10月21日 秋の装い

今日は久しぶりの秋晴れだったので会社の近所にある公園で昼食を取りました。車の中だと窓越しに入る秋の日差しはかなり暖かく外に出ると心地いい風で秋ムードに浸れます。車を止めると駐車場の目の前の植栽が大分秋の装いになっています。サルスベリは花のイメージとはまるで違う少し角ばった薄緑の実をつけています。ここのハナミズキはすっかり葉を落とした枝に直径1cm程度の真っ赤な実を3,4個づつ付けています。昔あれほど目の敵にされたセイタカアワダチソウも黄色い花を付け目いっぱい空に向かっています。昼食はコンビニ弁当ですがなんだか野原で食べているような気持になりおいしく頂きました。私がいる事務所の植栽にキンポウジュ(ボトルブラシュ)が名残の赤い花を3,4輪つけています。急に寒くなったり暖かくなったりして着るものに迷う季節ですが少しづつ上物を羽織り段々冬に向かっていきます。自然界も冬の準備をしているのですね。

10月20日 キリギリス

朝晩めっきり涼しくなり帰宅時には虫の声が聞こえてきます。私は虫はあまり好きではないのでその種類もよく知らないのですが「キリギリス」というと思い出すのが芭蕉の「むざんやな甲の下のきりぎりす」です。奥の細道も後半石川県の小松多太神社に祀ってある齋藤実盛の兜と錦の直垂の切れ端を見たときに詠んだ句ですね。私は熊谷に行った時この地で善政を施し崇めらえていた熊谷実盛が開いたという妻沼聖天山にある碑で初めて彼のことを知りました。謡曲「実盛」などで知るぞ知る話のようですが実盛は幼少時にその命を救った木曽義仲と加賀篠原の合戦で老骨を隠すため白髪を黒く染め平家方として戦い討ち死にした。その首級から実盛だと分かった義仲が多太神社に兜などを奉納したのですね。そういった歴史的背景を芭蕉は当然心得ており兜の下に見つけたキリギリス(今のこおろぎ)に実盛を思い浮かべたのですがほんの17文字の中に生きる情景ですね。

10月19日 赤とんぼの歌

昨日突然「赤とんぼ」の童謡を思い出しその歌詞がいまいち理解できずモヤモヤが残ってしまいました。この童謡は三木露風作詞山田耕筰作曲の一昔前には誰でもが知っている歌だったと思います。この歌詞は「①夕焼、小焼の、赤とんぼ、負われてみたのはいつの日か。②山の畑の桑の実を、小籠に摘んだは、まぼろしか。③十五でねえやは嫁に行き、お里の便りも絶え果てた。④夕焼、小焼の、赤とんぼ、止まっているよ、竿の先」というものです。赤とんぼを見た作者が昔のことを思い出しているのは分かるのですが唐突に③でねえやは十五で嫁に行きお里の便りも絶え果てたというところが引っ掛かるのです。識者によると「ねえや」とは子守をしていたお姉さんのことで彼女が15歳でお嫁にいってしまい、それまで来ていた彼女の実家からの便りも来なくなったという意味なんですね。赤とんぼを見て幼いころの淡い切ない思い出がよみがってきたんですね。納得。

10月16日 褒められる喜び

今日の日経夕刊に佐々木閑という仏教学者が表題で書いている話。この方大学は工学部だったのだが4年になり研究室に配属されまるで実験が出来なく自分は化学に向いていない人間だと分かり文学部に転向したというのですが元々寺の長男なので縁はあったのでしょう。50歳くらいまで自分は「ダメ人間」というレッテルが気持ちの奥に張りついたままで生きることになったが突然大学当時の教官から彼の退官記念に「君のことは認めていた。面白い道に進んだ学生として仏教の話をしてくれ」と講演を頼まれた。失敗ばかりの自分のことなど忘れているものと思っていたのに講演の後「いい話だった。よかったよ。」よいわれ自分のふがいない人生を真っ直ぐな目線で振り返ることができるようになったという。釈迦の弟子周利槃特の逸話を併せ、偽りのない心で人を褒めることが大好きだ。褒めている場面が大好きだ。褒めている人の顔が仏さまに見えてくると結ぶ。うーむ。

 

10月15日 魅力度ランキング

昨日ブランド総合研究所から恒例の「都道府県魅力度」ランキングが発表され7年間最下位だった茨城県が42位にランクアップし栃木県が最下位になったのだとか。これまで最下位を続けていた茨城県は県内の企業などで最下位を脱出するための対策会議なるものを作り「頑張った」のだとか。まあ人気投票なので知事さんもそんなに深刻になることもないのでしょうが。とって変わってのドンジリは栃木県。北関東、西九州などあまり目立たずどちらかというと観光の「通過県」というイメージがある県がランクが低いようです。デパートでは「北海道展」をするとハズれないといいますが一位は北海道。栃木には世界遺産日光がありますぜ。那須高原はとてもすばらしいですよね。私はほとんど毎年春秋のどちらかに出かけています。どうせおふざけで言っているのですからあまり気にせず、それでも話題つくり、観光地の紹介など魅力は発信し続けてくださいね栃木の皆様。

10月14日 樂家歴代展

日経夕刊に「樂家歴代展」が京都市の樂美術館で開催されていると出ていました。私は焼き物にも茶道にも全くの門外漢ですのでただ自分の目で見たものが気に入るかそうでないかだけが判断基準です。数年前上野で同じように樂の歴代展がありその作品集をみたのですが感動しました。まず初代長次郎の「赤楽茶碗 つつみ柿」と「黒楽 無一物」です。ド素人の私でも静かに収まっている赤楽の中に秘めたエネルギーとでもいいますか今にもあふれ出んばかりの力が漲っているのを感じます。また黒楽はすべての色を吸収して出来上がった恐ろしいほどの沈黙で圧倒されました。「歴代は代々一子相伝といいつつ、初代の精神性を己の中に据え、それぞれの茶碗を作った。作品と向き合えばその人柄と時代が見えてくる」と昨年襲名した第16第樂吉右衛門はいいます。15代がとても奇抜な作品の中に初代を意識しているのを見て楽家の怖さと凄さを見たのを覚えています。

 

10月13日 紅葉

台風14号から一挙に気温が低くなり過ごしやすくなってきました。これからも暑い日はあるのでしょうがそれでもだんだん秋らしくなっていくのでしょう。紅葉の時期は最近遅くなり市部では12月になってからようやくですが私は例年奥日光、福島、赤城山、秩父などと渓谷、山の紅葉を楽しんでいます。今日営業で走っているとハナミズキの葉が大分色を付け赤い実がなっているのを見つけました。葉はどちらかというと鮮やかというよりは枯葉色ですが実はとてもかわいらしいのが三つ四つかたまって付いています。以前秋になると赤い実を付ける木の名前がわからなかったのですがよく考えるとここは春ハナミズキがふわふわした花をつけるのを思い出し赤い実と花がつながりました。小鳥が啄み冬の準備をするのに役立ち食べられた実から種が落ちといったやり取りがあるのですね。常盤平のケヤキ並木はほんの少し色づき始めたところですがボチボチ落葉が始まています。

 

10月12日 新聞休刊日

毎月第二月曜日は新聞休刊日ということで今日の朝刊はなしです。私は朝起きて顔を洗ったら郵便ポストに直行し新聞を取り出します。そして朝食の間とトイレタイムで概ね読んでしまいます。時々は気になる記事を切り取ったりもします。ということで私は新聞の愛好家なのかもしれません。字が読めるようになった時から父親が新聞を読んでいたのでそれが当たり前だと思っていました。そして私も子供たちが物心ついた時からずっと新聞を読んでいます。なのに4人いる子供たちは誰一人新聞を購読していません。不自由も感じていないようです。多分世の中の出来事はスマホでチェックしているのでしょう。スマホと新聞の違いの一つはニュースの優先順位付けだと思います。スマホは時間の経過通りなのに対し新聞は好きなページから読めます。また新聞はデパートみたいなものでイベント、新刊本、生活の知恵など雑多な情報が取れるのも気に入っています。

10月9日 経年劣化

今日の日経夕刊に美術家の森村泰昌氏があすへの話題というコラムに「経年美化」と題し書いていました。内容は経年劣化という言葉が新旧の世代交代が激しくなりだした2000年代以降使われだしたように思う。一方最近「経年美化」という言い回しを初めて知った。これはペルシャ絨毯の価格は新品よりも人が足で踏んで使いこなされた品物の方が価値があり値段も上がり、これをある番組で「経年美化」と呼んでいたというのです。彼はそこからデータは不死だと展開するのですが私は経年劣化の方に引っ掛かりました。最近病院に行くとさしてよく診察もしないで「お年ですからね」と言われる。私はまだ少し頭の回転が悪く、動作が鈍いくらいで「老年:経年劣化」と言われるほど衰えていないと思うのだが。女房も先日医者から病名より先に「だんだん衰えてきますからね」といわれたと憤慨していました。まだ腰と肩と膝を除けばピンピンしているのに経年劣化とは。

10月8日 金木犀が散った

今日の松戸最高気温は16度。なんとも低くなったものです。そのうえ終日雨。長袖のシャツにジャケットでも少し涼しいくらいです。台風とその影響による秋雨前線のせいなのでしょう。先日散っても風情があるといった金木犀があちらでもこちらでも散り、木の根元がオレンジ色に染まっています。以前は気が付かなかった樹の下が金色の花で一杯になりここにも金木犀があったことがわかります。桜が雨に打たれ散ったさまは少し色っぽいのですが金木犀はやや地味で重たいものがあります。加藤楸邨の句に「木の葉ふりやまずいそぐないそぐなよ」というのがあります。多少とぼけた表現の中に自分に対する気持ちも込めているのか、秋が行ってしまうのを惜しんでいるのか寂しさがありますが今日の金木犀を見たとき同じ様な感情を持ってしまいました。香りが強いだけに雨で散ってしまった花が何となく愛しくもう少し楽しませてほしかったな、嫌な雨だなと思いました。