6月22日 アガパンサス

ぼちぼちアジサイの旬が終わろうとしています。昨今は以前には見られなかった白、ピンクなど鮮やかな色が沢山出てきましたがやはり梅雨時に合うのは「青」です。ところで「青」といえば最近あちこちの庭でアガパンサスをみます。南アフリカ原産というこの花、背丈は1m程で分厚い葉が下の方にありそこからすーと伸びた茎の頂上に小さなユリ状の花が放射状に咲きます。色の種類はいくつかあるようですがよく見かけるのは紫っぽい青か薄い青です。その形から英名をアフリカンリリーというようですが名の通り花は上品で立ち姿は柳腰の女人でもいうのでしょうか全体がとてもすっきりとしています。アジサイとはまた違った魅力的な梅雨の花です。物の本によると丈夫で育てるのに手間がかからないのだそうで家の近所でもアガパンサスが4,5本咲いている庭が数軒ありますし最近では公園や植栽にも多く使われていますので気を付けているとあちこちで見られます。

6月21日 夏至

今日6月21日は夏至です。一年で昼の長さが一番長い日です。朝も随分早くから明るくなっています。夏至には冬至のようなイベントはあまり聞きません。今日はたまたまこの時間晴れていますが梅雨の時期ですので何事をするのも鬱陶しいのでしょうか。正岡子規の句に「のびきって 夏至に逢ふたる 葵かな」というのがあります。長く結核で寝こんでいた子規は、この時期ぐんぐん背を伸ばし花を下から付けていく葵の花が茎の上方に咲きようやく見えるようになった今日夏至の日にという感慨ですね。また葵の花を見ることができたといった生きていることのの実感なのでしょうか。また「夏至過ぎて 吾に寝ぬ夜の 長くなる」とも詠んでいます。これからは夜が長くなっていきます、痛みで眠られない夜 長い夜になっていくなあ という詠嘆。普段昼の長さだとか考えたこともないのですが季節の移ろいにこれほどの感慨をもった子規の苦しみを改めて思い起こしました。

6月20日 大賀ハス

18日の日曜日千葉公園に「大賀ハス」を見に行きました。この花は早朝に開花し10時頃までなのでいつもはまだ寝ている7時に起き30分ほど早朝ドライブをして着きました。今が旬だというのは新聞、テレビなどでも報じらているので大勢の花見客がスマホを持ち、望遠レンズを付けたカメラマンなどが思い思いの場所で鑑賞しています。ところで「大賀ハス」とは70年ほど前千葉県にある東大検見川グランドで大賀博士を中心としたグループにより発見された約2,000年前の古代蓮の種を発芽、開花させたものです。今では全国各地にその子孫が愛好家の目を楽しませているようです。当日はボランティアも沢山参加して花の説明をしていました。花の香りを嗅いでいると説明を求められたので「ほのかに甘いとても上品な香り」と答えるともっと具体的にと言ってワイン通の人がするような講釈を始めたので少し興ざめ。まだ蕾が多く来週あたりが満開のようです。

 

6月19日 読売歌壇栗木京子

今週の選は「ファミレスでローマという名のロボットがピザ運び来てピタリと止まれり:高山 豊子」私はこのロボットにはお目にかかったことはありませんが回転寿司屋で、あるいは違うファミレスで、あちこちでいろんなロボットに出会います。ただの運搬機みたいなものから子供が喜びそうないでたちのものまで様々な恰好をしています。注文はテーブルに置いてある端末で行いロボットが食事を持ってくる、何か用があるときはベルを鳴らすことになっており店員さんと話すことはほとんどありません。これですと人員が削減できます。わざわざ高い人件費を使って店員さんが食事をもってくる必要はまったくありません。私は若い人がこういう接客業につくのはちょっともったいない気がしています。どうしても人出が必要な厨房には時間を調整しながら働きたい人、意欲のある高齢者で賄いホールサービスはロボット大いに結構です。この作者は少し驚いている風情ですが。

6月16日 通勤電車の中で

今朝京成津田沼駅で新京成に乗ったら前の席に女の子が二人座っていました。どこだかの私立小学校1年生の様子。お揃いの真っ白いハットに一人は白いブラウス、もう一人は青いポロシャツ。白の子は膝の上にノートを広げお絵描きに夢中。青の子は何やら楽しそうに絵本を見ています。と電車がブレーキを掛けたので白い子の筆箱の中身が飛び散ってしまいました。小さな赤鉛筆が少し離れたドアの方まで転がってしまいました。膝が悪い私はとっさの動きができません。するとドアの横に座っていた男子高校生が慌ててその赤鉛筆を拾い白い子に渡しました。女の子は飛び散った文房具を一生懸命筆箱にしまっています。彼女は小さな声で礼を言ったように見えました。隣の青い子はその間中ズットニコニコしながら「♪フふふふ」と口ずさみながら絵本をめくっています。吊り下げ広告に「I am a child,I have a child」とあるのが目に入りました。

6月15日 陸自射撃場発砲事件

昨日岐阜市にある陸上自衛隊日野基本射撃場で実弾での訓練中に自衛官候補生の男が小銃を発射し隊員二人が死亡、一人が負傷という事件が起きました。自衛隊員の故意による発砲で死傷者が出たのは1984年以来50年ぶりとのことです。実弾での訓練をしないと戦力にはなれないのでごく当たり前の訓練なのでしょう。殺意はなかったと供述しているようですが、実弾の入った銃を人に向けて撃てば死ぬかもしれないというのは分かり切ったことです。人を殺すための道具なのですから。実弾の入った銃を取り扱うのですから細心の注意を払い教育するのでしょうし間違いや不正確な取り扱い方法には厳しい指導もあるのでしょう。またそうでないと困ります。何が気に入らなかったのか知りませんがあまりにも短絡すぎます。仲間が信じられなくなればこんな危ないことは出来ません。国を守るという同じ目標を持った人たちであると信じられなければ訓練は成り立ちません。

 

6月14日 最期は笑って

岐阜で「在宅ホスピスケア」を実践されている小笠原医師が最期は笑ってという題の文を今日の日経夕刊に載せています。大腸がら腸閉塞になり病院で緊急手術を受け2年後に在宅医療を受け始めた男性患者。医師が訪問診療を終え帰ろうとすると奥様から前日に夫から「明日旅に出るからいつものようにかばんと靴を用意して」といわれ「私も連れてって」というと彼は「遠いところだから、君は家で待ってなさい」というので枕元に置いた。医師が帰宅して2時間後奥さんから「主人が今旅立ちました」との連絡があった。医師が見た男性の顔は穏やかで、笑みを浮かべていたのに驚いた。今まで多くの患者の死を見てきて死ぬときは苦しむのが当たり前と思っていたのになぜ病院で苦しんでいた患者が家に帰ると笑顔を取り戻すのだろうか。もう治らないとわかっていたら闘病ではなく痛みと苦しみを取り除き生きる希望がわくケアが必要ではないか。医師が確信した瞬間ですね。

6月13日 読売歌壇栗木京子

今週の選は「主脳らよ被爆写真を凝視せよ空から死が降ってきたのではない:若林明良」先日のG7サミットでは関係者の努力のおかげで首脳たちに平和資料館を見る機会が設けられました。こんな悍ましいことが我が身に起こるとしたら誰も原爆など持たないでしょう。核抑止力という大義名分で原爆を持ちたがる人たちはゆめゆめ自分たちには起こらない、自分たち一族は被害を避けられると思っているのでしょうか。「核も辞さない」という脅し文句は言われたほうもそれがチキンレースであり実際にあり得るとは信じてないから効果的なのであって、もし本当に使う可能性があればそれはすなわち人類の滅亡につながり、万が一生き残ったとしても戦争の勝者としてではなく「かつて地球上で反映していた人類の生き残り」と次の征服者に珍重されるだけです。地球を何回も破滅させるだけの原爆を持ちながらそれでもなお人類滅亡の終末時計を進ませるのでしょうか。

 

6月12日 散髪

昨日久しぶりに散髪に行ってきました。手術後20日ほどは液体の洗髪料を頭に振りかけ手でマッサージした後タオルで拭きとっていました。とても便利なもので大変重宝していたのですがそれでもいつもの様子とは随分違います。日曜日の朝散髪に行くため土曜日の夜いつものシャンプーを使い片手ではありますがゴシゴシ頭をもみシャワーできれいに洗い流した感触は格別でした。さていつも混んでいる散髪屋なので30分前に行き並びました。鏡の前に座り額にかかる少量の髪、耳たぶを隠すほつれ毛、後ろ首に巻きあがる髪を親父さんが切っていきます。終わってからエプロンを外しぼんやり目で見る鏡には心なしか若返った本人がいます。家に帰り妻が美容院に行ったとき必ずする動作、手の平を上に向け耳の下で髪を持ち上げるように上下し妻に見せました。ほんの少し笑いが取れました。頭を洗ったり散髪したりという何でもないことがこんなにイベントになるとは。

 

6月9日 抜糸

昨日手根管症候群の手術から2週間が経ち抜糸をしてきました。糸を切るときに肉を引っ張る感触が苦手でいやだったのですが泣かずに済みました。まだ急な動きには違和感がありますし、重たいものを持つのは怖いだけでなくひと月ほどのドクターストップもかかっています。ただ久しぶりに外の世界に触れた指、手のひらは随分うれしそうでした。手術してない方の片手でではありますが頭を洗いカミソリで髭を剃ったのですがやはり気持ちいものです。箸はまだ以前のようには動かせません、ちょっと練習が必要でしょう。シャツのボタンは便利な器具があるのでそれを使い、相変わらず小便がしにくいのでひも付きのズボンをはいているので抜糸前後でそんなに大きな変化はないのですがまず外見上包帯がないのがまるで違います。医者は指を動かしなさいといっているのでリハビリをしながら徐々に元に戻っていくのでしょう。抜糸後もしばらくは不自由な生活が続きます。