5月22日 夏の甲子園中止

二日前夏の甲子園大会が中止と発表されました。全国から人が集まり宿舎での集団生活等感染リスク、十分な練習が出来ていないのでけがのリスク、日程が遅れ学業に影響が出る、医療スタッフが揃わないことなどの理由が挙げられていました。早々にインターハイの中止を決定していたので野球だけ特別というわけにもいかないあるいは無観客試合による経済的負担なども理由にあるのかもしれません。個人的には中止に賛成です。どんな部活でも勉強のみ遊びだけの人達も高校三年間は一度だけで高校球児だけのものではありません。ただ高校野球は全国的に盛り上がり方が凄くまたプロ野球の登竜門にもなっていることは否めません。そこでプロ野球は「トライアウト」を大掛かりに実施したらいかがでしょう。大学のセレクションも少し幅を広げて。そして高校で燃焼しつくした人達はどこの部活動も同じ悲しい経験だが「しょうがない、次の人生を目指そう」ということです。

5月21日 ハルトリーゲル

最近「ハルトリーゲル:Hartriegel」というお客様からポスティングの注文を頂きました。何となくドイツ語っぽい単語ですが意味が全く分からないので担当者の方に聞いてみましたところ「ハナミズキ」をドイツ語でこう呼ぶのだと教わりました。木が固いのが由来かもしれません。ここは介護施設なのですが経営者の方がハナミズキを好きだったのでしょうね。桜のあと白、ピンクのふわふわとした感じに咲く花で日本にはアメリカワシントンD.Cのポトマック河畔に贈呈した桜への返礼として入ってきたと聞きます。因みにこの花英語では「Dogwood」と呼ぶとのことで調べてみると語源は諸説あるとのことですがこの樹の皮を煎じた汁が犬のノミ除けに使われていたことからだとも書いてありました。また秋になると街路樹で赤い実をつける木があり前からなんだろうと思っていたのですが今回ようやくハナミズキとこの実が結びつきました。

5月20日 コロナのデマ報道 

「一般的にいって初期の乳がんの手術後の放射線治療で免疫力が大きく下がることはまずありません。放射線治療中の患者やこれから放射線治療を受ける予定の人に大きな不安と動揺を与えかねない報道だと危惧します」これは先日コロナウイルスによる肺炎でお亡くなりになった女優の岡江久美子さんの所属事務所が出したコメント「昨年末に初期の乳がん手術をし、1月末から2月半ばまで放射線治療を行い免疫力が低下していたのが重症化した原因かと思われます」に対する東大病院準教授中川恵一氏の反論です。この所属事務所は岡江さんの放射線治療と死因との因果関係を専門家に聞いてからコメントをだしたのでしょうか。乳がん治療は早期発見で多くの方の命が救われると聞きます。その放射線治療を患者に躊躇させてしまうような正しくない情報発信は問題です。それでなくてもコロナに関する「デマ」は本当にたくさん出回っているようなので皆様ご注意を!!

5月19日 ベニウツギ

我が家のベニウツギが満開です。この花、とにかく強い。植えてもう10年くらいなると思いますがしっかり枝を張るので毎年かなり乱暴に剪定しているのですがお構いなしに枝を伸ばします。葉は少々薄汚く花は本当に紅色でやや大きめのロート型というのでしょうか、「きれい、美しい」とはお世辞にもいえません。ではなぜ狭い庭にこの花を?なんですが実は「奥の細道」の道中、白河の関で芭蕉同行の曾良が作った「卯の花をかざしに関の晴着かな」という句にとてもいい印象を持ったのです。この関所を通るとき古人は衣装を改めたと伝わるがそんな衣装がないのでせめて関所の卯の花を髪に挿し、晴れ着の代わりにして関をこえようとしゃれたのですね。今時分ちょっとした山に入ると目につく緑一色の中の白い小さな花、私はそのイメージだったのですが少々ハズレ。実際のところいい年をしたおっさんが薄い髪(?)のどのあたりに挿したのか想像は出来ませんが。。

5月18日 18歳と81歳

今日の日経夕刊「あすへの話題」はJR九州会長唐池恒二氏の担当ですが実に楽しい話なので孫引きですが(元はお笑い番組「笑点」とのことです)ご紹介します。道路を暴走するのが18歳、逆走するのが81歳。心がもろいのが18歳、骨がもろいのが81歳。恋に溺れるのが18歳、風呂で溺れるのが81歳。ドキドキがとまらないのが18歳、動悸が止まらないのが81歳。恋で胸を詰まらせるのが18歳、餅で喉を詰まらせるのが81歳。自分探しをしているのが18歳、みんなが自分を探しているのが81歳。東京オリンピックに出たいと思うのが18歳、東京オリンピックまで生きたいと思うのが81歳。社会に旅だつのが18歳、あの世に旅立つのが81歳。、、確かこの唐池氏は国鉄民営化後のJR九州を「七つ星 in 九州」の仕掛などで再生した伝説の経営者ということしか知りませんでしたが相当にユーモアセンスのある方のようにお見受けしました。

5月15日 奥の細道出発

今から330年ほど前元禄2年3月27日、新暦で明日5月16日芭蕉が深川から船で隅田川を上り千住上陸後北上し岩手平泉、奥羽山脈を越え山形、最上川から日本海側を南下岐阜まで150日に及ぶ「奥の細道」の旅に出た日ですね。例の「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人也」と始まるあれです。芭蕉御年46歳、平均寿命の短かかった江戸時代では老年と呼べる年に何の目的があって困難な旅に出たのか私には想像できません。今と違い旅行者向けの宿があるわけでなし新幹線もまだ開通していないので概ね徒歩。いくら有名人の芭蕉でも誰でもが一夜の床を貸すわけでもなし随分野宿も多かったのではないでしょうか。物の本ではどうも3年前に作った「古池や蛙飛こむ水のおと」に新境地を見出しそれの実践、さらには西行大好き人間の芭蕉がその旅程を辿った、そして古来伝わる「歌枕」を自分の目で確かめたかったといったところがその動機のようです。

5月13日 コロナの影響ここにも

毎年3月末の市の人口統計に基づき6月1日から有効のポスティング申込書を作り直し、今ちょうどお客さんに連絡しているところです。ほとんどのお客様はメールでやり取りしているので一言添えながら案内し、メールを使っていないお客様には持参しています。そこでいろんな生の話しが聞けます。例えば宅配弁当屋さん。報道によると自宅待機、テレワークの人が増えこの種の業態、ピザ屋、出前館、ウーバーなどが大繁盛しているとありましたので店の主人に聞きますと「NO」。普段より少ないかもしれない。お客さんの中には学校の昼食、イベントなどが結構な割合であったのに壊滅状態。それに考えてみれば毎日店屋物を頼むと大変な出費なので子供たちがいる今はお母さんが作るのが普通なんでしょうね。なるほどと思ました。一歩通行の情報なんですね。こうやって生の声を聴くと十把一絡げにあの業態がいい、悪いというのは危険だということが良くわかります。

5月12日 シタール再訪

先日「シタール」というインド料理屋に行ってきました。ここは20数年前まで京成八千代台駅そばのデパートで営業していたのですがデパートが閉店したため検見川に移転しました。結構気に入っていたので再度と思っていたのですがいつも人が待っており、そのうちに遠ざかっていました。ところがTVのニュースだったか、コロナの影響ですっかりお客さんが来なくなり経営が大変なことになっていると聞き行ってみました。駐車場が広く待っている人も数組だったのでしばし待機。入ると消毒液が置いてあり席もゆったり目の設営。ご自慢のランチとタマリンドジュース、ラッシーとマンゴプリンを追加。ランチはカレーが二種類と上品なナン。奥方のはそれにタンドリーチキンが付ていました。二十数年前の味はもちろん覚えているわけもないのですが全体的にあまり癖がない上品な味でした。中でも初対面のタマリンドジュースは程よい酸っぱさでとても気に入りました。

5月11日 由布院

今日の日経夕刊「あすへの話題」はJR九州会長唐池亘二氏の担当で日常の由布院と題した文章を載せていました。我が国の湧出量は一位別府、二位由布院とのことですがこの二つの町はまったく目指すところが違っていました。別府は当時の温泉町の典型で、それはいわゆる「おやじと修学旅行」に焦点を当てた街でした。夜になると町は活発になりお姐様方、暴力団の出番、記憶では派手な抗争があり一般観光客はとてものんびり湯につかる雰囲気ではなかったと思います。一方湯布院はそれとは全く異なったコンセプト「こんな日常があったらあいいな、という由布院を目指してきた」と当時の若手旅館経営者だった中谷氏。ドイツの山間温泉保養地を視察し「まちに大事なのは静けさと緑と空間」だと現地のホテル経営者から教わり大型レジャー施設を阻止しつつ、辻馬車、映画祭、音楽祭などの手作り企画を次々に定着させた。私も家族でゆっくり楽しめる街だったのを覚えています。

5月8日 青葉若葉

時々話題にしますが今日新京成常盤平駅前から伸びるけやき通りを車で走りました。「新緑」。毎年この時期になると必ず木々が精一杯葉を拡げ陽の光を浴び光合成を始めています。出来るだけ太陽の恵みを享受する為でしょうか木はどんどん上に伸びていき今では高さ5,6mもあるのでしょうか道の両側に等間隔でけやきが植わっています。車で通ると頭上の葉が陽を遮り木陰を作り木の間から漏れてくる光はとても暖かく柔らかく体中を包み込みます。若葉色、少し濃い緑と同じ緑でもかなり違っています。手には届きませんが若葉はやっぱり赤ちゃんのお尻のようなふんわりとしているのでしょうか。これからだんだん強くなってくる陽差しにも耐えられるように少しづつ分厚く色も濃くなっていくのでしょう。そして盛夏には立派な青年の樹らしく堂々とした姿を見せてくれるのでしょう。一年がいつから始まるのか知りませんがこの時期は「生命の始まり」のように思えます。