松戸市の人口が50万人に
50万人目は新生児・千葉遥賀さん

 6月7日午後2時20分頃に、松戸市の人口が50万人に到達した。
 50万人目となったのは、松戸市で新しく誕生した千葉遥賀(はるか)さんで、市役所新館1階の市民課に出生届が提出された。届け出を提出に来た父・千葉裕介さんに対して、遥賀さんが50万人目となった認定証が本郷谷健次市長から贈られた。また、JAとうかつ中央から贈られた野菜の目録と花束が石和田二郎副市長から贈呈された。市ではカウントダウンボードとカウントダウンポスターを準備していたが、これを到達お祝いのポスターに切り替え、人口50万人到達横断幕をJR松戸駅西口に掲出した。
 千葉さんは「自分が4歳から大学卒業まで育った松戸市で、自分の子どもが50万人目になったことを誇らしく思います。一人目の子が生まれた時から、医療制度などが手厚く、松戸市に感謝しています」と話した。
 本郷谷市長は「きょう、遥賀さんの出生届け出があり、全国で28番目に松戸市の人口が50万人に到達しました。昭和18年に4万人の市としてスタートした松戸市が、誕生してから81年目に、人口が50万人に到達したことを、市民の皆様方とともに、素直に喜びたいと思います。これからも、さらに一層、人の集まる、魅力的な街づくりを進めていきたいと思います。今後とも松戸市をよろしくお願いいたします」と話した。

左から本郷谷健次市長、人口50万人目となる千葉遥賀さんの父・裕介さん、石和田二郎副市長(松戸市提供)

人口4万人からのスタート
 市制、町村制が施行されたのは明治22年。県内では千葉市が大正11年、銚子市が昭和8年、市川市が昭和9年、船橋市が昭和11年に誕生した。
 松戸町は昭和8年4月に明村と合併して人口1万5669人、13年4月に八柱村と合併して2万1506人になった。昭和14年には市制施行に必要な人口3万人にあと数千人というところまできた。
 松戸町は小金町と高木村、馬橋村に合併と市制施行を呼びかけたが、高木村の脱落で話がまとまらなかった。
 昭和16年には松戸町単独でも人口3万人を超える見込みとなり、馬橋村に呼びかけたところ、高木村も参加することになった。
 しかし、当時は国家総動員体制下の非常時で、県がなかなか動いてくれなかった。そこで、宮家の口添えを得て、昭和18年4月1日に市制施行が実現した。初代市長は松戸町長だった門六郎氏。人口は4万330人からのスタートだった。
 昭和29年10月15日に東葛市(現在の柏市)の境界を変更することによって、旧小金町の大部分が松戸市に合併した。町村合併促進法施行による県の合併計画では小金町、柏町、土村、富勢村の一部を合併して市制を施行することになっていた。しかし、小金町は以前に松戸町と合併を検討した経緯があり、坂川や江戸川の治水対策でも協力してきた。県の合併案には激しい反対運動が起こり、結局、小金町は柏町など4町村といったん合併し、市制施行後に境界変更をして、小金町が松戸市に合併することにした。小金町の当時の人口は8081人。
 昭和31年には、沼南村の一部、高柳・高柳新田を松戸市に編入。
 昭和35年4月に常盤平団地の入居が開始。昭和43年5月松戸市の人口が20万人を突破。翌年には小金原団地の入居が始まった。
 昭和48年4月に人口が30万人を突破。
 昭和50年3月に野菊野団地入居開始。同年8月に梨香台団地の入居が始まった。
 昭和55年5月に人口40万人を突破した。【戸田 照朗】
 ※参考文献=「松戸の歴史案内」(松下邦夫)、「はばたき」(松戸市制50周年記念誌)

市制施行間近の松戸町役場と職員。前列中央が初代市長の門六郎氏。後列左端の詰め襟の青年が後に市長となる宮間満寿雄氏(松戸市提供)

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