ありがとう新京成
新京成線が京成電鉄「松戸線」に
開業から78年、全線開通から70周年を迎える新京成電鉄㈱は、親会社の京成電鉄㈱に吸収合併され、松戸市民に長年親しまれてきた新京成線は4月1日から京成電鉄「松戸線」となる。松戸市の発展にも大きく寄与した新京成の歩みと今後を紹介する。【戸田 照朗】

常盤平~八柱駅間を走る新京成電鉄の電車
両社は、経営資源を最大限活用し、経営の効率化・意思決定の迅速化を図ることで、「千葉県北西部における事業基盤の強化及び地域活性化」、「経営資源の相互活用による競争力強化及び事業規模の拡大」、「スケールメリットを活かした効率的な協働体制の実現」といった効果をより早期かつ確実に発揮するため、合併に至ったという。
4月以降も駅名、運賃などの変更はない。車両の色はピンクから京成カラーの青色に変わるが、変更時期は未定で、4月1日にすぐに変更になるということはない。
駅構内の看板類については、順次ピンクから青色に変更しており、看板周りの部分は、青色に変更しているところもあり、すでに番線表示などの色が変わっているところもある。駅名看板については、駅ナンバリングの変更が4月1日になることから、3月31日終車後の作業で変更するという。新京成のロゴマーク(ステップマーク)はなくなり、公式キャラクター(しんちゃん・けいちゃん)は卒業する。
曲がりくねった路線が暮らしと便利を運ぶ
新京成線は松戸駅から京成津田沼駅までの区間、直線距離にすれば16キロ弱のところ、路線が曲がりくねってカーブが多いために、営業距離は26・5㎞の間に24駅がある(松戸市内は松戸から元山までの8駅)。
松戸駅の乗降客数は、1日平均9万3292人(2023年度)で24駅中で一番多い。一部の電車は京成千葉線に乗り入れしている。
全列車6両編成で各駅停車のみ。平日朝ラッシュ時4分間隔、日中10分間隔で運転している。
松戸市、鎌ヶ谷市、船橋市、習志野市を南北に、千葉県の中だけを走る路線だが、他社線への接続がよく便利だ。
松戸駅ではJR常磐線快速・各駅停車(東京メトロ千代田線直通)、八柱駅ではJR武蔵野線(一部はJR京葉線直通)、新鎌ヶ谷駅では北総線(都営浅草線直通)・成田スカイアクセス線・東武アーバンパークライン、北習志野駅では東葉高速線(東京メトロ東西線直通)、新津田沼駅ではJR総武線快速(JR横須賀線直通)・各駅停車、京成津田沼駅では京成本線・千葉線と、6駅で11路線に乗り換えることができる。
旧陸軍鉄道第二連隊の演習線
新京成線にカーブが多いのは、その誕生の歴史に関係がある。
新京成線は、旧陸軍鉄道第二連隊の演習線だったものを戦後、国(直接の交渉相手は連合軍総司令部=GHQ)から払い下げを受けて鉄道を敷設したもの。鉄道連隊の演習線は千葉から津田沼を経由して松戸までの45㎞を1運転区として編成されていた。千葉から津田沼までを第一連隊、津田沼から松戸までを第二連隊が受け持っていた。新京成線は第二連隊の跡に敷設したことになる。
旧軍に鉄道連隊が創設されたのは、明治27年(1894)の日清戦争以降。戦場における後方からの補給輸送を担った。鉄道連隊の訓練は、測量、路盤構築、敷設、架橋、漕舟、通信、爆破、運転、旋盤、製缶など多岐にわたった。鉄道連隊の演習線が曲がりくねっている理由には諸説がある。「一連隊につき45㎞の運転区間が必要なために、わざと路線を曲げた」「演習のために、カーブなど様々な線形の路線を作った」「敵機の空襲を避けるため」「明治以降の小金牧の開墾地では台地と谷津が樹枝状に入り組んだ土地を入植者たちが開墾したが、その入植地をぬって演習線を敷設したため」など。

津田沼第一公園に保存されている鉄道連隊のK2形機関車134号

旧陸軍工兵学校正門の歩哨哨舎(松戸中央公園)

鉄道連隊が建設した橋脚
戦後、演習線の払い下げに手を挙げたのは京成電鉄と西武鉄道(当時は西武農業鉄道㈱)の2社。結果的に、地元千葉県に地盤を持つ京成電鉄に払い下げられた。昭和21年、同社は新会社(仮称・下総電鉄で申請、後に新京成電鉄)を設立。新京成線の建設が始まったが、戦後の資材不足、資金不足などで全線開通までには苦難の道のりがあった。
昭和22年12月27日に新津田沼~薬園台の2・5㎞で営業運転を開始。以降、23年8月26日に薬園台~滝不動、24年1月8日に滝不動~鎌ヶ谷大仏、同年10月7日に鎌ヶ谷大仏~初富(当時は鎌ヶ谷初富)が開通した。しかし、ここで資金不足などの問題から6年ほど足踏みし、初富~松戸が開通したのは30年4月21日。さらに、京成線への連絡や国鉄津田沼駅への乗り換えの利便を図る目的などから、新津田沼駅は3回移転しており、路線が今の形になったのは43年5月15日だった。
資金不足を補う目的で、鎌ヶ谷大仏~松戸は24年1月21日にバス事業が鉄道に先行して始まり、同社の経営を支えた。また、初富~松戸の工事では、新京成線と水戸街道が交差するあたりから松戸市役所裏までの900メートルの間には2つの小高い山と低地があり、難工事となった(山の一つは、金山神社の山だろう)。この工事で10トンのダンプカー7500台分もの大量の残土が出、その処理に苦慮していたところ、松戸市平潟土地区画整理組合から水田だった低地を埋め立てるのに使いたいとの申し出があったという幸運にも恵まれた。同社は工事を請け負う代償として29区画の分譲地を造成し、販売することができた。
新線建設にあたり、同社は演習線のカーブの修正を試みたが、用地の取得の問題などでうまくいかない部分もあった。
現在の路線と演習線の違う箇所は大きく6か所。二和向台~初富は大きなU字カーブを描いていた。軌道の跡はほぼそのまま道路として使われ、谷間には当時の大きな橋脚が4つ演習線の名残として残されており、同地は公園となっている。2か所目は元山駅の近く、さらに五香~常盤平にも大きなU字カーブがあった。常盤平~八柱、みのり台~松戸新田も演習線とは違い、カーブがゆるやかになっている。当時の演習線は松戸駅にはつながっておらず、上本郷の先で分岐し、一方は胡録台を経て松戸中央公園(相模台)にあった陸軍工兵学校につながっていた(中央公園の正門は当時の工兵学校の名残である)。さらにもう一方は、和名ヶ谷から陣ヶ前を経て、千葉大園芸学部の西側から下矢切まで延びていた。もし、同社がこの路線も払い下げを受けていたなら、松戸にどんな風景が広がっていただろうか。あるいは江戸川を渡って、京成柴又とをつなぐ路線もできていたかもしれない。

五香~常盤平駅間(昭和40年代)

上本郷駅(昭和30年)

昭和38年頃のときわ平駅
松戸市の発展と新京成
稔台地区には大正時代から終戦まで旧陸軍の八柱演習場があり、相模台にあった陸軍工兵学校の主な演習地として訓練に使われていた。戦後、募集に応じた2つの部隊の人たち60人が入植したが、開拓は苦難の連続だった。演習場の土地は軍靴と戦車のキャタピラーで踏み固められ、爆破訓練などでできた穴も多い。松戸新田や和名ヶ谷、日暮など、農業が続けられていた周辺の村々の土地は肥えていたが、稔台の土地はやせていた。その上、入植したのは農業が初めてという素人集団で、農業の知識も技術もなく、素人でも作りやすい、麦、さつまいも、じゃがいも、陸稲などを作って、なんとか生活していた。
転機になったのは、昭和30年に新京成線の初富~松戸区間が開通し、みのり台駅ができたこと。
稔台開拓組合は、「稔台を開発できる土地」にすることを目指した。34年8月に松戸市が正式に工業団地用地の買収を申し込んできて、35年3月23日に市と協定書の調印が行われた。後の「稔台工業団地」である。市街化区域への指定も決定し、宅地開発が進み、開拓民はやっと困窮生活から脱することができた。
日本住宅公団が金ヶ作地区(現在の常盤平地区)に住宅団地を土地区画整理事業として造成する計画を発表したのも初富~松戸区間が開通した昭和30年。35年5月には一部の地域で最初の入居が始まった。常盤平団地の造成は松戸市が東京近郊の住宅都市として発展してゆく契機となった。その後、沿線では牧の原団地(同50年)、高根台団地(同36年)、習志野台団地(同42年)ができ、同社と共に発展した。

昭和38年頃の五香駅

松戸駅停車中の8000形車両(昭和59年)
マイメモリーズトレイン運行、記念グッズ販売
同社は、新京成78年間の思い出の写真で装飾した電車「マイメモリーズトレイン」を11月8日から3月上旬まで運行した。
「マイメモリーズトレイン」の運行は、お客さまと共に歩んだ新京成78年の歴史を振り返っていただきたいという思いで企画したもの。ヘッドマークは「マイメモリーズ」のメインアイコンを掲出、側面にもさまざまな別バージョンのアイコンでラッピングしている。車内は、中吊り・窓上枠など新京成の思い出の写真一色にした。
また、新京成電鉄と京成電鉄の合併により、新京成線が京成電鉄「松戸線」として新たなスタートを迎えることを記念し、両社ならびにデイトナ・インターナショナルが運営するセレクトショップ「FREAK S STORE (フリークス・ストア)」とのコラボにより「新京成の思い出」「京成電鉄『松戸線』への期待」をテーマとした合併記念限定グッズを製作した。
記念グッズは、きょう23日まで、新京成線新津田沼駅改札外の特設POP UP SHOPにて販売する。また、合併記念グッズの販売に先行して、2月7日より、各社SNSを通じて、沿線を中心としたお客様から「新京成の思い出」「京成電鉄『松戸線』への期待」をテーマにコメントを広く募集し、コメントの一部を3月中旬から車内広告に掲出している。
市で寄せ書き&パネル展
松戸市は新京成電鉄と松戸新京成バスに感謝の思いを伝える取り組みとして、寄せ書き&新京成電鉄78年の歩みパネル展示を行う。松戸新京成バス㈱は「京成バス千葉ウエスト㈱」に社名が変わる。
松戸市役所本館新館1階連絡通路で、寄せ書きは午前9時から午後4時まで書くことができる。パネル展示は午前8時30分から午後5時まで。期間は31日までの平日。会場にある専用用紙(花型のカード)に記入して回収ボックスに投函(投函翌日以降に掲示)。参加者限定で、新京成電鉄のノベルティグッズをプレゼントする(先着・ 数量限定)。

寄せ書きコーナーイメージ

歴史パネル

駅・電車の風景
※参考文献=「新京成電鉄の誕生とその歴史」(川上隆)、「稔台ものがたり」(大井藤一郎)、「改訂新版 松戸の歴史案内」(松下邦夫)ほか
※写真提供=新京成電鉄㈱