わたしのページ(読者投稿)
2024年11月24日

杉本洋子さんの作品

変わった世の中と説明不足
 前号の投稿「スーパーの対応納得いかない!」を読みました。
 昭和時代のスーパーなら、返品も交換も普通にしてもらえて、それが当たり前でした。しかし、時代は変わりました。食品に針や薬物が入れられたりする事件があったり、何があるかわからない世の中に変わりました。
 いったん、お客様の手に渡った商品の責任はスーパーから離れます。その商品に何か細工がされて返品されたかも知れない商品を、また売り場に出す事は出来ませんよね。日持ちするレトルト食品でも、箱の隙間から何か出来るかもしれません。本当に嫌な世の中になったと思います。
 今回の事も、スーパーの対応は一言足りなかったと思います。こういう事情があって、食品の返品は出来ませんと説明するべきだったと思います。レジで精算が済んだ時点で、その商品は購入者の私物となります。レジ中に間違いがあれば間に合いますから、レジ中の購入品確認も間違い予防になります。
 間違いは誰にでもありますから、お互いに気持ちの良いお買い物ができるようにしたいですね。(三矢小台・ダイエットは明日から)

ルール守る原則は大事にしよう
 こんなニュースを記憶している。
 右側を歩いている男、同じ右側を歩いて向かってくる小学生の男の子、「交通ルールを守れないのか!」と、男はその子の頭をポカリ。その男は、元新聞記者と記憶している。いくらなんでも、右側通行を守らないからと暴力を振るうとは、そうそうない事件である。
 「右側通行」。法律は、どのようになっているのか。道路交通法第10条第1項(1949年改正)、「歩道等と車道の区別の無い道路においては、道路の右側端に寄って通行しなければいけない」と、右側通行を原則と定めている。
 しかし、現実は目標に向かって、なるべく近づくように歩いている気がする。私自身、対面で人にぶつかったことも、トラブルになったこともない。交差点で人がぶつからずに歩いている光景は、海外の人からも驚かれることである。私自身もそうだが、「君子危うきに近寄らず」の精神で、トラブルを避けるようにしているせいでもある。だが、頑なに道を譲る気配のない御仁もいる。
 それでも、私は自分から譲るようにしている。トラブル防止、事故防止のためにも、この右側通行の原則を守り、道路状況等に応じて、臨機応変に対面通行したほうが良いようである。
 一方、道路交通法を守るどころか、「あおり運転」や「逆走」による事故のニュースが相次いでいる。他の車を挑発したり、その運転に腹を立てたり、あおり運転が止む気配はなく、むしろ増加傾向である。法の厳格な適用、交通ルール講習等の徹底で、安全な交通社会を築かなければならない。
 また、「逆走」については、標識やAIの活用などで悲惨な事故を防止する努力を早急に実施しなければならない。
 「右側通行」という普段あまり気にしないことでも、ちょっと立ち止まって考えると、不幸な事故を引き起こさない大切な命を失わないために、ルールを守る原則がいかに大事かが分かってくる。
 (稔台・雑草愚人 67)

脳がみるみる若返るぬり絵
 24色の色エンピツを買った。「脳がみるみる若返るぬり絵」の本を買った。
 朝4時頃に目覚めて世の中がまだ眠っているだろう早朝に、ばあちゃんは日本の旅景色のぬり絵を手にする。今朝は奈良の東大寺のページを開き、まず大仏殿の屋根からにしようか、鹿の背中からにしようかと茶色の色エンピツを取り、鹿の背中からぬった。
 そして「雲太、和二、京三」の言葉があり、平安時代、日本の建物の高さの順位は、出雲大社、奈良の東大寺、京都大極殿という豆知識を見る。
 東大寺は20代の頃、友だちと旅行に訪れた思い出がある場所で、ぬり絵の中でミニスカートを履いておしゃれをした自分が懐かしく本当に懐かしく思い出されて、なぜか昭和のCMソングのレナウン娘はワンサカワンサカイェーイイェーイイェーイと鼻唄が出る。(こいぬ)

今年振り返り来年に思い馳せる
 来年の手帳やカレンダーを準備しました。
 私は、手帳は複数使いです。来年の枠は6冊。3年日記、家計簿、勉強記録、食事・家事記録、スケジュール家用、持ち歩き用です。
 かわいい柄、シンプル柄やたくさんの様式の中から気に入った組み合わせを選ぶのはとてもワクワクします。使いやすかったものは引き続き来年もと、リピートするのも安心します。そして、カラーペンとシールもそろえておきます。
 ここ4、5年はコロナ禍で外出レジャーの記録はほとんどありませんでした。代わりに資格取得の勉強の記録が残りました。そのせいか、体重の増加の記録も残ってしまいました。
 来年は勉強の時間を確保しつつ、レジャーや運動の記録が増える一年にしようかと思いを巡らせています。
 今年は何を成せたかを振り返り、最後の追い込みをしつつ、健康で年末を迎えたいと思います。(小金きよしヶ丘・シゲ美 52)

新聞で学び開票結果を読み解く
 9月に岸田首相が辞任し、総裁選や新内閣発足と続き、首相就任から8日後の衆院解散、10月27日投開票という『戦後最短日程』で石破氏は決戦に臨んだ。しかし、結果は与党過半数割れとあては大きく外れた。
 政治に疎い私は、その目まぐるしさに理解が追いつかなくて勉強することにした。新聞の一面、社説、政治面をいつも以上に入念に読み、わからない語句はスマホで検索した。何となくわかった気がして、いざ投票へ。開票結果がいつも以上に気になった。
 自民大敗、やっぱり…。しかし、氏は辞任せず、政権維持に向け、広く野党の協力を得て、自民中心の政権を維持したいとの談話があった。わかったような、今いち納得できないような…。
 自民は56議席も減らしたというのに、総論として、実質賃金が下がり国民の生活が苦しくなったがその対策をとらなかった。国民や党と丁寧な対話がなく、これが国民の失望につながった。選挙終盤に不記載問題(裏金)を抱えた非公認候補側への資金提供が発覚した。その額2000万円で、執行部の失態と片付けられない、党内外に混乱を広げた。
 今回の選挙戦では、与野党ともに国民生活に直結する分野での訴えが多かったようだが、国民は(私も)それを一番望んでいる。政府は「デフレ脱却」を宣言しているが、現実には「インフレ」により生活が苦しくなっていることは日々、自分も実感していることである。
 では、どうするのか。
 財政健全化の議論の中で、財源確保には収入が多い富裕層や大企業により多くの税負担を求めるという考え方が妥当、との見解だ。
 石破首相は立憲民主と主張は似ているので歩み寄れる可能性はある、と言っている。つまり自民は今後、野党の協力を得なければ法案も予算案も成立させられない。対する立民の野田氏は望んでいた政権交代を目指すのは時期尚早と断じられた。深刻に受け止めるべきだ。
 今回、衆院選の投票率は53・85%で、戦後3番目に低かったという。
 あの光り輝く大理石の殿堂内で起こっていることは、一朝一夕のにわか仕込みの勉強では到底完結できないことを知った。(仲井町 A・T 79)

国民が納得する真の活動を
 衆議院選挙も終わりましたが、これからは当選した各議員さんのお手並みを拝見したいものです。
 選挙運動期間中の公約をまず実現し、国会でその公約したことを必ず実現出来るように頑張ってください。国民は当選した議員さんの活動を見続けています。
 しっかりと小選挙区、特に比例当選の議員さんは誠心誠意、国民のために必死になって頑張ってください。
 そして、今回投票した国民が納得する活動を真に期待しています。
(胡録台・議員さん)

できることは今後も続けたい!
 先日、小学生の孫の金管バンド発表会が有るというので、都内のJR駅から十数分の大学のホールを目指し出かけました。
 地図を持ち近くまで来ているはずなのに見当たらず、歩いている若い女性に尋ねましたが、彼女も「この近くだと思いますが…」とはっきりしませんでした。
 お礼を言って、次に中学生くらいの人に聞いてみたら「全然わかりません」とのこと。そこへ先ほど聞いた女性が戻ってきて「思い出しましたので」と丁寧に教えて下さり、また引き返して行きました。こんな方もいらっしゃるのだと本当に有難く思いました。
 もう60年近くも前、経済的に大変だった実家でやっと高校に入れてもらった私は、部活には必ず一つは入らなければいけないという学校の方針で、一番お金の負担が少ないであろう青少年赤十字(JRC)という、奉仕活動を行うという部に入部しました(その頃はボランティアという言葉も一般的では無かった)。
 部活の時、大きな病院に出かけ看護婦さんが洗った、使用済みの包帯を濡れている内に伸ばしながらくるくる巻き、広げて屋上に干すのが奉仕活動でした。そうすると乾いた時アイロン掛けをしたようにパリッとしました。
 その他にも色々なところで簡単なことはやらせてもらいました。時々、有楽町にあった都庁の別館で大学生から指導を受けたり、夏休みには他校の生徒達と大学生や指導者と小田原青少年の家での合宿、昼間はオリエンテーリングや手旗信号の学習、夜は討論や学習と結構充実した内容でした。
 あれから相当の年月が経ち、まだボランティアグループに所属していますが、冒頭に会った人のように相手の気持ちになって出来ているかと反省とボランティアに目覚めた頃を思い出し、私の年齢と体調で出来ることは続けたいと、体力と頭脳の向上を目指したいと思います。
 (根本・みみちゃん 75)

優しい人が沢山いるココが好き
 スーパーの駐輪場で自転車を出そうとしたら突風が吹き、隣の自転車がこちらに倒れてきました。すんでのところでキャッチした時、ちょうど通りかかったお店の人らしき人が助けてくれました。親切にしてもらって、とても嬉しく、あたたかい気持ちになりました。
 自転車で走っていた時、前に歩いている方がいたので停まろうとしたら、すぐにこちらに気づいてくれて、道を譲ってくれました。わたしがお礼のお辞儀をしたところ、丁寧でとても深いお辞儀を返して下さったのです。その姿に感銘を受け、胸があたたかくなりました。
 わたしにもできる小さな優しさみたいなことはないかなと、最近やっていることがあります。
 お店のレジで店員さんに「お願いします」と言うのと、同じ商品を買った時の「〇〇が〇点ですね」に対して「はーい」とか「そうでーす」と軽く言ってみたりしています。
 先日はレジで店員さんがカゴから重い商品を出す時に、カゴがずれそうだったので押さえていたら、とても喜んでお礼を言ってくれたので、とても嬉しく、幸せな気持ちになりました。
 暗いニュースが多い世の中だからこそ、人と人との触れ合い、笑顔、あたたかい声かけがより心に沁みます。松戸市には優しい人々がたくさんいて、住みやすくて、私はここが大好きです。(フライパン)

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