わたしのページ(読者投稿)
2024年4月28日
春を告げる黄色い花ミモザ
週2、3回は100円ショップをチェックしている。特に、前面の季節のイベントグッズコーナーが必見である。
バレンタインデーが過ぎるとチラホラとお花見シーズンの桜柄のグッズが並ぶようになる。今年もいろいろなデザインの桜柄のお弁当、文房具、インテリアグッズなどが並んでいた。その中にポツンポツンと黄色の花柄のものが混ざっている。菜の花ではない。注意して見ると、ミモザという花らしい。
わたしはすぐにこの花が気に入った。実物はどんな花なのだろう、と調べてみた。小さいポコポコとした丸い黄色い花で、おじぎ草のような葉をしていた。花言葉は「秘密の恋」。
町を歩く時はキョロキョロと探してみた。何のことはない。いつも買い物で通る道沿いの家に、背丈を超える大きなミモザの木を見つけた。満開であった。その感動から黄色の表現に夢中になった画家がいるという。その気持ちに近付けた気がした。
ひょんな出会いから親しみを感じるようになった春を告げる花、ミモザであった。
(小金きよしヶ丘・仲澤美代子 52)
駅員さん不在の改札は不便
少し前のことですが、わたしはJRの日暮里駅と松戸駅で迷っている老夫婦(わたしより少し上に見えた)に声を掛けました。
平日の夕方、日暮里駅のホーム階上にある南改札口と常磐線へ降りる階段を行ったり来たり、立ち止まり何か探している様子に声を掛けると、京成線の乗り換え口を探しているとの事です。
そこで「エスカレーターか階段でいったんホームに降りて、北の改札近くに出たら京成線に行けると思いますよ」と教えたのですが、エレベーターが無いので行けないとの事。ああ、階段やエスカレーターで降りるのは得意じゃないのだと理解して「改札で聞いてみましょうか?」と一緒に改札に案内したら、南改札口は無人になっていて呼び出しのインターフォンに、御用の方は押して下さいとあるだけです。わたしに「聞いて下さい」と言われたので、インターフォンで姿の見えない駅員さんに向かい「こういう方が京成線を探して迷っているので教えて下さい」と説明したのですが、わたしを含めて3人で聞いても姿の見えない案内は、声はちゃんと聞こえても初めての人には難しく聞こえました。わたしがもう一度彼らに説明し、南改札を出て行かれました。わたしも実際そこで降りた事はなかったので、無事に目的地に行けたかなと暫くは気になりました。
それから十日ほど経ったお昼頃、今度は松戸のコンコースの所で、新京成とJR改札の辺りを行ったり来たりしている老夫婦と見える方に「どうされましたか?」と声がけすると、東武線の改札を探していると言うので、「どちらまで行かれますか?」「運河と言う所です」「それなら柏で乗り換えですよ」「ここは柏じゃないのですか?」とやり取りがあり、何処から来たのか知りませんが切符はJRの自動改札で出してしまった事などを聞き、「改札の人に話したら切符をきっと返してくれますよ」と窓口に一緒に行ったら、ここもまた窓は閉まっていて中も見えません。でも試しに窓をコツコツ叩いてみたら中から窓を開けてくれ話を聞いてくれました。事情を話したら駅員さんが柏の駅宛にメモ書きで手紙を書いてくれたので、それを機にわたしは別れました。
続けて2回迷っている方にお会いしましたが、何年か前に日暮里で視覚障害の方が事故に遭った直後は、ひっきりなしに放送で「お身体の不自由な方には声がけを」とありましたが、久しぶりに日暮里を通ってみたら改札には人がいなくなり、駅員さんを探してもなかなか見つかりません。
システムが変わったのか、人手を減らしているのか判りませんが、年寄が知らない所へ出かけるのが益々難しくなってきたのだと感じた出来事でした。(根本・みみちゃん74)
麻雀の「大三元」に心躍る
麻雀に興味がある方なら「大三元」の役満に心躍る時があると思う。
麻雀教室に通い始めて6年。途中、夫の介護で休み、コロナ禍で教室がお休みだったりと、正味3年の勉強だが役満が出来た。
白白白発発発中中、とあと一つ「中」を待つ。心臓がバクバクと音を立てていた。
一瞬閃き、「中」をツモって出来上がった「大三元」。出席カードに役満の赤のシールが光り、アッパレと写真を撮った。
八十路過ぎての楽しみは脳トレ最高の麻雀なり。(こいぬ)
良い出会いと楽しい学校生活を
初孫が小学校へ入学する。笑顔の中にも、ちょっぴり不安がのぞく。
自分の時を思い出す。不安だらけだった。保育園の集合写真も、左端に泣いた顔で立っている。母から、「わたしが背中を押してやっと入れ、支えていたんだ」と教えられた。
小学校入学。担任は女のS先生。わたしの目が「ものもらい」になると、ホウサンで治療してくれた。S先生の優しさに触れ大感動。今でも忘れられない。その後、先生は校長先生になった。ふくよかで優しい笑顔のS先生の顔が今でも浮かぶ。
孫にも、良い先生と出会い楽しい学校生活を送ってほしいと祈るばかりである。
(稔台・雑草愚人)
気遣いにすがすがしい感動
近所に住む中学生は、よく家の前で友達と騒いだり、ボール遊びをしている。そこを通る時、こちらに気づいてもボール遊びをやめようとしない。なので、すれ違う度ボールが飛んでこないかヒヤヒヤしている。
残念ながら、こういった他人のことを考えられない子どもは多い。成長過程のどこかで気づき、改めてくれることを祈る。
自転車のマナーが悪い高校生もあいかわらず多い。友達とおしゃべりしながら並んで走り、前から歩行者が来ても避けようとしない学生が多い。一番ひどかったのは、すれ違いざまに、ハンドルをわたしの方に向け、ぶつけてくるような仕草をしたことだ。笑っているように見えたので、ふざけてやったのだろうが、こちらは面白いわけがなく、ただただ恐怖しかない。スピードは出ていなかったので、何事もなくすんだことだけは幸いだ。
子どもだけでなく大人も交通マナーが悪い人が多い世の中だが、先日、素晴らしい学生達に出会った。八柱霊園の桜を見に自転車で出かけた時のこと。霊園につづくケヤキ並木を走っていると、前から男子学生4、5人が自転車で道いっぱいに広がって走ってくるのが見えた。わたしは、自転車を降りて止まらないと危ない目にあうかもしれないと思った。が、次の瞬間、奇跡が起こった。
その学生達が、きれいな一列となって横を通り過ぎたのだ。きっと彼らはいつもそうしているのだろう。その見事な連携に、スマートな走りに、その気づかいに、すがすがしい感動が胸に広がった。
園内のしだれ桜がちょうど満開で、やわらかな春の陽射しの中、舞い落ちる花びらがキラキラと輝いていた。よき一日であった。(ひじき)
狭い日本ではなく世界を知って
新聞の人生案内に、15歳の女子中学生が醜い社会に疲れました、と投稿していました。戦争や汚職事件を起こして罪のない市民を悲しませる人がいて、人間は醜く存在してはいけないように感じましたとありました。
純粋な子が今の世の中に対して、このように感じていることを知り、その子に大人であるわたしは何と答えてあげたらいいのかと思いました。
確かに一部の人たちは、自分の地位や欲のために他者を顧みない人がいますが、それは全てではありません。誰しも心穏やかに子育てをして、働いて報酬を得て、社会とのつながりを持ちながらも慎ましくとも過ごしたいと思って生きている人もいることを知って欲しいです。
歌や本、ドラマなど世界共通に言葉が違っても分かり合える。若い人たちに狭い日本ではなく世界を知ってもらいたいと思います。沖縄では命宝(ぬちどぅたから)、子どもは宝であるという言葉があります。(五香・さくら草)
わたしも備蓄しています!
前号の松戸よみうりにて、あの日(3・11)から水を備蓄していますという内容の投稿に共感しました。
自分も新品の水2リットル6本入りを2箱と、その他に水2リットル入りを3本ほど用意してあります。いつ地震や災害が起きるかわかりませんし、何よりも水がないと何もできませんので…。
先日(3月15日)、実家のある新潟県の地元の放送局が主催する、能登半島地震などに対してのチャリティーコンサートの観覧に当選したので参加してきました。
半﨑美子さんがゲスト出演されていたのですが、ちょうどその前の週末に金沢でコンサートをした時に、「能登の避難所から来ました」とか「毎日、半﨑さんの歌を聴いて何とかがんばっています」とおっしゃる方々がいらっしゃったことを話されていました。
日々、不自由な生活、水も十分に使えないことは本当に大変だろうなと思います。水のある生活は本当にありがたいです。(二ツ木・渡辺明子)