目標は全国、まず関東へ
高校駅伝 市立松戸高校に注目
10月からの駅伝シーズンを前に松戸市立松戸高校陸上部を取材した。同校には2021年に常盤平中学を男女とも全国中学駅伝に導いた蓑和廣太朗監督(34)が昨年度から赴任している。市松は蓑和監督の母校。現役時代には届かなかった「都大路」(全国高校駅伝)出場が目標だが、今年の現実的な目標は男子は県駅伝で8位入賞、女子は6位以内に入り、関東駅伝に出場することだという。男子が8位入賞をすれば、蓑和監督が卒業した次の年(2009年)以来。女子の関東駅伝出場も2009年以来となる。全国高校駅伝の予選となる千葉県高等学校駅伝競走大会は10月26日に旭市の千葉県総合スポーツセンター東総運動場陸上競技場で行われる。【戸田 照朗】
「いろんな人と関わり、吸収してほしい」
昨年の千葉県高校駅伝では、男子は八千代松陰が優勝。松戸市内の高校では、専大松戸が4位、小金が15位、市松は16位だった。女子は市立船橋が優勝。松戸市内の高校では市立松戸が7位、小金が13位、専大松戸が17位だった。
昨年、市立松戸の女子はあと一歩のところで、6位以内に与えられる関東駅伝の出場権を逃した。松島和花さん(2年)は、常盤平中学で2年連続で全国大会に出場。中学時代から蓑和監督の指導を受けてきた。「1年生も含めて層が厚く、みんな速くなってきている。常盤平中学の時も同じだったけど、男女も先輩後輩も関係なく仲が良くて、チームの雰囲気がいい」と話す。
蓑和監督は和名ヶ谷中学から市立松戸高校、東洋大学に進学。現在も松戸市陸上競技協会(松戸市陸協)に所属し、競技を続けている。「中学から高校、大学、社会人になっても陸上を続けているので、陸上の仲間がたくさんいる。生徒には、いろんな人と関わらせて、いろんな人から吸収してほしい。僕一人の指導では限界がある」と話す。取材した9月9日も松戸市陸協に所属している和田水希さん(國學院大学2年)と石塚雄人さん(麗澤大学1年)が指導に訪れていた。
和田さんは、我孫子市立白山中学時代に駅伝で全国大会に2度出場。都道府県駅伝にも出場した。個人でも全国大会に出場し、成田高校に進んだ。現在は、市民ランナーとして競技を続けており、昨年の秋から同校の練習に参加している。
石塚さんは、流山市立おおたかの森中学から埼玉栄高校に進学。大学ではケガなどで競技を続けなかったが、市民ランナーとして今も走っている。この日初めて同校を訪れ、埼玉栄高校で行っていたトレーニングなどを市立松戸の選手たちに伝授していた。
蓑和監督も市民ランナーとして競技を続けているため、生徒と走りながら指導することができる。
6月29日に千葉県総合スポーツセンター陸上競技場で行われた第77回千葉県陸上競技選手権大会の男子1500メートルで蓑和監督が優勝、2年生の森田瑛仁(えいと)君が5位に入り、8月23日に同会場で行われた第97回関東陸上競技選手権大会に出場。蓑和監督が2位、森田君が3位に入った。
同校は7月26日のSummer Night Run Festival in CHUO(中央大学記録会)に参加。3000メートルで蓑和監督はペースメーカーとして走り、森田君を引っ張った。2600メートルで「行け!」と声をかけ、森田君は蓑和監督を抜いて8分36秒の自己新記録を出した。U18の標準記録8分38秒を突破して、10月18日から三重県で行われるJOCジュニアオリンピックカップ第18回U18陸上競技大会の出場権を得た。
森田君は松戸四中時代は野球部だった。県駅伝にも出場したが、「メンバーになれるかどうか、ぎりぎりぐらいの選手だった」という。「市松は男女とも仲が良くて楽しく練習ができています。辛いと思うと練習をしたくなくなってしまう。部の雰囲気がいいから、楽しくできて、みんながいつも応援してくれるので、それで頑張ることができて、伸びていくという感じです」と話していた。
中大の大石港与コーチは今年のニューイヤー駅伝で優勝したトヨタ自動車の1区を走った。プレイングコーチとして、自身も走りながら選手を指導している。この日の中大記録会には今年の箱根駅伝で優勝した青山学院大学の黒田朝日選手など主力選手が多数出場。吉居駿恭、岡田開成選手など中大の選手と本気のレースを繰り広げた。「高校生とはレベルの違うレースを間近で見られたこと、選手たちにサインをもらったり、一緒に写真に写るなどして交流できたことは、かなりモチベーションにつながった感じがします」と蓑和監督は話す。
高校では公認記録会が少ないため、今年は順天堂大、平成国際大、流通経済大の記録会にも参加したという。
「陸上を嫌いにさせない」
蓑和監督は「走りの動きを整える、体づくりをする、チームづくりをするなど、走ること以外のところでいろいろ話すようにしています。リクルート(選手の勧誘)よりも、今いる生徒の力をしっかり成長させて、市松で陸上をしたいという生徒が一人でも増えてくれれば、チームとして良くなっていくと思う。陸上を嫌いにさせない、好きにさせるということを一番大事にしています。速い子でも、中学校の顧問に無理やりやらされて強くなっている子は、高校で3年間続けていると、どこかで嫌になる時が来ると思う。陸上をずっと好きでいさせてあげることで、努力する。好きなことは、だれでも一生懸命やる。陸上が好きで、この学校で頑張っていこうという子を育てたい」という。
蓑和監督は高校時代、インターハイに3年連続で出場。高校3年生の正月、進学予定の東洋大学は〝山の神〟柏原竜二選手の活躍で箱根駅伝で初優勝した。1つ下の学年には設楽啓太・悠太選手の兄弟が入ってきた。強い世代に囲まれて、箱根駅伝に出場することはできなかった。「高校時代はいい結果も出せた。大学時代はケガもあり苦しんだ分、今の指導に生かせている。これがもし、大学も上手くいきすぎて活躍しまくっていたら、今の指導はできなかったと思う。いい時も悪い時も経験できたことが今の自分の指導に生きていると感じる」と話していた。