったのだと思いますがまだかと目を凝らすともうほとんど満開です。これはほっとけないと車を寺の駐車場に置きしばしの目の保養。今年はピンク系の花もあり紅、白、黄色、ピンクと色とりどり。夕方だったのですが木漏れ日が筋となって当たっているところは色が鮮やかに出ています。近所の老人たちが「生き返るようだ」と喜んでいます。「枯るるなら一糸纏わぬ曼珠沙華:殿村菟絲子」といった大胆な句がありますが全く葉が付かずただ4,50cmほどの茎の上部に飾りを付けたような花が咲いています。確かにこれが枯れてしまうとすっぽんぽんで潔いよいというかあっけらかんと言うか抒情を挟む余地がないほどすっきりしそうです。明日からの台風が心配です。

9月14日 営業担当者の雑記

「萩の花 尾花 葛花 瞿麦の花 女郎花 また 藤袴 朝貌の花」万葉集に収められている山上憶良の秋の七草です。瞿麦はなでしこ、朝貌はアサガオ、ムクゲ、キキョウなど諸説があるとの事。いづれも「折々のうた」からの引用ですがこの七草みんなどちらかというと地味な花ばかりです。萩は我が家で今満開ですが葉の方が多く花そのものは小さくそんなに目立ちません。ススキは花と呼べるのかナデシコは控えめですしキキョウだってことさら派手な紺でもありません。「折々」に出てくる歌はいつまでも待っているとか会えないのが苦しいといった技巧より心の叫びのような歌が多い印象があり、ます。万葉がどんな時代だったのかよく知りませんが選ばれた秋の七草もどちらかというとひっそりと咲くイメージです。今のように大振で派手な色で香りが強く「どうだ」といった花が好まれるようになったのはいつの頃からなのでしょうか。