12月24日 年末風物詩

年末の恒例行事で昨日から会社の植栽に庭師が入っています。本社の門脇に植わりちょっとしたシンボルツリーになっている「コロラドトウヒ」や駐車場との境になっている伸び放題の「カイヅカイブキ」などがきれいに刈られています。コロラドトウヒはこの夏の台風で倒れその時にも植木屋さんが入り手当していましたが今はしっかり枝葉を伸ばしています。またカイヅカイブキは伸び放題になると本当にぼさぼさ髪の元気な男の子のような感じです。これらをクレーン車に乗った職人さんが電動のバリカンで大雑把に形を整え細かいところは剪定挟みで仕上げています。敷地内に散った枝葉は一か所に集められ多分業者が設えたのでしょうゴミ収集車に放り込まれています。普段はまったく匂わないカイヅカイブキが刈られとても清涼感のある香りがしています。終日大きな音を立て作業をしていた職人さんたちもようやく仕事が終わったのでしょう今の時間は静かになりました。

12月23日 クリスマスディナー

毎年この時期になるとクリスマスディナーに出かけます。子供達がいたころはボリューム優先のステーキハウスが定番でしたが最近は趣を変え昨日は近所の欧風創作料理と銘打つレストランに行ってきました。ここは時々利用しているのですが料理が結構凝っておりまた器がおしゃれで我が家では人気がある店です。昨晩のメニューはイタリアの田舎風料理とでもいえばいいのでしょうか「マグレ鴨」「エゾ鹿」「ホロホロ鶏」といった珍しい肉を様々なソースとあるいは「ストラッチャテッラ」といった珍しいチーズも出てきました。イタリア料理をよく知っているわけではないので頂いてきたメニューを見ながら書いているのですがいずれも手の込んだ料理でとてもおいしかったです。またアルコールが飲めない私達ですが昨日は「キノットソーダ」というイタリアでは人気があるのだという柑橘を頂いたのですが少し苦みがある刺激的な飲み物でこれから癖になりそうです。

12月20日 おらおらでいぐも

時々新聞広告で気になるものがあるのですが今日の日経新聞に載っていた三井住友信託の広告で俳優の佐藤浩市と作家の若竹千佐子の対談が面白かった。私は若竹さんの名前も知らないし本も読んだことがないのですが去年「おらおらでいぐも」という小説で芥川賞を最年長で取った方だとか。彼女曰「自分の人生の中で起きたことを線で結んだら一つ一つの一貫性みたいなものが見つかって「ああ、私はこのことについて学んだ人生かな」って。人生の主人公は自分だと、これまで歩んできた道を何となく納得する時っていうのは、とても慕わしいというか。そんな感じですね」と語る。老いは孤独だし寂しいが自分の生き方を腹に収める老年の時間、「生きることはこういうことなのじゃないかな」という成案を得る。そんな老いそのものを主人公にした小説が書きたかったのだという。孤独=マイナスではなくもっと楽しく深いものがあるとも。「おらおらでいぐも」納得。

12月19日 近所のお嬢さん

今朝通勤途中に我が家と同じ区画内にある家のお嬢さんと会いました。我が家では「鯉のぼりのお家」と呼んでいる二人兄弟の妹さんで多分4,5年ぶりだと思います。家から出てきたところだったので彼女と分かりましたが外で出会っても全く分からないでしょう。小さい頃はぷっくりした体形で声を掛けると高貴な人がするように手を小さく振るとても人懐っこい女の子で、くるくる髪にリボンをつけ元気に走り回っていました。その頃以来の出会いで聞くともう小学6年生だとか。勿論背は高くなりほっそりと女の子らしく背丈には少し小さめのランドセルを背負っています。見知らぬオジサンが声を掛けたので少々びっくりしていましたがすぐに「おはようございます」と声を返してきました。近所には同年代の子供が何人かいるので会うと声を掛けているのですが皆さんだんだん大きくなり少年少女に変身し始めています。いつまでも声を返してくれる人に育ってほしいな。

12月18日 池江璃花子さん退院

昨日水泳選手の池江璃花子さんが退院したと報道されていました。東京2020に向け好記録連発でメダル候補として期待されていた彼女は今年2月に急性リンパ白血病を発症しこれまで1年近く療養していたが症状が落ち着いてきたので退院するとのこと。これからリハビリをし様子を見ながら水泳の練習も始めるのでしょう。当初「白血病」と聞きすぐに亡くなった女優夏目雅子さんを思い出しこれは大変な病気になったものだなと心配していました。一時は抗がん剤の所為で相当苦しんだようですが幸い造血幹細胞移植という治療で快方に向かったとのこと。オリンピックを来年に控え正にこれからという時の挫折はどんなに辛かったろうと想像しますが、入院中も「病気には絶対に負けない」と強い意志を語りまた水泳仲間や全国のファンから声援を送られていたことも彼女の励みになったことでしょう。あの弾けるような明るい笑顔で再度の挑戦を目指す彼女を見守っていきたいと思います。

12月17日 松戸市が選んだ10大ニュース

松戸に「松戸よみうり」というローカル新聞があります。大手新聞があまり追いかけないような地域の情報あるいは松戸の歴史といった話題を取り上げちょっと地味ではありますがそれなりに大勢のファンがついているようです。その12月号に「松戸市が選んだ10大ニュース」が出ていました。4月の全国初の夜間中学開校、伊勢丹松戸店後に出来た「キテミテマツド」オープン、松戸市出身の力士「琴の若」が十両に昇進58年ぶりの関取誕生、2020の聖火リレーが松戸を通ることが決定、2020女子レスリングに市内在住の皆川選手が代表に内定、すぐやる課発足50周年、台風19号の被害、北部市場跡地に「テラスモール松戸」オープン、全国ねぎサミット開催、と最後に松戸市出身のプロ野球ソフトバンクの高橋礼投手が新人王を取ったことが書いてありました。全国紙の日常生活とはあまり関係ない話題とは違いいかにも地域性にあふれた面白い選定だと思います。

12月16日 年賀状

昨日から年賀状の準備を始めました。毎年簡単な版画を彫り近況などを添え住所も手書きですのでもしかしたら今どき珍しいのかもしれません。昨今近親者が亡くなったので年賀状を欠礼しますといった案内が増えてきましたが同時に退職した人達から70歳をすぎたのでとか煩わしくなってとかいった理由で年賀状交換を辞めますという案内も増えてきました。私は12月の土日になるとデザインを考え版画の準備をし今年正月の年賀状を再読しそれへの返事を書くというのが結構楽しみです。年賀状を書く相手とは本当に一年に一回この便りだけという人達もいます。中には毎年家族、子供達の写真を載せていたりかつての同僚だった娘さんが結婚し子供が生まれこんなに大きくなりましたなどという報告をみるのも楽しみの一つです。下手な版画ですから色がにじんだり文字が切れていたりと恥ずかしい限りですがそこは皆様知った方々ですのでご勘弁ということにして貰っています。

12月13日 討ち入り前日

最近は忠臣蔵の話題も随分少なくなりましたが明日は討ち入りの日です。どこまでが史実なのかよくしりませんが「時は元禄十五年師走半ばの14日、、、」講談、芝居でおなじみの忠臣蔵です。先日「決算 忠臣蔵」というぶっ飛んだ映画が出てきました。歴史学者山本博文氏の原作を映画化したもので赤穂浪士が切腹させられた主人浅野内匠頭の仇を討つことになったがそこにかかる莫大な費用をどう工面するのか、大石の算段は、浪士たちの反応はといった今まで見たことも聞いたこともない視点からの忠臣蔵だとか。さらに今までは至極当然に江戸弁での会話が関西弁でしかも大石も勘定方の役者もコテコテの関西人。「そんな予算おまへんで!」とナイナイの岡村隆史が嘆くそうな。何ともユニークですね。そもそも太平の世に仇討と称し吉良屋敷に押し入り首を取り江戸の町を凱旋し全員切腹という浮世離れした話なのですから何があっても不思議ではないのですが。

12月12日 のし餅

朝新京成みのり台駅から会社に向かう途中の米屋さんに「のし餅 12月28日お渡し 20日締め切り」と書いてありました。まず今どき米屋さんが珍しいのに餅搗きをするのはもっと少ないでしょうしその上「のし餅」ときました。関東の人にはなんでもないでしょうが北九州では丸餅でした。父が東京育ちだったので実家はのし餅も作っていましたが近所では圧倒的に丸餅でした。年末になると「賃搗屋さん」が石臼とその台を庭先に持ち込み3人で(これも相当珍しいと思いますが)調子を取りながら餅を搗くのです。出来立ての餅で大根おろしを包んだり黄な粉を付けて食べます。そして縁側でのし餅は大きな長方形の餅箱に出来立ての餅を流し込み形を作り、丸餅はまだ熱いのを片栗粉をまぶしながら丸く成形します。確か29日は「苦」が付くということで28日までに搗き終わっていたように記憶しています。今朝店先の広告で一瞬にして小さい頃の記憶が蘇りました。

12月11日 創立90周年

昨日は私が給料をもらっている株式会社椎名の創立90周年記念式典に出席しました。来賓の方が挨拶の中で90年生き残った企業の数は甚だ少ないというデータを紹介していましたが確かにすごいものです。株式会社椎名はその昔から今に至るまで新聞宅配業を生業にしています。最盛期は千葉のかなり広い区域を受け持っていたようですが現在は松戸に限定しています。新聞宅配は概ねその配達区域が発行元から決められており同じ新聞内での競合がなく大体定価販売なので利益が保障されていたこともあり一時期、店のオーナーは大変潤ったと聞きます。その時期に堅実な経営をしてきた販売店が生き残り、バブルに踊った販売店は去っていったようです。株式会社椎名はその堅実経営の一つだと思います。新聞読者が年々減ってきている中での経営は厳しいものがあり社長も色んなことを考えているようですがまずは昨日の90周年を無事に迎えられほっとしていることでしょう。