11月11日 Windows10

まだあまり話題になっていないように思いますが「windows7」が来年1月でサポートが終了します。ITの世界は非常に特殊なようで新製品がでたらほぼ同時期にそれへのウイルスが出てきます。我が家のパソコンにはそんなに大層な情報は入っていないし、パソコン経由での振り込みはしていないのですがそれでもとんでもない数の写真が入っていますのでこれをグジュグジュにされると困ります。あるいは悪用されるケースもあり得るのでしょう。ということで昨日電気屋さんに「windows10」搭載のPCを見に行きました。やはり国産の製品はまず10万円以上と結構いい値段が付いています。会社用ではないのでそんなに大容量である必要はないのですがそれでもスピードが遅いのもこまるのでそこそこの性能がある外国製の商品に決めました。初期設定、データ移管など自分で出来るか不安ではありますが一応トライしてみてダメだったらお金を出してやってもらうことにしました。

11月8日 ♪My way

今日の日経朝刊の文化欄に「シャンソン無断訳詞「ノン」」と題しそれまでは原作者の許諾を得ていたのに80年代以降、シャンソン作品の売り上げが急激に落ちだしてから無断で詞を付けることが常態化し始めさらにそれを「私の訳詞」と主張し歌唱許諾や金銭を求めるケースまで出始めてきたのでこれを改善しようと努力している音楽家の話しがテーマですが、中で私の好きなフランク・シナトラの「マイ・ウェイ」の原曲はシャンソンであることそして歌詞の内容も元々は男女の倦怠期を描いたものだったというから驚きです。「And now the end is here,,,   」とあの朗々とした声で人生を振り返り色んなことがあったが後悔はしない、只管歩いてきたこの道こそが私の人生なんだ、とても素晴らしかったんだと  謳う。ある時は支えにもなった曲です。まったく意味合いの違う曲になっているのですね。ポール ・アンカの名作です

11月7日 今年の紅葉狩り

このところ朝晩が急激に涼しくなりました。昼間はまだシャツ1枚でも大丈夫ですがさすがに通勤時はジャケットを着ています。この陽気であちこちの紅葉も大分進んでいるようです。那須、日光、谷川岳などがテレビの情報番組で紹介されています。勿論大概の場合はプロのカメラマンが晴天で人のいない時間帯に狙って映像を撮っているのですからきれいなのは当たり前でまるまる信じるとがっかりする場合もありますがそれでも今年はどこに紅葉狩に行こうかと食欲をそそります。近郊の有名どころはシーズン本番になるととてもゆっくり散策というわけにもいきません。確かによく手入れされたイロハモミジはきれいなんですが私は山と渓谷と青空のなかに映える錦織なす紅葉の方が好きです。各地の情報を参考にしながら新規開拓かもう一度になるのか計画するのも楽しみです。

11月6日 創立90周年

今日は会社の90周年記念写真を撮るためスーツ・ネクタイを着用しました。いわゆるサラリーマンの制服であるスーツを着なくなって本当に久しくなります。体型はほとんど変わっていないのでサイズに問題はありませんがなんだかしっくりきません。普段はジャケットとパンツなのでネクタイがどうもいけません。首が抵抗しています。まあ無事写真を撮り終えたらすぐ外すのですが。それにしても創立90年というのは立派ですね。大体30年生き残る企業が少ないと聞きますから90年となるとすごいですね。今これまでの社歴、トピックスを持ち回りで執筆中と聞きます。随分いろんな話がでているのでしょう。今の社長は4代目のようですがこれだけ長い歴史のある会社の経営者というのはきっと大変なご苦労がおありなんでしょう。勿論つぶすわけにはいかないでしょうが少しでも何某かの足跡を残すとなると安閑としてはいられないでしょうね。お察し申し上げます。

11月5日 W杯ラグビー

第9回W杯ラグビーが2日南アフリカの優勝で幕を閉じました。この試合はラグビーの神髄を見た気がしました。とにかく相手を前に進めさせない。ボールを持った選手を一発で倒す。そして奪い返す。いわゆるジャッカルです。ラグビーがこれほど地味でタフで持久力が必要なスポーツだったとは。ともすればバックスの華麗なパス回しと相手を抜き去ってトライするという「カッコイイ」スタイルに魅了されるのですが今回の決勝戦はずっと拳を握りっぱなし。トイレに立つのももったいないほど緊迫した試合でした。相手も反則を誘いキックで点を稼ぐ。力が拮抗したチームの戦いはこうなるのですね。敗れたエディー・ジョーンズHC。表彰式で掛けられたメダルをすぐに外しポケットにいれたとのこと。この4年間優勝の一文字しかなかった彼の悔しさがうかがえます。今ラグビーロス状態ですがきっと今回の経験が日本のラグビー界にいい影響を与えたと思います。乞うご期待!!

11月1日 2020マラソン

TOKYO2020のマラソンと競歩が札幌での開催になったようです。先日ドーハで行われた世界陸上での同競技で沢山の棄権者が出た、同じような夏場の状況にある東京での開催は選手のことを考えると無理だというのがその理由だとのこと。なんとなく理解できるような話ではありますがここ数年間準備のために金をかけ知恵を絞り環境を整えてきた東京都はなかなか納得できないでしょうね。札幌にしてもこんな時期にいわれても簡単に喜んでもいられないでしょう。オリンピックのような大きな行事招致は賛成か反対かといわれると多分皆さん大歓迎なのでしょうがかかる費用とその回収、後の維持費などを考えると深刻な話です。今回も米TV局の意向を聞き暑いのは最初から分かっている8月開催になったとも聞きますが、選手ファーストというなら時期についてもう少し主体的に考えるべき。やっぱりオリンピック貴族達なのかな。

10月10日 営業担当者の雑記

昨晩今年のノーベル化学賞に旭化成の吉野彰名誉フェローが選ばれたとの報道がありました。今回の受賞は私のような理系に弱いものでも割と理解できる内容でした。何しろ今やこれなしの毎日はあり得ないほどの必需品になったスマホに使われているリチウムイオン電池の開発がその受賞理由ということです。このリチウムイオン電池は日常的に使っている名称ですよね。小型・軽量で高出力の蓄電池が実現したおかげで多分世の中が変わってしまったといってもいいのでしょう。企業内での研究というのは成果が出ないと予算が削られるのでしょうから相当に忍耐強く、そして多分会社の理解、少しいやらしく言うと会社に期待を持たせ続ける能力も必要なのでしょう。(笑)インタビューをお聞きしていると柔らかい関西弁と何とも愛らしい笑顔がとても魅力的な方です。もう6,7年前夜祭をしていたというのも人気がある証拠だろうし洒落の分かる人達なんですね。

10月9日 営業担当者の雑記

大型で猛烈な台風19号は午後3時現在小笠原近海にありその勢力は中心気圧915h/pa,最大風速55m/s,最大瞬間風速75m/sで時速15kmで北北西に進んでおりこのままいけば12日夕方には近畿から関東にかけて上陸の可能性大とのこと。いまだにその傷跡に苦しんでいる房総方面の方々はさぞかしご心配のことでしょう。それにしてもこの台風7日朝からの12時間で中心気圧が55h/p急低下したのだがこれはそう頻繁にあることではないのだとか。海面水温が30度以上の海域を通過しながら大量のエネルギー補給を受けたほか、台風の渦をかき乱す上空の風がなかったのも原因とみられるとのこと。今年の台風は6月までには3個だったのが7月4個、8月5個9月6個と一挙に増えておりこれらの半分が日本に接近または上陸しているということです。今までの台風の進路とは随分違います。早く東にそれるとか急に萎んだりということはないのでしょうか。

10月8日 営業担当者の雑記

今日の日経夕刊「プロムナード」がおもしろかった。「SEKAI NO OWARI」というバンドでピアノを担当している藤崎彩織という方が書く両親の話しで大阪弁の軽妙な筆致とも合わさりそのやり取りに笑いました。ご両親は中学で出会って以来50年近くずっと一緒にいるとのことなのですが仲の良さが生むいくつかのネタ。母から電話がかかって来たときのこと「もしもし、今お父さんと旅行中ちゃうん?」「そうやねん」「どしたん?」「あんな 折角旅行に来たのにお父さん寝てんねん」どうやらお酒の弱い旦那さんがお酒に付き合ってくれずに寝てしまったのを娘にグチっている様子。またある時は旦那がちらし寿司を何も見んとレンジでチンしたと悲しい顔をする。夫婦喧嘩は犬も食わないと妙に納得していたら弟が「オヤジ、チラシ寿司はチンすんなよ」と父の肩を叩いた。とまあこんな調子で話が進む。下らないことで喧嘩が出来る、それこそが50年関係を続けている秘訣なのかもしれないと括る。

10月7日 営業担当者の雑記

元プロ野球選手金田正一さんが86歳で亡くなったと報じられていました。プロ野球に興味がなくなってもう数十年経ちますが私は小さいころジャイアンツの大ファンでした。相撲と野球くらいしかスポーツがなかったので子供たちはそれに夢中になりました。長嶋がルーキーの時に4三振を食らったのは有名な話ですが彼の400勝というのは王さんのホームラン868本と並び今後決して破られることのない記録だと思います。1シーズン20勝するのが珍しい今20年間達成しないと出来ないこの記録は正に不滅でしょう。当時の非科学的な練習に体を壊されない親から貰った丈夫な体が一番の要素でしょうが何にも負けないメンタル、ジャイアンツへの対抗心、さらに体のケア、栄養摂取など今に通ずる合理的な考え方の持ち主でもあったようです。手首をプラプラさせながらゆっくりとしたフォームから豪速球とカーブで次々に三振を取る姿は当時の野球少年の憧れでした。