わたしのページ(読者投稿)
2025年1月19日
総勢14人で賑やかなお正月
元旦。5年ぶりに子どもたちの家族が揃って新年を祝えました。
本当ならコロナが一段落した昨年も全員集合の予定でしたが、11か月になる孫が風邪で来られなくなり、息子がお節を取りにだけ来たのでした。
今年もインフルエンザ等が流行ってると心配でしたが、お節やお餅は用意しなければと火を使う物は31日に仕上げ、お餅は28日、生酢や数の子は29日頃から用意を始め、31日は朝早くから夫は野菜を切ったり水にさらしたり、私は黒豆、焼豚、きんぴら、栗きんとん、昆布巻など昼過ぎにはほぼ仕上げ、自分では「中学校で習った分業による協業だなー」と悦に入ってました。
その後も夫の得意な卵焼きと、私の好きなはんぺんの入った伊達巻を二人でじっくり時間をかけ夕方やっと完成です。
元旦も早起きし、重箱に詰める作業が有りますが、今までかまぼこやチャーシューを切るのは私で、バランス良く詰めるのは夫が担当してくれてたのですが、その後のお刺身の用意も夫がやるので夫には刺身に集中してもらい私が詰める事にしました。そこで私はひらめきました!
「コロナで集まれない時に、各家庭に持たせるために集めたプラスチックの重箱を全て動員しよう」と。バラバラの重箱ですが一つに3段は揃ってるので箱に一種類だけ入れればバランスも何も考えなくてもいい。本当に私でも楽に詰められました。
そして夫は、前日買った柵の刺身のツマを作ったり皿に盛ったりゆっくり出来ました。我家は夫がほとんどお酒は飲まないので子どもたちも新年の挨拶におちょこにほんの少し入れるだけで、後はジュースとお茶でお節と雑煮でお年玉交換やおしゃべりを楽しみ、子どもや孫たちと総勢14人で3時間余りを過ごし、帰りには重箱に入り切らなかったきんとん(3キロ位作った)や昆布巻、卵焼き等を持参のシール容器に詰めて三々五々家路に着きました。
その日は長男が洗ってくれた食器などはそのままに、重箱も洗ったままで片付けは次の日になりましたが楽しい一日でした。
もう一人では全部の事は時間がかかり過ぎて出来なくなりましたが、夫と二人ならまだまだ出来そうと来年の事も楽しみに身体が衰えないよう頑張ろうと思った元旦でした。(根本・みみちゃん 75)
夫と行った靖国神社初詣のおもいで
結婚した翌年の正月、夫は私を初詣に連れ出した。電車を乗り継ぎ靖国神社へ。当時、なぜ靖国なのかを考える余地はなかった。
大鳥居の下でその年の干支、丙午(ひのえうま)の絵馬のついた破魔矢をひざに乗せ、緊張気味の若かりし頃の私。私の手編みのセーターを着た夫は精悍な顔つきでやはり照れている。
金色に輝く菊のご紋章を頂く本殿で心と心を震わせて合掌する。右手には、夫の出身大学の上層がかすんで見えた。社務所でお守り、神社のカレンダーを買い、振る舞いの甘酒で身体を温めた。屋外ステージで能の奉納舞を鑑賞し、清らかな新春を堪能した。
東京管区気象台の桜の開花宣言の基準となる標本木の下で、純白の鳩が餌を啄んでいて、何らかの拍子に数十羽が一斉に飛び立ち真っ青な空に乱舞していた。
15年くらい後、夫は難病(若年性パーキンソン病)を発症し、その平和で厳かな習慣も途切れがちとなっていた。
平成23年の正月、息も絶え絶えにJR飯田橋駅から、だらだら坂をシルバーカーに身を委ね懸命に歩いた。参拝を終えた夫は境内のベンチに腰かけ「もう俺は今年で最後になるかもしれない…」、そう言葉を振り絞り、うなだれていた。
病に敗北し病状は悪化し、新元号に改元されて1か月後、夫は旅立って行った。
その後のコロナ禍を経て今年、正月3日、十数年ぶりに靖国参拝を思いたった。高齢になった自分の体力に不安はあったが記憶をたどることができた。
夫は昭和19年、沖縄で出生した。終戦直前の沖縄の地上戦で、沖縄住民10万弱、日本軍約9万余が戦死した。夫の親族も数名含まれていた。戦後一家は内地(日本)へ移転した。経緯が義父から語られることはなかったようだ。夫はまだ小学校低学年だった。その後、義父は靖国神社参拝を励行したという。
靖国神社は戊辰戦争で戦死した軍人を祀るために創建された。明治維新から太平洋戦争までの戦没者240万人余を祀っている(私の叔父もその中の一人だった)。さらに、A級戦犯とされ処刑された元首相ら14人も合祀されている。
今年、本殿前に埋め尽くされた参拝客の中のどれくらいの人々が神社の歴史をさかのぼって手を合わせているのかと思いを巡らせた。自分にとっての初詣は重い。(仲井町 A・T 79)
今年の抱負は運動と感謝!
わたしの今年の抱負は「運動を続けること」、それと「感謝すること」。
世の中には様々な脳トレがあるが、中でも体を動かすこと、歩くことは脳に良い(記憶力の向上、気分の改善、認知症予防など)といろいろな本に書いてあったので、元気に毎日を過ごせるよう、寒い日も頑張って歩こうと思う。
日々、感謝することは多々あるはずなのに、なかなか出来ていない。そこで、感謝することを習慣化してみよう、と食事前に手を合わせ「食べものに、育ててくれた人に、届けてくれた人に、作ってくれた人に、ありがとう、いただきます」と言ってみた。しばらく続けてみたら、次第に「ありがとう」の言葉が口から自然に出るようになった。
それと、前よりもゆっくり時間をかけて食べるようになった。そして、食べること以外にも、有難いと思う気持ちが増えた年の瀬であった。
今年はさらに感謝の輪を広げていきたいと思う。
年をとると体があちこち痛む。前は何の不調もない健康な体になりたいと思っていたが、今はどこか調子が悪いと感じているくらいがちょうどよいのでは、と思うようになった。
美味しくご飯が食べられれば万々歳だ。(日日是好日)
我が家のお年玉のわたし方
我が家のお年玉はちょっと変わった方法で毎年、布地に相手の名前を刺繍して年齢分の小銭を入れて渡しています。
お金の大切さを分かってもらうように少しの金額を渡しています。小銭入れは手作りの袋を使っています。手作りの袋で少しでも温かみを感じてもらい、中のお金も小銭で大切さを分かってもらうように工夫しています。
少しでもその年に、無駄遣いがなくせるようにと実施している、変わったお年玉渡しです。
無駄遣いなく心を裕福な気持ちで健康な1年になることを念頭に祈っています。(胡録台・大谷恵子39)
私の本当の成人式はこれから!
私の成人式は、友人と2人で、東京の戸越銀座での祝い酒であった。やっとこの地球(ホシ)の人間と認められた星人式のようなもので、朝まで痛飲した。
夜明けの路を歩いていると、ふたりの間に「ネェ~アソバナイ~!」と女性の声。振り向くと、何と「オカマのオネエさん」(今や差別用語? スミマセン!)、「ゴメンナサ~イ」とお断り。
一夜で異世界に飛び込んでしまったような気持ちになり、酔いも一気に覚めてしまった。
そして今、熟年の御歳になり、私は本当の「成人式」はこれからだと思っている。
今日、真の大人に成りきれない御仁が増えている気がする。裏金、不倫の政治家、選挙妨害。ネットでは、いじめや差別、虚偽がはびこり、闇バイト等刑法犯や社会犯の増と、混沌とした日常がある。
私は、何歳という区切りではなく、自分自身が成人したと認められる歳になった時に、真の「成人式」をしたいと考えている。
その条件は「誠意を持って真実一路、けっして怒らず、家族や人のために尽くす人間」となった時である。
孔子の論語では、七十にして矩(のり)をこえずとある。私はさらに、「八十にして大我を知り、九十にして大宇宙、百にして輪廻転生を知る」などとわけの分からない境地を描いている。
兎に角、煮魚と美酒のひとり祝で、真の「成人式」をしたいと思っている。巳年の今年は出来るのやら、己の精進にかかっているのである。
(稔台・雑草愚人 68)
松よみ川柳
松の戸を 早々開く 琴櫻 黒田こまち
四世代 むかえらる春 ただ感謝 菅野イヱ
減っていく 年取るごとに 年賀状 池亀レイ
ケアマネの 笑みに月一 会う元気 老沼正一
都合良い 心にやさしい ゆめばかり らいおん丸
手も足も 出すぞ巳年の 心意気 根須嘉兵衛
値上げでも 貴重な文化 年賀状 髙橋富榮