4月5日 落花

「春風の花を散すと見る夢はさめても胸のさわぐなりけり:西行」昨日の雨と風で心配したのですがまだ花はだいぶ残っているようです。そんな中市内の街路樹として植わっている桜がぼちぼち散り始めました。今日は夕方近くになって晴れてきましたが丁度そのころ花が散る中を走る八柱霊園脇の通り、新京成沿線のさくら通りは何とも華やかでした。もう少し散ってくると今年も花の時期が終わるのだなと寂しくなりますが今はその境目あたり。これほどまでに花を愛し咲く前から気もそぞろ、そして咲けば今度は散ってしまうのが怖いとなんとも桜狂いの西行さんですがこの歌には隠された意味もあるともいいます。彼が出家した一つの原因ともいわれている待賢門院へのあこがれが吐露した歌だというのですが、、。私は下種の勘繰りよりひたすら桜に焦がれている西行の気持ちを歌ったものだととっています。何はともあれ後しばらくの桜を存分に楽しもうと思います。

 

4月4日 一本桜

桜が大好きなのでこの時期の週末は出来るだけ一本桜詣でをしたいと思っています。ですがこのところ仕事が立て込んでいまして先週は土曜日だけのお出かけで日曜日は仕事をしてしまいました。行ったのは八王子、青梅方面。お寺さんが多いので大概土壁の中に鎮座しているのですが八王子にある梅岩寺はちょっとした崖に枝垂れが覆いかぶさりそれは見事でした。毎年どなたかが作った一本桜のリストを関東地方中心に一本ずつ征服しています。ソメイヨシノも華やかではありますが山桜の重厚さ枝垂桜の艶やかさには叶いません。枝垂れ桜は「・・・姫」とか「姫桜」と呼ばれることもあり今回行った高楽寺にはその姿がお姫様が傘をかぶっているようだということから「姫桜」とよばれているとのことでした。これから桜前線は北上していきます。そいれを追いかける私も北上していきますが福島あたりでストップ。退職したら関東以外の桜も攻略するのを楽しみにしています。

4月1日 昨日の地震

昨晩8時52分 夕食中にドーンと来てゆさゆさ揺れ始めました。やば! デカイゾ とテーブルのうえの味噌汁椀を持ち上げ食器棚から中のものが飛び出さないように戸を押さえ身構えました。ほどなく揺れはおさまりテレビの地震速報を見ると震源地は「千葉市花見川区 震度4 震源の深さは70km」と出ました。地元も地元まさに私の家の住所です。娘はすぐその画面をスマホに撮り友達に送っていました。何しろ今まで花見川区などという名前は多分関東でも知られていないと思います。まもなく子供たちからもテレビ見た 大丈夫?とメールが入ってきました。まったく被害はありませんでしたがテレビに地元の名前が出たことで我が家はしばらく盛り上がりました。因みに花見川区は東京大学の検見川グランドで大賀ハスが発見されたことぐらいしか知られていません。たまたま花見川という名前でその両岸には今桜が満開ですが名前の由来はそれとは無関係のようです。

3月31日 盛花

タイトルは「もりばな」ではなく「せいか」と呼んでほしいのですが今回も桜の話題。私も桜狂いの一人としてこの時期は気もそぞろなのですが岡本かの子さんの歌にこんなのがありました。「桜ばないのち一ぱい咲くからに生命をかけてわが眺めたり」ご存じ岡本かの子氏は芸術は爆発だ!あるいは大阪万博の太陽の塔で有名な岡本太郎のご母堂。本人は小説家として「老妓抄」などの作品を書かれていますがそれより彼女の奔放な生き方の方がすさまじいのですね。亭主公認の愛人が一緒に住んでいたとかで瀬戸内寂聴さんの「かの子繚乱」のモデルです。与謝野晶子に師事していた彼女も師匠に負けず大胆な歌を作っています。この歌も命一杯に咲いているのだから私も命をかけて桜を眺めるというのです。散るのが悲しいなどとふやけた平安貴族の歌とはまるで違いなんとも激しい感情です。見事に散りましょうなどとカラ元気を出すよりはるかに単純明快なすごい歌です。

3月30日 西行桜

桜に時期になると「西行」さんが出てくるのですが彼は1190年の旧暦2月16日に亡くなったと伝えられています。新暦と旧暦の換算表でみると3月23日と出てきます。まあ大雑把に今時分ということにするとかれはまさに予言通り望月ではありませんが桜真っ盛りになくなったということになります。「花にそむ心のいかで残りけむ捨て果ててきと思ふ」と俗世の欲はきれいさっぱり忘れてきたはずなのに花が心から離れず困ってしまうとでもいった意味なのでしょうか。あの当時に平泉まで二回も行き、桜恋しさに吉野山にこもったりと尋常ではない恋しようです。桜に狂うというのはまさに彼のことを言うのでしょう。本当にたくさんの花にまつわる歌がありますが中でも「春ごとの花に心をなぐさめて六十あまりの年を経にけり」は私の人生はもう桜さくらで一杯。なんと幸せな人生だろうかとまでは意訳しすぎでしょうが十分すぎるほど彼の思いが伝わってきます。

 

3月29日 停戦協議で毒盛り?

夕刊に複数の欧州メディアの情報として「停戦協議、毒盛られたか」と載っていました。ロシアとウクライナの停戦協議に参加したウクライナ側の交渉者2人とウクライナの要請で協議に参加していた実業家アブラモビッチ(英サッカーチームチェルシーのオーナー)の3人が毒を盛られた可能性がありいずれも目の充血、手や顔の皮膚の剥離などの症状が出たが現在は回復しているとのこと。専門家は毒の種類や量からして生命を脅かすほどの被害を与えるには不十分であり、脅しのためだった可能性が高いとの見方をしているとも。やれ原爆を使うの生物・化学兵器を使うのと脅し(本気でないと信じたいが)をかけるのを見ると「007」とスパイ合戦を繰り広げたKGBの国ですからさもありなんと思ってしまいます。毎日ウクライナが攻撃を受けるニュースが流れかわいそうで見る気はしないのですがこの毒盛り事件には驚きました。手段を択ばず何でもありなのですね。

 

 

3月28日 開花

2,3日前のテレビで東京は今週初めには桜が満開になると報じていましたがその通り。今日は営業であちこちにいったのですがどこも桜さくら。まず八柱霊園南側。ここは道の両側2kmに亘って桜が植わっており東側から上っていくと空が一面桜になります。以前は両側に5m位の間隔で途切れなく樹があったのですが老齢化したり害虫被害なのか大分間引きされています。それでもここを通るときは何となく豪勢な気分になります。またもう一つの桜名所、新京成常盤平駅周辺のさくら通り。ここも毎年立派な花を咲かせますが今日は満開。立ち止まりスマホで写真撮影の人も結構います。例年桜祭りがあるのですが今年はどうなのでしょうか。また帰りには会社近所の国分川の堤防横を通ったのですがここも満開。樹齢は長くても10年はないと思うのですがそれでも勢いがよく高さはありませんが枝が広がっています。松戸はあっちもこっちもさくら桜。週末までもつだろうか。

3月25日 桜そしてひまわり

昨日おとといは冬に逆戻りかと思う寒さでしたが今日は打って変わった快晴で気温も上昇。昼の気温が何度だったのかは知りませんが街中ではYシャツだけの人もいました。坂川の崖に一本7,8部咲きの桜がまた聖徳大学脇の公園に5,6本の桜が見事に咲いていました。八柱霊園横の桜並木は蕾の赤がとても目立ち中に幾輪かの花も開いていました。松戸でも来週の後半は満開になるのでしょう。今年の桜まつり開催は調べていませんがどうなのでしょうか。ところでウクライナの今の時期はどんな花が咲いているのでしょうか。それどころではないことを重々承知したうえで何とか今年のヒマワリが見られるようになることを願っています。映画の中でソフィアローレンがマストロヤンニがヒマワリの中で逢瀬を楽しんだ、風に揺らぐ一面のヒマワリが目に焼き付いています。むごたらしい侵略が一日でも早く終わり平和になって欲しい。祈ることしかできないのですが。

3月24日 春雨とばらと子規

今朝新聞を取りに外に出たら昨晩の雨で景色がみんな濡れていました。すっかり散った鹿児島紅梅、盛りを迎えようとしている雪柳、あと少しで花が開きそうなカイドウ。そんな中でひと際目を引くのが「バラ」。我が家のバラは十数年前に近所の人から貰った一本で冬になるとすっかり枯れ老木の体をなしているのだが今朝は雨に濡れた若葉、新芽がとてもきれいです。「くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる:子規」正岡子規はこの歌の二年半後に脊椎カリエスで亡くなるのだがこの当時はもう病床から抜けだせず庭に見えるものは何でも歌にしていました。毎年花をつけ楽しませてくれるバラはこの時期すんなりした擬宝珠型の先がほんのり赤みがかった花芽を出しています。昨晩の雨で小さな水玉が葉に転がっています。これから一雨ごとに大きくなりやがて花を咲かせるバラは彼にとってもしかしたら生きている喜び、生きる望みだったのかもしれません。

 

3月23日 湯あたり?

昨晩電力逼迫のため夜8時頃から停電になる恐れがあるとのことで8時前に湯を張り食事後9時前に風呂に入りました。いつものように湯に浸かり体を洗っていたのですがまもなく肩が重く何となくぼんやりし始め息苦しくなりました。窓を開け少しじっとしていたのですがよくならないのですぐに上がりしばらく横になっていました。先日友の脳梗塞を聞いたばかりでしたので少々不安でしたが30分くらいで収まりました。こんなことは全く経験したことがないので原因を考えたら思い当たる節が。お酒の飲めない私は夕食前に養命酒を猪口一杯飲みます。食事後ほろ酔い加減でテレビを見るともなく見ながら3,40分ボーとしてから風呂に入るのですが昨日は食事後すぐに入ったので養命酒が回ってしまい気持ち悪くなったのかもしれません。なんともしまらない話ですがその後は何ともないので猪口一杯の養命酒で赤くなるのに食事後直ぐの風呂がいけなかったのだと思います。