戌年にちなんで
「忠犬 小金丸」の伝説
諏訪神社の狛犬
「忠犬 小金丸」の伝説
今年は戌年。そこで犬にまつわる話題を紹介する。
戦国時代、松戸市は小金城の城主、高城氏の支配地だった。高城氏は小田原の北条氏に味方したため、豊臣秀吉の関東攻めで小金城は落城したが、徳川幕府2代将軍・秀忠に子孫の高城胤次が召し出され、旗本に取り立てられた。
この高城氏にはいくつかの伝説が伝わるが、その中に「忠犬小金丸」の伝説がある。
小金城主・高城下野守(たかぎしもつけのかみ)が、夏の初めの天気のいい日に愛犬小金丸をつれて三輪山・思井に狩りに出かけた。疲れた足を休めようとして大木の根に腰を下ろしていると、いつの間にか眠ってしまった。
そうしているうちに、けたたましく吠える犬の声に目を覚ました。見ると小金丸がいつもと違って、すさまじい形相で、高城下野守に飛びかからんばかりに吠えている。
高城下野守はとても怒り、腰に帯びた刀で小金丸の首を切ってしまった。
すると、切られた小金丸の首は、高城下野守が眠っていた大木の小枝に飛びあがり、小枝に巻きついていた大蛇の首すじにかみつき、かまれた大蛇は枝から落ちたという。
大蛇が高城下野守に襲いかかろうとして、その危険を知らせるために小金丸は必死に吠えていたのだ。ようやくそのことに気がついた高城下野守は、自分のしたことを悔いて涙を流し、僧などを呼んで小金丸を弔い、厚く葬ったという。
流山市思井の伊原家の畑中に犬塚があったという。今は同地に碑が残されているというので、以前に数回訪れたことがある。流鉄の鰭ヶ崎駅が最寄りだが、地理的には小金城址駅からもそう遠くない。思井には耳だれ(中・外耳炎)治しのお地蔵様「耳だれ地蔵」があるが、お地蔵様の隣がその敷地のようで、塀の隙間から碑らしきものが見えたが、無人のようで確認できなかった。また、近くには村立伝説が残る椎の木がある熊野神社もある。同地と熊野神社の間は切通のようになっており、つくばエクスプレスが走っている。
※参考文献=「松戸の歴史案内」(松下邦夫)
諏訪神社の狛犬
東武野田線・豊四季駅(柏市)から徒歩3分の諏訪神社は「おすわさま」として親しまれてきた。
拝殿の前に鎮座する狛犬が見事だ。北村西望氏(長崎の平和祈念像の制作者)の作品で、近年のものだが、妖気漂う迫力の造形である。
諏訪神社は、大同2年(807)に、天武天皇の皇子・高市皇子の後裔が政変のために関東に下ったおりに、風早(松戸)、名都借と移り住み、最後にこの地、駒木に落ち着き、信州からお諏訪様を勧請したという。祭神は武御名方命(たけみなかたのみこと)。
平安時代末期に源義家(八幡太郎)が奥州遠征した行き帰りに諏訪神社に詣でて、戦勝祈願とお礼に乗馬と馬具を献じたという。その時に鞍をかけた松を「鞍掛の松」と呼ぶようになり、明治初年に枯れたという。今は碑だけが残り、この話にまつわる彫刻がある。また、参道にある門の中に鎮座する矢大神・左大神の彫刻も見事。雨宮敬子氏の作である。森の中には天神、稲荷、國魂、恵比寿、大鳥、招魂、雷、姫宮の各神社がある。樹齢600余年を生きた「巨松」の根株などもある。ご神水も湧いていて、飲むことができる。 【戸田 照朗】