わたしのページ(読者投稿)
2024年5月26日

自動券売機のみでは難しい
 先日、JRのみどりの窓口の閉鎖予定を一時凍結させると発表がありました。ほとんど利用しない私でも少しホッとしました。
 と言うのは、去年夫が運転免許を返納し、今年の春のお彼岸に初めて静岡の富士宮にあるお墓まで、常磐線、新幹線、東海道線、身延線、バスと乗り継ぎ行く事になったのです。松戸のみどりの窓口で相談、お世話になり無事に墓参りを済ませ富士宮まで戻ったところ、改札でその時間は特急しか無いので特急券を自動券売機で買うように、との事。私は中で待ち、夫は改札外の販売機に買いに行きましたが中々戻ってきません。改札の人に頼み、手を借りて買う事が出来、乗る電車には間にあいましたが、そこも窓口販売は無く初めての人には難しく感じられました。
 その後、新学期を控えた3月末と4月はじめの松戸のみどりの窓口は通る度にすごい混みようで、窓口では一人ひとり対応できないらしく、外にまで並んでいる人達にも駅員さんが3人程出て順番に声をかけ用件を聞き、自分の番が来る前に用紙を書いておくようにと用紙を持ってきてあげたり、窓口に行く前のアドバイスをしてました。
 この時は新学期前という事もありほとんどが新学生か新社会人でしたが、何でも自動券売機に頼るのは私達の年齢では難しいと思いました。
(根本・さほばーば 74)

犯罪ゼロの日キャンペーン
 数年前にもらった自転車用のひったくり防止かごカバーがくたびれてきたので、久々に「犯罪ゼロの日」キャンペーンに行ってきました。
 自転車に乗って来場すると、かごカバーを取り付けてくれます。毎月1日号の広報まつどに、どこの公園に来るか載っています。昨年はうちの近くの公園に来る日が雨で中止だったので、今回は良い天気でもらうことができてよかったです。
 自転車かごカバーはひったくり防止になるほか、雨よけや日よけ、ホコリよけになったり、買い物した荷物が落ちるのを防いでくれたり、とても便利で重宝しています。
 会場では防犯などの話をいろいろ聞き、交通安全の話では、「へぇーそうなんだ」と思ったことがありました。
交通事故に遭う時間帯で一番多いのは、薄暗い夕方ではなく、昼間の10時から12時なのだそうです(交通死亡事故が多いのは夕方4時から6時)。発生場所は交差点とその付近が多く、事故に遭うのは自転車よりも圧倒的に歩行者が多いのだそうです。
 車は止まってくれるもの、と思っていたらダメなんですね。道を横断する時は、歩行者優先であっても、車や自転車に注意して、安全を確認してから渡ろうと思いました。(よもぎ)

潔く生きた父の姿を想い…
 子どもの頃、我が家は伯父の長屋に住んでいた。天井からは星が見えていた。また、まむしが梁を這っていたこともあった。夜は川の字となり、ラジオから流れる寄席を聞きながら寝るのが楽しかった。昭和30年の頃のことである。
 子どもの頃は、よく父に殴られた。長屋の補修をしている父を眺めているだけで殴られた。
 父の給料は少なく、私の小遣いはなかった。中学生の頃、たった一度だけ、母から500円をもらい、友達と卓球をした。家に帰ると父がいた。「俺が一生懸命仕事している間、お前は遊んでいるのか」と、こっぴどく叱られた。
 そんな父も、公務員の仕事を勤め上げ、やっとゆっくり余生をという時に、癌になり入院した。母が「これからゆっくり旅行でもしようって言ったじゃない」と、涙ながらに言うと、父は「しょうがねぇじゃねぇか」と、言うだけであった。
 父は2か月足らずで他界した。亡くなる前日、「時計が見えないから、大きいのを持ってきてくれ。それから、求肥(ぎゅうひ)の入った饅頭が食いたい」と言うのが、最後の言葉となった。
 私は「求肥」を知らなかった。最後まで弱音を吐かず、愚痴もこぼさず、潔く生きた父の姿を想い、仏壇に求肥入りの和菓子を供え、手を合わせている。
(稔台・雑草愚人)

働き者だった「配膳ロボ」
 GWに家族5人で焼き肉店に出かけました。予約の席に着き料理を注文すると、何と従業員と一緒に「配膳ロボ」がやって来ました。
 初めて見るロボットは約50センチ角、高さは1・2メートルほど。ボデイは白くて少々太り気味、でも愛嬌がありました。
 早速、台の上の5皿を取りテーブルに並べましたが、なぜかロボットはこちらを見てジッと立ったままでした。さてロボットをどうしたものかと迷っていると、孫が「帰りボタン」に気付き押すと、「ありがとうございました」と言いました。そして一回りして厨房に戻っていきました。
 本当は会話も出来、簡易なコミュニケーションも可能のようです。
 しばらくは全員料理を頂くのも忘れ、店内の働き者のロボットに見とれてしまいました。次回は頭や耳に触れ、愛らしい表情も楽しもうと思います。
 (ロボットが一番 80)

五月晴れだった母の日の出来事
 母の日に、母、叔母、私の3人で市川へ行きました。
 老舗のブティックで母と叔母が「これ、いいわね」と言った、春夏物のフレアのパンツは定価から50%OFF。私は少し奮発して、紺と黒の色違いの2枚を購入。レジで店員さんに「毎年この時節にこのお店で買い物しています」と伝えると、店員さんは嬉しそうに微笑んでキレイにラッピング。ノベルティにカーネーションも2本くれました。
 食事処で得意気に2人にプレゼントを渡すと、母と叔母が「2人のお母さんに贈り物なんて嬉しい」と感激の様子でした。うららかな五月晴れの休日の出来事です。(岩瀬・カーネーション 49)

共感得た時の嬉しさは格別
 「わたしのページ」へ投稿を続けて3年弱になります。つたない文が掲載された時のうれしさは格別で幸せな感情があふれ出ます。
 投稿の動機は、夫の認知症が深くなり思い悩み沈んでいた時、そしてコロナ禍で体温を測る毎日にグチを吐いていた時です。心の中を綴ってみたい、そして投稿してみたい、と。
 原稿用紙を買い揃え、キレイ事ではすまされない日頃のあれこれを四方八方へと興味を広げて、見た通りに感じたままに、こころの軌跡を追うように綴りたいと思いますが、ボキャブラリーの貧しさから自分自身をさらけ出す時のつたない文には、投函せずに持ち帰りたいとためらったりしますが、それでも勇気を出して「エイヤ!」とポストに入れちゃっています。
 第895号(3月24日発行号)にわたしの投稿「あの日から備蓄している水」が掲載されたところ、次号896号に「わたしも備蓄しています!」と共感の投稿がありました。同じ思いをお持ちの方がいらっしゃったうれしさは格別で、わたしのページにさわやかな風が吹き抜けました。共感してくださった投稿者の方に思いを馳せながら、繰り返し拝読しています。
 水のある生活は本当にありがたいと思い、備蓄の輪が広がりますようにと、夏日のニュースを聞きながら、細やかな日常生活を綴ろうと思っているばあちゃんです。(こいぬ)

う少し思いやりあっても
 仕事中に病院へ行った母から長文のLINEが届いた。
 分院で本院の整形外科に背中のオペを再度依頼するように言われ、姉に仕事を休んでもらい通院した時のこと。再度のオペを先生にお願いすると、ボロボロの背骨の写真を見て「これをどう治すんですか?」と一笑。「一人で食事・入浴・排泄ができ、痛みをこらえながらも犬の散歩ができるんですよね」と言われたので、痛み止めの薬をもらうしか方法はないのでしょうかとたずねると、「その痛み止めの薬が体に与える害を薬剤師と話してごらん」と言われ、胃袋・腎臓・筋肉の衰えなど薬の害を並べられたそうです。
 母は、娘に会社を休ませ一日がかりで行った結果がこれでは、と落ち込んでいました。
 確かに母は87歳と高齢で手術しても良くはならないかも知れません。ただ医者に行く人は体も心も弱っているのです。もう少し思いやりのある言葉で対応してくれれば、母の心持ちも違ったのではないかと思い残念です。(ごませい)

橋本靖子さんの作品

ゆい(六高台)

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