本よみ松よみ堂
唯川恵著『みちづれの猫』
心にしみる、猫と生きた人たちの7つの物語
7編の短編小説集。短いお話の中に、主人公となる人物の人生が凝縮されている。どのお話にも猫が登場し、そして、最後には涙している。
「ミャアの通り道」
『ミャアがそろそろ旅立ちそうです』という母からのメールで4年ぶりに故郷の金沢に帰ってきた私。ミャアは子どものころに三人きょうだいで反対する父に泣いて頼んで飼ってもらった猫だった。猫がいるだけで家族の雰囲気が変わる。今はそれぞれの生活が忙しくてめったに故郷に帰ることはないが、姉と弟も帰ってきて、久しぶりに家族がそろう。
「運河沿いの使わしめ」
離婚をきっかけに江美の生活は荒れていた。自炊することもなくコンビニ弁当を食べ、部屋はゴミであふれていた。本当は料理が得意できれい好きだが、気力を失っていた。そんな時に部屋に入ってきた猫。茶太郎と名付けて可愛がるうちに、江美の生活は元の姿を取り戻していく。その茶太郎がある日突然いなくなり、江美は必死に探し回る。
「陽だまりの中」
息子の辰也の突然の死でほうけたように仏壇の前に座って過ごす富江。庭先にはいつも、つがいの二匹の野良猫がエサをもらいにやってくる。富江はこの時だけは我に返って猫にキャットフードをあげる。そんな時、千佳という若い女性が訪ねてくる。驚いたことに千佳のお腹には辰也の子が宿っているらしい。
「祭りの夜に」
山間の小さな村に住む大好きな祖父母を訪ねた鞠子。祖父の嘉男は81歳で元気だが、祖母の千代は認知症が進んで鞠子のことも分からなくなっていた。千代の心はすっかり娘時代に戻っていて、嘉男は父親、鞠子は幼なじみだと思っている。鞠子が来た日の翌日は村のお祭り。養蚕が盛んだった土地で、蚕(かいこ)の卵や幼虫、繭玉を食べるネズミを駆除してくれる猫を猫神様として崇めていた。村人たちは里山の麓の猫神社に集い、猫の面をつけて、遅くまで踊りに興じる。嘉男と鞠子は千代の娘時代の祭りの夜のある思い出につきあうことになる。
「最期の伝言」
亜哉子と幼い娘の美佑は猫好きなのに猫アレルギーで猫が飼えない。娘に甘い夫はことあるごとに猫のぬいぐるみを買ってくる。美佑の部屋は50個以上の猫のぬいぐるみであふれていた。なぜか幸せそうな娘と夫を見ていると、時々胸の中に、切なさとももどかしさとも呼びようのない、ざわめきが広がる。亜哉子は母子家庭で育ったが、母は2年前に亡くなった。そんな時、人づてに連絡があり、亜哉子は29年ぶりに父に会うことになる。
「残秋に満ちゆく」
中軽井沢でフラワーショップを営む早映子のもとに昔の恋人、靖幸が訪ねてくる。靖幸との別れはあまり良い思い出ではない。軽井沢は野良猫が多い。早映子はアルバイトの寛子から猫が苦手だと思われているし、早映子自身もそう言っているが、もとから苦手だったわけではなく、靖幸との苦い思い出が関係している。早映子は離婚と一人息子との疎遠にも傷ついている。靖幸との再会をきっかけに、止まっていた時間が動き出す。
「約束の橋」
70歳を過ぎた幸乃は川べりを散歩している。東京の郊外とは思えないほど澄んだ美しい流れで騒音も聞こえない。下流に最近では見なくなった緩やかな曲線を描いた古い木造の橋が見え、幸乃は橋まで歩いてみたくなった。マル、タロウ…。途中で昔飼っていた猫にそっくりな猫たちに出会う。それをきっかけに、昔の様々な記憶がよみがえる。北関東の田舎で結婚し、幸せを手に入れたかに思えたが、結婚生活は暗転。東京に出てきて化粧品販売員として懸命に働いた。苦しい時もあったが、いつも心の支えにしていたのが猫の存在だった。いつしか、猫のいない生活が考えられなくなった。
書評家の藤田香織さんによる巻末の解説によると、著者の唯川恵さんはセントバーナードを飼っていたことがあるが、猫は飼ったことはないという。だとすると、作家の想像力はすごいと思う。猫好きの胸に刺さる部分が随所に出てくる。
私は読みながら今までに出会った猫たちのことを思い出していた。「ミャアの通り道」では、高校時代に猫を拾って両親の反対を押し切って飼ったヤコのことを思い出した。私が家を出、ヤコが死んだ後も両親は猫を飼い続け、途切れることはなかった。「運河沿いの使わしめ」では、突然アパートのベランダに現れ、居ついてしまったクロのことを思い出した。「約束の橋」は、猫が好きな人なら誰もが知っているある伝説を思い起こさせる。最後の場面は涙が止まらなかった。【奥森 広治】