松戸この1年を振り返る
記者が見た聞いた2024年

 2024年もあと9日で終わり。今年は元旦から能登半島で大きな地震があり、不安な幕開けになった。そんななか、市民の心を明るくしてくれたのがスポーツ選手の活躍だった。【戸田 照朗】

地震災害と猛暑
 2024年は元旦の能登半島地震という大きな災害から始まった。市では数度にわたり、被災地に職員を派遣するなどして、被災地を支援した。
 9月には記録的大雨が被災地を襲い、復興途中の被災地に追い打ちをかけた。
 また、今年の夏は昨年と並んで1898年の統計開始以降で最も暑い夏となり、温暖化対策が急務であることを実感させる夏となった。

スポーツ選手の活躍
 自然災害では暗いニュースが続いたが、スポーツ選手の活躍が市民の心を明るくした。
 1月の大相撲初場所で佐渡ケ嶽部屋の琴ノ若関が大関に昇進。5月の夏場所から祖父のしこ名「琴櫻」を襲名し、11月の九州場所で初優勝を果たした。来月の初場所で横綱昇進に挑む。
 琴櫻関は1997(平成9)年11月19日生まれの27歳。父は現・佐渡ケ嶽親方(元関脇・琴ノ若)、祖父は先代の佐渡ケ嶽親方(元横綱・琴櫻)。佐渡ケ嶽部屋がある松戸市で生まれ、松戸市立松飛台小学校に通った。埼玉栄高等学校に進学し、佐渡ケ嶽部屋に入門。2015(平成27)年11月場所で初土俵。2019(令和元)年7月場所で新十両昇進。2020(令和2)年3月場所で新入幕。2023(令和5)年1月場所で新三役となった。
 昨年の9月場所で9勝6敗、11月場所で11勝4敗、今年の初場所は、13勝2敗で優勝決定戦に進出し、横綱・照ノ富士に敗れたものの、三役で臨んだ直近3場所の勝ち星の合計を大関昇進の目安「33」に届かせた。
 11月場所(九州場所)では豊昇龍関との21年ぶりの大関同士の相星決戦を制し、14勝1敗で自身初の幕内最高優勝を飾った。松戸市出身力士の幕内優勝は史上初めての快挙。
 テラスモール松戸で行われたパブリックビューイングでは260人の市民が応援。初優勝にわいた。

琴ノ若関が大関昇進。左から織原正幸副議長(当時)、本郷谷健次市長、琴ノ若関、佐渡ケ嶽親方

パブリックビューイングで琴櫻関初優勝にわく市民

 8月8日(日本時間)、パリ五輪のレスリング女子フリースタイル50キロ級3位決定戦で、松戸市出身の須﨑優衣選手がウクライナのオクサナ・リバチ選手にテクニカルスペリオリティー勝ちし、銅メダルを獲得した。地元の六実市民センターでパブリックビューイングが行われ、深夜から早朝の試合にも関わらず、約200人が来場し、須﨑選手を応援した。
 須﨑選手は世界選手権4度優勝、2021年の東京五輪では全試合テクニカルスペリオリティー勝ちと、圧倒的な強さを見せ、今回のパリ五輪でも連続金メダルが期待されていた。しかし、6日(日本時間)1回戦のビネシュ選手(インド)にまさかの敗退。ビネシュ選手が決勝に進んだために敗者復活戦への出場権を得た。ビネシュ選手は体重超過で失格となったため、須﨑選手は直接3位決定戦に進出することが決まった。3位決定戦では、いつもの圧倒的な強さを見せ、テクニカルスペリオリティーで勝利した。
 9月のトークショーでは元気な姿を見せ、「東京五輪で最高の景色を見て、パリでどん底を見た。五輪という最高の舞台で、両方を見られたという経験はこれからの人生で大きな糧(かて)となります」と話した。

テラスモール松戸でトークショーを行った須﨑優衣選手(左)と司会のトミドコロさん(写真提供:松戸市)

須﨑選手の銅メダル獲得にわく六実市民センター

 村竹ラシッド選手(松戸市出身)は陸上男子110メートルハードル決勝に進出。9日の決勝で日本人として初めて5位入賞を果たした。
 パリパラリンピックの車いすラグビーに出場した松戸市出身の羽賀理之(はがまさゆき)選手は金メダルを獲得。羽賀選手のパラリンピック出場は、2016年リオ大会から3大会連続。前回、前々回は銅メダルで、今回は念願の金メダル獲得となった。
 羽賀選手は妻の真以子さんとともに市を訪問。真以子さんのお腹には新しい命が宿っており、「(4年後まで)常に自分のベストを目指して、子どもにかっこいいところを見せられるまでは、衰えられない」と話した。

市を訪問した羽賀理之選手(中央)と妻の真以子さん(右)、本郷谷健次市長(左)

 松戸市出身選手ではほかに、サッカー女子に平尾知佳選手、サッカー男子に内野貴史選手、パラ卓球に竹守彪選手が出場した。
 10月のプロ野球ドラフト会議で、松戸市立松戸高等学校3年の広瀬結煌(ひろせゆうき)選手が、福岡ソフトバンクホークスに育成4位で指名された。広瀬選手は、右投右打のショート。同校の生徒がドラフト会議で指名されたのは、令和3年に育成11位で指名された瀧本将生(たきもとまさき)選手以来2人目。ホークスのスカウト福元淳史さんは、広瀬選手の守備力を高く評価しており、広瀬選手は「その期待に応えられるように、これからまた一層努力して、プロで通用するようなものをつくりあげていきたい」と話した。

広瀬結煌選手(左)とあいさつに訪れたスカウトの福元淳史さん

 今年は、米大リーグ、ロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平選手が大活躍。エンゼルスから移籍前の1月には全国2万の小学校に寄付したグローブが松戸市にも届き、大谷選手の手紙とともに、全市立小学校45校に配布された。
 大谷選手はメジャー史上初の「50本塁打、50盗塁」を達成し、2年連続の本塁打王、日本人初となる打点王のナショナル・リーグ2冠に輝き、リーグ最優秀選手(MVP)にも選ばれた。

大谷翔平選手から寄贈されたグローブ

市の人口が50万人に
 6月7日午後2時20分頃に、松戸市の人口が50万人に到達した。
 50万人目となったのは、松戸市で新しく誕生した千葉遥賀(はるか)さんで、市役所新館1階の市民課に出生届が提出された。届け出を提出に来た父・千葉裕介さんに対して、遥賀さんが50万人目となった認定証が本郷谷健次市長から贈られた。

母親の怜さん(右)に抱っこされているのが
50万人目の市民となった千葉遥賀さん

 昭和18年4月1日の市制施行時の人口は4万433人。
 常盤平団地の造成は松戸市が東京近郊の住宅都市として発展してゆく契機となった。昭和35年4月に常盤平団地の入居が開始。昭和43年5月松戸市の人口が20万人を突破。翌年には小金原団地の入居が始まった。昭和48年4月に人口が30万人を突破。昭和50年3月に野菊野団地入居開始。同年8月に梨香台団地の入居が始まった。昭和55年5月に人口40万人を突破した。
 人口20万人から30万人を突破するまで、わずか5年。人口30万人から40万人突破までも7年だ。高度経済成長期以降の人口増加がいかにすさまじかったかがうかがわれる。
 近年の少子高齢化の中で、人口の伸びは鈍化し、人口が40万人を超えてから、今年の6月に50万人に到達するまでは、44年かかった。
 人口が急激に増加した昭和40年代から50年代にかけては、学校の建設など、インフラの整備に追われる状況だったが、人口増加が落ち着いてからは、21世紀の森と広場や戸定が丘歴史公園の整備など、文化施設の充実にも目が向けられるようになった。
 また、市では子育てしやすい街づくりを最重要施策のひとつに掲げ、幅広い子育て支援を実施。日本経済新聞社と日経xwomanが発表する「共働き子育てしやすい街ランキング」において、昨年までに3回、総合編1位を受賞している。

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