本よみ松よみ堂
川上徹也著『あの日、小林書店で。』
決してあきらめない伝説の書店をモデルに描くお仕事小説
兵庫県尼崎市に実在した小林書店と店主の小林由美子さんをモデルにした小説。大手の出版取次会社に入社した大森理香を主人公に、由美子さんとの交流から理香が成長していく姿を描いている。
物語の間に、由美子さんの一人語りが挟まれている。この部分は著者が実際に由美子さんから聞いたエピソードを、一部の固有名詞を変更して書いたものだという。そういう意味で、フィクションとノンフィクションを融合した面白いつくりの小説になっている。
この作品は2020年12月に『仕事で大切なことはすべて尼崎の小さな本屋で学んだ』というタイトルでポプラ社から刊行され、昨年、文庫化にあたって、加筆・修正した上で、「5年後、あの日の続き」という後日談を加えて出版された。というのも、小林書店は昨年5月に惜しまれながら閉店したからだ。
大森理香は世田谷区の駒沢公園の近くで育ち、中学から同じ区内の私立の女子校に通い、エスカレーター式に大学まで進んだ。就職したのは、大手出版取次会社の大日本出版販売、通称「大販」だった。出版取次会社は出版社から本を仕入れて、書店に卸す、本の流通を担う会社だ。ただ、本屋に並ぶ本は買い取りではなく、委託販売なので、売れ残った本は出版社に返品されるという点が、他の商品とは違う。「大販」は架空の会社だが、日本には実際に大手出版取次会社が2社あり、そのうちの1社を思い浮かべることができる。
理香は特別出版界に興味があったわけではなく、就職活動で内定をもらった会社の中で、一番大きな会社が「大販」だったという理由で就職した。女性の場合はたいてい東京本社勤務になる。ところが、どういうわけか、理香が配属になったのは大阪支社だった。
自分に自信がなく、東京から出たことがない理香にとって、大阪への引っ越しは恐怖でしかなかった。しかも、出版取次会社の営業職なのに、今までに本を読んだことがほとんどない。
そんな理香に上司が引き合わせてくれたのが小林書店の小林由美子さんだった。
まちにある小さな書店は次々に姿を消している。由美子さんは、お気に入りの傘を売ったり、出版社が企画した全集や辞書など高価な書籍の予約販売に力を入れたりと、決してあきらめることなく、必死に書店を守ってきた。そして、書店を越えてまちの人に愛される大切な場所になっていった。由美子さんの一人語りによるエピソードには、人への対し方、生き方や仕事に向かう姿勢など、書店以外の他の業種にも通じる大切なヒントが隠されている。
理香も由美子さんから励まされ、ヒントをもらい、担当する大手書店でのイベントを成功させるなど、仕事の面白さとやりがいを得ていく。
書店好きとして知られ、全国の書店を取材して書いた『本屋さんで本当にあった心温まる物語』(あさ出版)の著作もある著者は、この作品の執筆には力が入ったようで、出版までに3年以上を要したという。
小林書店の物語は『まちの本屋』(大小田直貴監督)というドキュメンタリー映画にもなっている。
文庫版のカバーイラストは、閉店時の様子をイメージしたもの。実際には店頭はあふれんばかりの人で埋まっていたという。【奥森 広治】