9月7日 台風10号No2

引き続いての台風10号話です。いよいよ九州上陸ということで昨晩からラインで親戚、知人とやり取りをしています。福岡市郊外に住む義弟の周辺では避難指示が出たとのことだが避難所が目の前の小学校なので家に留まるとのこと。また先輩の家は崖下でも海岸でもないので少し安心かと思っていたら、「高台にあるので強風が心配だ今晩は寝ずに備える」と返ってきました。大体ほとんどが冗談のひとなので「居眠りしながら頑張ってください」と入れたらサンキュースタンプが戻ってきました。やはり相当心配している様子です。情報によると台風は日本海を北上するルートから西側にそれ朝鮮半島に上陸しそうだとのこと。確か9号もかの地に上陸した記憶がありますので連続ということになります。前の片づけが終わらないうちにまたかよということで被災者は大困りでしょうね。人吉地方はどうだったのでしょうか。規模が半端じゃないだけにどこに上陸しても心配です。

 

9月4日 台風10号

台風10号が今後特別警戒警報級のの猛烈な勢力に発達して沖縄・奄美に接近、九州に接近・上陸するとみられ、気象庁が最大級の警戒を呼び掛けている。5日にかけて予想される最大風速(最大瞬間風速)は沖縄50m(70m)。6日午前には中心付近の最大風速が54m以上最大瞬間風速は80m(時速288km)になると予想されている。気象庁は進路にあたる地域に対し4日までに備えを終わるように求めている。2か月前の大豪雨で壊滅的な被害を受けた人吉にも影響がありそうだ。福岡には妻の実家があり義父は入院しているので家はしばらく無人。一体どうなることかと心配です。また世話になった前職の先輩たちも住んでおり全く他人ごとではありません。それぞれ知っている限りでは海沿い、がけ下、低地といった危険な場所に住んでいる人はいないようだが風速7,80mというと何があってもおかしくないので台風が通り過ぎるまで安心できません。

9月3日 教育長発言

私はテレビコメンテーターでも評論家でもないので直接見聞きしたもの以外報道などをそのまま信じることはしないようにしていますが先日の新潟県燕市教育長の発言には驚いています。目立つ箇所だけを抜出し全体の趣旨を曲解することのないよう注意して読んでも酷すぎます。一部ではあるがこんな一節があります。「今回のコロナ禍を短期的に解消する方法はどこかで大きな戦争が発生することではないだろうか」「紛争とか戦争が始まれば武器という商品で経済は回復するだろう」確かに歴史的には戦争特需というのがありました。しかしそれによってどれほど多くの国民の命が奪われ苦しみ痛めつけられるのかを考えれば「メチャクチャな発言」としかいえません。いやしくも教育に携わる人が前段で戦争の恐ろしさを説いているとはいえまともな神経で発言したとは思えません。例によって真意が伝わらなかったと弁明していますが逆に彼の真意はよく伝わってきます。

 

9月2日 テレビ欄廃止

先日米国のニュヨークタイムズが81年間続けたテレビ欄を止めると発表しました。理由は「番組表という形式が人々のテレビ視聴スタイルに合わなくなったため」という。アメリカでは日本のような配達制度がなく売店で購入する方式なので日本のような全国紙がほとんどなく発行部数3位のニュヨークタイムスでも100万部くらいのようだ。キー局の番組が全国で見られる日本と状況は違うようだが、最近の目覚ましいネットの拡充ともあいまってとうとう新聞からテレビ欄がなくなるんですね。日本でも若年層の新聞購読者は信じられないほど低く彼らはネットでテレビ欄を検索しているのかあるいはテレビ用の印刷物を見ていると聞きます。それで困っていないのだから彼らが年を取るにつれテレビ欄の需要も減ってくるのでしょうね。あるいはテレビそのものから違った媒体に移っていくのかもしれませんが。私はまだ新聞のテレビ欄を重宝しています。

9月1日 総裁選挙

相変わらずコロナのニュースは毎日流れ圧倒的な人たちがマスクを付け手洗い、うがいをしていますがこの先どうなっていくのでしょうか。早く収束しないと救済し切れない商売人がどうにもならなくなってしまいます。そんな中安倍首相が病気のため退陣しました。彼の功罪、レガシーいついては評論家諸子に任すとして私は総裁選挙とアメリカ大統領選挙との違いがとても面白く感じられます。もちろん総裁は自民党の代表なので即、国の代表というわけではありませんが私はその選び方、選ばれ方が違い過ぎるのに驚かされます。片やまだ立候補もしていないうちから根回しというか水面下で激しい動きがあり人数が絞られ何となく大勢が決まっていき、片やとりあえず出たい人はみんな立候補しそこから選挙活動を通じてふるい落とされ一対一になると相手の候補をボロカスにけなし、だから「俺を選べ」と猛アピールしています。国民性の違いなのか制度の違いなのか。

 

8月31日 豚・牛盗難多発

以前山形県だったかで収穫時期で食べごろのさくらんぼ「佐藤錦」を夜中にすっかり持ち逃げした事件がありましたが、このところ似たような手口で豚や牛の盗難事件が北関東各地で相次いでいると報道されています。栃木、群馬、茨城で7月上旬から豚約680頭、子牛8頭、ニワトリ28羽の被害が確認されているとのこと。前橋の養豚場では一度に400頭が盗まれたとのことだが一体何を目的にしているのだろうか。県警によると「育てるにはえさ代がかかる。育てて親豚にして売るのではなく、肉として食べるのだろう」とする見方をしているようだがこんなに沢山を食べられるわけもなし処理の知識、場所、技術がないと無理だろう、また正規ルートで販売するのは難しいようなので畜産関係者はネットなどの闇ルートで売るのではないかと推測しているようだ。いづれにしても農家が一生懸命に育てているのをあっという間に持っていくというのはあまりに酷い事件です。

8月28日 電車を止めるな!

今日から銚子電鉄の映画「電車を止めるな!~呪いの6.4km~」が一般公開されます。先日もテレビで銚子電鉄と社長竹本勝紀さんの大奮闘記が紹介されていましたが何ともこの社長の銚子電鉄に掛ける情熱は凄まじいものがあります。そもそも瀕死の会社に顧問税理士として入ったのに何やらかんやらの事情で社長になってしまいこの会社の再生が始まる。銚子駅から外川駅までの6.4km区間には特に観光の目玉もなければ沿線は過疎地。どうするの!!そこで「ぬれ煎」の登場。経理課長の「ぬれ煎餅を買ってください。電車修理代を稼がなくちゃいけないんです。」の名文句登場で虫の息の会社がほっと一息。その後も「まずい棒」のヒット等ありますが復活にまでは至らずついに社長が「何とかして状況を打開すべく売れるものは何でも売ってお金に変える、それが当社のモットーです」とぶち上げ細切れレールから線路の石まで。そして今日この映画が公開されるのです。

8月27日 警官の銃撃事件

数日前アメリカでまた警官が黒人を銃撃するという事件が起きた。たまたまそばにいた人が撮ったという動画を見ると危険なものを身に着けているとは思えない黒人男性が自分の車に近づきドアを開けると背後から一人の警官が数発発射している。詳しい状況は分からないが見る限り「人殺し警官の蛮行」のように見える。少なくともこの警官は撃った人のことを人間とは見ていないように思える。自分に歯向かってきて命の危険が生じた場合に発砲するのは何ら問題ないと思うがそのようには全く見えない。これはもう人種差別とか言った問題ではなくこの警察官個人の資質なのかもしれない。無暗に発砲するのはさすがに銃大国アメリカでも許されないだろう。マッチョ好きのアメリカ人ならなおさら後ろから無防備の人を撃つことを良しとはしないだろう。かの国の歴史をよく知らないで軽々に人種差別を論じるつもりはないが今回のは卑劣な警官のおぞましい事件だと思いたい。

 

8月26日 秋が見えた

松戸では数日前から小学生のランドセル姿を見受けます。コロナ禍で夏休みが短くなったのでしょう。今年はなんだか多い気がしますがアブラセミの死骸があちこちに転がりミンミンゼミが残り少ない夏を謳歌しています。昼間の気温は相変わらず35度付近にまで上がるものの自然界は着実に季節が移り替わっています。会社の行きかえりにはコスモスが揺れ、吾亦紅が咲いているのを見かけます。常盤平のけやき通りもぼちぼち落ち葉が目立ち始めました。人間界はコロナ禍で何とも季節感のない過ごし方をしていますが、自然界では立秋もとっくに過ぎ秋が「目にもさやかに」見えるようになってきました。海水温の上昇とかでサンマの初セリは、kg当たり1万1880円、魚屋では一匹1,200円だったとか。我が家の食卓に上ることはまずありませんがなあにサンマを食べなくても松茸が出なくてもいくらでも秋は味わえるのでここは我慢といきましょう。

8月25日 命も生活も(コロナ)

今朝の日経にコロナで冷え切る地方と題した記事が出ていました。中山石垣市長は「島で新型コロナウィルスが広がれば、手に負えなくなる」という理由で沖縄県の意向に反しクラスターが発生したキャバクラ店名の発表に踏み切ったという。県は「店の同意なしに公表すると今後の情報提供で協力が得られなくなる」といい中山は「接触が疑われる人を早期に医療機関へ受診させることが、感染拡大防止にどうしても必要」という。島内の感染症病床は9床のみだがすでに夜の街で感染拡大が疑われ始めているとのこと。観光収入で成り立っている南の島はこの時期を逃すと生活が成り立たなくなるので是非とも本土からの観光客を受け入れたいというのが本音でしょうが、さりとてそれでなくとも平均年齢が高い島でコロナが拡がるとどうにもならない。すでに沖縄県では圧倒的な陽性率になっています。何とも厄介な問題です。命も生活もどちらも同じくらい大事なんですが。