わたしのページ(読者投稿)
2024年6月23日
動物の飼育、今の時代こそ
三重県の県立高校で昭和の終わり頃から平成にかけての12年間、犬を飼っていた話を元に書かれた小説を読み、とても心があたたかくなった。
私が小学校5年生の時に男子が通学途中、子犬を保護して、引き取り手が見つかるまで教室で飼っていたことを思い出した。授業中は足元にじゃれついてかわいかった。中学生の時は用務員さんがカラスを飼っており、廊下を生徒と一緒にチョコチョコ歩いてみんなのアイドルだった。
今では考えられないことだと思う。
時は流れ、娘と息子の幼稚園時代には鳥小屋があったけれど、鳥インフルエンザの懸念から撤去された。そして、小学校時代にはウサギ小屋があり、飼育委員だった娘は夏休みのお当番の日には家からせっせと野菜を持って行った。やがてウサギたちは天に召され、以後小学校で動物が飼育されている様子はない。
昭和時代はどの学校にも池や鳥小屋が当たり前のようにあった。動物や生物を飼育するには指導者が必要になるが、昔と比較すると煩雑な業務に追われ疲弊している教員には難しいと思う。
みんなで考えながら大切に生き物をお世話し、生死を実感する飼育の現場は今の時代とても大事だと感じるが残念に思う。(二ツ木・石井裕子)
幻想的な景色を心ゆくまで
6月初旬、21世紀の森と広場で行われたホタル観賞会に行ってきました。
コロナ禍で3年間中止、その後の2年間は予約制での開催を経て、今年は従来通りの自由参加での開催に戻りました。
たくさんの人が集まったため、なかなか入ることが出来ませんでしたが、自分のペースで、ゆったりホタルを眺めることが出来てよかったです。
暗闇の中をゆっくりと舞うゲンジボタルのやわらかな光は本当に綺麗で、幻想的な景色を心ゆくまで楽しむことができました。
帰る時、来場者に「ありがとうございました」と深々と頭を下げておられた殿方がいました。その紳士的な姿に、ホタルを見た時とはまた違う感動で胸がいっぱいになりました。「いえいえ、こちらこそ、こんなに素敵なホタル観賞会を開いてくださり、ありがとうございました。地元でホタルが見られること、心から嬉しく、感謝いたします」。
ただ、残念だったこともありました。虫取り網を手にしている人がいたり、懐中電灯やスマホを点灯されている方が何人かいたことです。
ホタルは光が嫌いなのです。周りの人間に迷惑とかいう以前に、ホタルのために絶対にやってはいけないことなのです。ホタルに光を向けると、ホタルが点灯しなくなったり、逃げてしまったりして、繁殖活動に悪影響を及ぼします。
近年では、LED街灯の光がホタルに影響を与えていると聞きます。この先もずっとホタルを見たいのなら、マナーを守りましょう。(どくだみ)
私にはとても便利な乗り物かも
先月あたりから決まった曜日になると、どこからともなく軽快な音楽が聞こえてきて走り去って行くようになった。日に何度か同じ音楽が聞こえるので不思議に思いのぞいて見ると、家の前の道をグリーンスローモビリティの無料バスが運行するようになっていた。
近くの支所に停まっていて出発を待っているような人たちを見かけていたので存在は知っていたが、こんな近くがルートになったとは驚き。
少し調べてみると、予約も可能だがルート上で空きがあれば、手を上げれば乗ることもできる。駅や近隣のスーパーが目的地に設定されている。
自動車の運転を止めてしまったので買い出しは専ら自転車だが、天候に左右されるし帰りは荷物が重い…。民営バスを頼りに外出することもあるが、大抵バス停は大通り沿いだし渋滞の遅延に影響されたりもする。タクシーはメーターが刻まれていくのが気になるし、妙に緊張もする。
そんな私にはとても便利な乗り物が登場したかもしれない。
運転手さんはボランティアによって支えられている部分もあるようだ。とてもありがたい。近々乗車してみたいと思っている。(六高台・飛べない小豚 47)
手間ひまかけて私の箱庭を作る
草が生えてくる。手間ひまもかけていないのに、無料ですくすく育っていく。東側の庭から順に、草を抜いたり、植木鉢や庭木の手入れをしながら、南・西・北と手入れが済んだ頃には、東側の庭にまた草が生えている。「まるで誰かが草の種を丁寧に植えたようだわ」。私がそう言うと、近所で菜園をやっている友達が大きく頷く。
先日、病院の先生が、皆草抜きが楽しいと患者さんが言うんだよ、と不思議がっていた。ずっと毎日続けていれば、草抜きも重労働である。しかし、草抜きは楽しいかもしれない。
箱庭に入れられたような生活の中で私は今日も私の箱庭を作る。手間ひまをかけて。(匿名希望)
忘れ得ぬ感動の心と出会い
人生100年時代。私はすでに後半の人生となった。蛍の光の如き一度の人生、忘れ得ぬ感動の出会いがあった。
私の母の故郷は、群馬県松井田町土塩(ひじしお)上毛三山が見渡せる場所である。
中学生の頃であった。「公民館に政治家の人が来るから行ってみたら!」と伯母が教えてくれた。桜が咲いていた頃だったと思う。その人は、中曽根康弘さん。
講演が終わった時、勇気を出して傍に行き、握手を求めた。背が高く、貫禄たっぷりの姿に圧倒。中学生の私の頭をなで、「一生懸命勉強しなさい!」と言われた。この出会いが、その後の私の生き方に大きな影響を与えた。心の中で、「大きな人間にならなければ!」と思った。
そして、2人目は、妻と行った「森山良子コンサート」の時に偶然お目にかかった美智子皇后様である。
ホール入口の人だかりに近づいてみると何と、美智子皇后様。こんな間近でお会いできるとは。その神々しい御姿、慈愛に満ちた眼差しに大感動。妻と手を握り合い、しばし立ち尽くした。今でもその時の光景が甦る。
そして、感動の出会い3人目は、仕事の関係でお会いしたアンパンマン作者のやなせたかしさんである。講演後、記念写真まで撮っていただいた。アンパンマン誕生の秘話や子どもを愛するお話に感動した。
かつて、熱海の梅園の小川でホタルを見た。「アッ、光った!」「キレイだなあ!」子どもたちの声が夜の静寂に響き渡る。その声が私の心を揺らした。 感動の心、感動の出会い。人生後半、どんな出会いがあるのか、まだまだ楽しみである。(稔台・雑草愚人 67)
もっと早いサイクルで補修を!
自宅横の歩道は狭く、やや広い反対側の歩道の間は片側一車線の市道だ。スーパーへ行くため、すぐ近くの信号機のない横断歩道を利用しているが、白線がほとんど消えかかっている。スピードを上げて走る車は怖いが、まれにかろうじてわかる停止線で止まってくれるドライバーさんには右手を上げ会釈して渡っている。近年、一時停止してくれるドライバーが以前より多くなった気がしている。ありがたいことだ。
路面標示されているさまざまな文字や、標識の白い塗料の残存状況を注意して見てみると、くっきりと残っている文字があるかと思うと、ほとんど判読できないほど消えかかっている標識も多くある。
「止まれ」「歩行者注意」。小学校校区に近づくにつれ「速度落とせ」「通学路徐行」「学童注意」等が標示されている。
市の道路維持課に確認してみた。路面標示と総称しているそれらは、国土交通省による道路標識設置基準に基づくとの説明。自宅横の横断歩道については、後日連絡するとのことだった。
驚いたことに、翌日連絡があったのは警察署からで、道路の使用頻度や事故の発生状況を踏まえた上で検討しているが、依頼が殺到していて1年後の予約分も消化しきれていないとの解答だった。私の申し出は却下された。が、100メートルほど先に信号機のある交差点があり、そこを利用すれば解決するわけで、つい横着をして安易な渡り方を選んでいるだけかもしれない。
先日、松戸議会だよりに令和6年度当初予算が載っていた。たぶん一般枠と思える予算額の合計が1839億5000万円とあった。これを10項目くらいの費目別に議員が審査するらしい。
一市民として、路面標示は交通事故の抑止に多大な貢献をしていると推測できる。ほとんど消えかかっている標示でも。市ではすべて克明に把握しているはずだ。予算から順次、もう少し早いサイクルで補修および塗り替え費用として捻出できないものかと感じる。
自宅前を登下校する小学生の元気な姿を目の当たりにして、事故にあわないようにと祈る日々だ。
ドライバーのみなさまには、白い路面標示を視界にしっかりと焼き付けて、歩行者を安全第一に守ってほしいと切に願う。(仲井町 A・T 78)
些細な事から拝むほどまで
狭い登り坂の歩道、自転車を押している女性に近づくと避けてくれたので「ありがとう」と言うと、大きな声で「いいえ」と。たったそれだけのことだけど、うれしく元気をもらいました。
スーパーのレジにかごを出すとき「お願いします」と言うと、前の客まで無言だったのに「いらっしゃいませ」と言ってくれるのもうれしい。
3月から外壁塗装のため車庫にも足場が組まれたので、駐車禁止の標識があるのを承知で、家の前に車を止めた。すると早速、翌日の日曜の朝4時に駐車違反のシールが。駐車場を借りようと探したが空きが無く困っていると、近所に新しく越してこられた方が「うちの車庫使っていないのでどーぞ」とのことで、ひと月以上お世話になり、もう拝みたいほどうれしかった。
雨の日、子どもの手袋の片方が落ちていた。通学路なので登校の時に見つけてほしいと思い、乾かして透明の袋に入れて足場にぶら下げておいた。翌日、朝刊を取りに行くと無くなっていたので見つけてくれたのだろうとうれしかった。
後日、「てぶくろうけとりました。ひろってくれてありがとうございました」とドラえもんの絵がある紙に書かれた手紙が届きました。(八ヶ崎・鵜澤吉樹 85)