本よみ松よみ堂
森 絵都著『獣の夜』
日常と地続きの場所にある不思議な非日常の世界
7編の短編集。2020年代に書かれた作品はコロナ禍が影を落としている。
著者は児童文学作品でデビューしたからか、とても読みやすく、ユーモアのある軽みを感じる。日常と地続きの場所に不思議な世界がぽっかり口を開けている。そんな非日常を描いた話が多い。
「雨の中で踊る」はリフレッシュ休暇で海外旅行を楽しみにしていた男がコロナでどこにも行けなくなり、高校時代の思い出がある幕張の海に行こうとする。その途中、同じように海を目指していた男と偶然出会い、お互いに身の上話をするようになる。その男は浜で「生き方のカリスマ」と呼ばれる男と待ち合わせをしているという。
「太陽」は、緊急事態宣言が発出した日に歯の激痛に襲われた加原という女性が、やっと営業している歯科医院を見つけ、治療に行く。すると院長の風間は、歯は健康で、痛みの原因は心にあると言う。風間は歯を見るだけで、歯のことが分かるという不思議な能力を持つ医者だった。加原は、最近別れた恋人が原因ではないかとあれこれ思い出してみるが、歯痛は収まらない。「犯人」は誰なのか。
「獣の夜」では、仕事で急に行けなくなった泰介(たいすけ)の代わりに、紗弓(さゆみ)が美也(みや)と夕食を共にすることになる。泰介と美也は夫婦で、紗弓とは大学のサークルの仲間だった。実はこの日は美也の誕生日で、サークルの仲間たちが集まってサプライズパーティーを企画している。美也に気づかれずに仲間が待つ店に連れて行くのが紗弓の役目。大学を卒業して十数年。思い出の中に埋もれていた様々な人間関係が浮き彫りになり、思わぬ展開になっていく。
「スワン(『ラン』番外編)」は、ペダルを漕ぐと、その人の「心の澱(おり)」が見えてくるという不思議なスワンボートと池の話。
「あした天気に」は「テルテル王国」から来た、てるてる坊主が天気のことに限って3つの願い事をかなえてくれるという、おとぎ話のような、ちょっとかわいらしいお話。久しぶりに実家に帰ることにした一平は、思い切って高校卒業後ずっと会っていなかった小春に連絡を入れる。二人がずっと会えなかったのには、ある訳があった。
「Dahlia」と「ポコ」は数ページしかない短い作品だが、私はむしろこの2作品が一番心に残ったかもしれない。
「Dahlia」は、何か大きな出来事のあった後の日本で、社会の様子が一変している。どこかの病院が舞台で、この世界ではずいぶん花屋が繁盛しているらしい。短いお話の中に、近未来SFのような大きな世界が広がっているのを感じる。
「ポコ」は飼っていた犬を亡くした少年の話。コロナ禍の中で、ポコが最期まで、懸命に生きようとしたこの世界のことを少年は想う。短い文章の中に、胸打たれる物語が詰まっていて、文章の巧みさ、表現力に感心した。【奥森 広治】