3月28日 営業担当者の雑記

花といえば桜、桜といえば西行法師というのが相場ですがかの法師、桜の歌は生涯に230首ほど作っているようです。私は時々によって好きな歌が違うのですが今日あたりは「春ごとの花に心をなぐさめて六十あまりの年を経にけり」あたりがな。今から1000年ほど前平安末期の人ですがまあ全国を歩き回っています。その為法師にまつわる桜も至る所にある様ですが千葉にも東金市に「墨染の桜」というのがあります。これは法師が東大寺再建の為奥州藤原氏に寄進を依頼しに行く道中、紀伊深草の墨染桜を杖にして当地までやってきてその杖を土に刺し「深草の野辺の桜木心あらば亦この里にすみぞめに咲け」と詠んだ。後ここに芽を吹き「墨染め桜」となったと伝えられています。私が訪れたのは大分前ですが目立たない少し辺鄙な崖にあり800年とも言われる樹齢のため勢いはありませんがそれでも紅色の姥彼岸は全国的にも珍しいとされており一見の価値ありです。

3月27日 営業担当者の雑記

松戸市内もあちこちで花盛りです。今日は営業で新京成常盤平駅から五香駅間の「さくら通り」、「八柱霊園」と市立松戸高校の間の道を通ったのですがどちらも満開。4月7・8日が常盤平のさくら祭りのようですがその時まで持つのかしら。今年は一挙に温度が上がったので花も大急ぎで開花しているようで例年より10日位早いのかも。どちらも「ソメイヨシノ」が道路端に植わっており団地が出来た時に植えられたのであれば古い木はもう50年位経っていそうです。昨今話題の「クビアカツヤカミキリ」の被害木なのでしょうかところどころ下の方からスパッと切られているのがあります。道路の真ん中に張り出している桜は車で走ると頭上が花で被われ何とも豪華なものですが確かに大きな木の枝が途中で折れると大変なことになります。特効薬がない為早晩日本中のソメイがこの虫にやられてしまうだろうと予測する学者もいますが何とかならないのでしょうか。

3月26日 営業担当者の雑記

昨日今日と20度前後の気温で春を飛び越した暖かさです。東京の桜は一気に開きました。昨日は千鳥ヶ淵、新宿御苑と花見の梯子をしたのですがどちらも大変な賑わいでした。千鳥ヶ淵は九段下からもう人人ひと。さらに武道館で日大の卒業式があり色とりどりの着物、羽織の娘さんたちでそれは華やかでした。勿論桜もそれに負けず艶やかで堀に掛かる満開の桜は快晴の空、お濠の水、田安門、石垣と併せ一幅の日本画のようでした。そこはいろんな国の言葉が飛び交いいかにも国際都市東京ならではの光景でした。また新宿御苑は新宿門からはいったのですが3,40分待ち。中は広いので混雑度は千鳥ヶ淵ほどではありませんがそれでも大きな桜の木の下には大勢の人がビニールを広げ寝転びながらの花見。なんとも贅沢な風景です。御苑には緑色の桜等珍しい種類かあると聞いていたのですが見つからず。出口で「ハチジョウキブシ」という変わった花を見つけました。

3月20日 営業担当者の雑記

23年前の今日地下鉄サロン事件があり13人が亡くなり6千人以上が負傷しました。「サリン」という言葉を聞いたのも初めて、誰が、一体、何のためにこんな世界的にも類を見ない極悪無慈悲な犯行が行われたのだろうと思いました。結局オーム真理教というオカルト集団の犯行と言う事がわかったのですが捜査が進むにつれそのメンバー、何を目指していたのか分かってきて驚きました。医者あり、一流大学卒の高学歴者ありそんな人達が国を転覆させようとしてその能力、技術を使ったようなのです。勿論高学歴者が人間的に優れているとか犯罪を犯さないなどはバカげた話ですがただリーダー松本某の荒唐無稽な話に魅せられ、信じ込んでしまったというところが訳の分からないところです。一度そんなグループに入ってしまうともう自分自身がなくなってしまい冷静な判断が出来なくなり別人格になるのでしょうか。何とも恐ろしい事件でした。

3月19日 営業担当者の雑記

女子テニス「BNPパリバオープン」で大坂なおみ優勝。この大会は全豪オープン、全仏オープン、ウインブルドン選手権、全米オープンのいわゆる4大大会に次ぐ格があるものとのことですので大快挙。日本生まれアメリカ育ちの彼女はまだ日本語がうまくないだけでなく天然キャラでその発言が面白かったのですが本職のテニスでついにやりました。身長180cmという大柄でパワーでは外国人に引けを取らなかった彼女ですが最近プロのコーチにつき特にメンタル面での伸長が著しく強打だけでなく粘り強いストロークが出ていました。特に今回の試合は初戦があのシャラポア、2回戦が世界2位の選手、準々決勝では5位準決勝では現在一位のハレブと並みいる強豪を破って堂々の優勝。残念ながら優勝スピーチを聞き逃したのですが報道によると観客に「ハロー」と呼びかけ世話になった人達への感謝の言葉で大阪節がさく裂したようです。楽しみな選手が出てきました。

3月16日 営業担当者の雑記

昨日全国に先駆けて高知市で桜の開花宣言が出ました。あと一週間くらいで花が揃うのでしょう。これから西日本各地からの開花宣言が東上してくるのでしょう。ところで桜の開花には三つの気温が関係しているのだとか。一つは秋に十分に気温が下がることで、花の芽の成長が止まり休眠状態に入る。そして冬になり寒さが一層厳しくなると、花芽が目覚める「久眠打破」が起きる。最後に春に気温が上がってくるとつぼみが大きくなり開花するとのことです。気象会社の開花予想日はそれぞれ独自に開発した「予測式」で秋からの気温を入力して算出するのだがさらに実際のつぼみの観察や各地のつぼみの状態を収集したりそして最後はやはり経験豊富な予想担当者が総合的に判断するのだとか:以上日経夕刊より。私は「そめい」よりオオシマだとかエドヒガンといった種類の方が好きです。特に山一面に咲いているあるいは由緒ある「一本桜」は少々遠くても追いかけています。

3月15日 営業担当者の雑記

昨日家に帰ったらテーブルの上に「北の桜守」のパンフレットがおいてありました。「いったの?」と妻に聞くと話してくれました。吉永小百合北の三部作の最後の作品と言う事です。内容は南樺太からの引き揚げの話で最初は内容そのものよりもあの鶴瓶がほんの一瞬でていたがサユリストの鶴瓶は嬉しかっただろうなとか阿部寛が冒頭にでて直に死んでしまう何と言うもったいない使い方だとかが話題になったのですがその中に内容に転じていきました。聞いていると長男は引き揚げのさなかに小百合の身代わりに(と本人は思っているようだ)死に、二男はアメリカに渡り成功して帰国するのだが戦争のPTSDで心を病んでしまった小百合の心のケアをするべく思い出旅行に行く。そして最後の方で二男のことを亡くなくなっている夫と思い話しかける場面がとても印象的だったようだ。それから親から聞いた引き揚げ者の話になり平和で良かったねと終わりました。

3月14日 営業担当者の雑記

昨晩近所の白沈丁花が満開になっているのを発見しました。思わず鼻を近づけその香りを思い切り吸いこんで家に帰りました。赤いのより少し甘めで柔らかく鼻腔をくすぐる感じで一般的な沈丁花が脳髄まで響くのとは少し違います。そして家に帰ってもずっとこの香りが鼻周辺に留まっていました。昨日「香りを育成する装置」と題し山本貴光氏がプルーストの「失われた時を求めて」を引用し紅茶に浸したプチットマドレーヌの風味から、はからずもかつての記憶が蘇るという人口に膾炙しているフレーズを紹介していました。さらに「私はときどき街中で鼻にする香りから、幼少時の光景を思い出すことがある。もう少しその記憶をたどってみたいと思うのだけれど、香りが去るとともに記憶も再びどこかへ消えてしまう。」と続けます。香りというのは一瞬で時空を超え記憶の彼方に立ち戻らせ網膜に鮮明な風景を映しだします。記憶装置は匂いでスイッチが入るようです。

3月13日 営業担当者の雑記

どうでもいいような話。今朝の日経最終面に「江戸の景色 十選」と題し歌川国貞の「雪のあした」という浮世絵が出ていました。内容は正に江戸庶民の生活の一端で正月の若水汲みという行事に近所の人たちが井戸の周りに集まって子供が遊んでいる光景です。その中で井戸に注連縄を張り巡らせてあるのを見て思い出したのですが千葉では左右の太さがかなり違う注連縄が正月前お店に出ています。見たことがない不思議な形だなと思っていたのですが偶々一茶の正月の句文を読んでいたら「竈は大根注連といふものを引はへて」という言葉が出てきます。大根注連というのも初めて聞く言葉なので調べてみますと江戸では真中が太く左右が段々細くなる一般的な注連縄と左右の太さが違う注連縄とがあり前者を大根注連後者を牛蒡注連と呼んでおり、私が千葉で見ているのは牛蒡注連なのですね。所変われば何とやらと言いますが長い間の不思議の一つが氷解しました。

3月12日 営業担当者の雑記

先日前職の先輩から冊子が送られてきました。これは彼が所属していた長崎大学の山岳部が発行している会報です。彼とは出身校は違いますが先輩、上司として薫陶受け今も時にメールを交換しています。彼は大学卒業後直には就職せずヒマラヤ遠征の準備を進めチームを纏めた山男です。卒業後もう50年近くなっているのですが会員達の消息を拝見すると本当にお元気な方々がいます。毎年山スキーを楽しんでいる人、日本アルプスを攻め続けている人達、孫から隊長と呼ばれながら共に登山を楽しんでいる人等などもう多彩です。昨今大学の山岳部がどんどん無くなっているというニュースを聞きます。高い山に登るにはそれ相応の体力が必要で毎日地道な訓練をするのでしょうが何となく汗臭く、汚いといったイメージで現代の学生には受けないのでしょう。しかし青春時代をザイル一本に託した友との終生の交流を見るにつけ怠惰な学生生活を送った私には羨ましく思います。