わたしのページ(読者投稿)
2024年2月25日
レンジに代わり蒸し器が大活躍
少し前に電子レンジが壊れた。便利なので壊れる前は使っていたが、もともとあまり好きではなかったので、新しいレンジは買わないことにした。そこで久々の登場、蒸し器が大活躍している。
蒸し器を使った調理は、水分や脂が保たれるので、しっとりやわらかく仕上がる。蒸し器であたためたご飯は、ふっくら美味しくなる。ゆで卵を蒸し器で作ると、白身の生臭さがなく、おいしくできる。蒸し器で食パンを1分あたためれば、ふっくらもちもちになる。
さつまいもを蒸すのもおススメしたい。焼き芋にはかなわないかもしれないが、しっとり美味しくできる。ガス代をおさえるよい方法もある。蒸し器に水とお芋を入れて、沸騰させ、数分したら火を止める。しばらくしたら、また火をつけ、沸騰したら火を止める。これを数回くり返すと、いつのまにか出来ている。
わたしは大きなさつまいも2、3個をいっぺんに蒸して、出来上がったらカットしてラップで包み、冷凍している。自然解凍して食べると、芋ようかんのようにしっとり甘い(甘くないお芋は、油をひいて焼き、塩をふって食べるとうまい)。
家に蒸し器がなくても、色々なもので代用できる。深めのフライパンや鍋に、耐熱性の皿やザルをひっくり返して置き、その上に食材を入れたお皿をのせて蓋をする。また、水を張ったフライパンや鍋に直接、食材を入れた耐熱性の器を入れる方法もある。
寒い季節、蒸し器であたためた中華まんはご馳走である。そのままでも十分おいしいが、あたためた中華まんを焼いたものもうまい。フライパンに、肉まんはごま油、あんまんはバターをひき、ヘラで押しつぶすように両面をこんがり焼き色が付くまで焼く。カリカリした皮が美味しい。(椿)
1つを置き換えるで幅ひろがる
豆腐のレシピ集をプレゼントでもらった。いつもは冷奴か湯豆腐が多く、なじみ深い食材の割にレパートリーが少ないかもと思い、表紙のものからチャレンジすることにした。
「しらすと薬味の温やっこ」。具と昆布、塩こしょう、オリーブ油、すだちを各適量で温める。豆腐にも塩とオリーブ油が合うのだとおいしくできた。冬の朝でもささっと温かいおかずになる、たんぱく質で卵料理の代わりにも良い。
そこで料理研究家の言葉で、レパートリーを増やすには「1つを置き換えてみる」というのを思い出した。冷蔵庫にあるもので試したアレンジの実験を紹介しよう。
メインのしらすを、かつお節、鮭フレーク、とろろ、もみのりに置き換えると、丸っきり別の一品にそれぞれ仕上がった。薬味はしょうが、ネギ、玉ネギの伸びてしまった芽でも、また別パターンとなった。味つけは根昆布だし、めんつゆ、ごましお、ポッカレモン、バター、ごま油に1つずつ、あるいは同時に置き換えてみた。ごまの風味、バターのコクが豆腐に合うことも意外な発見であった。また、豆腐の大きさを変えると違った味わいになるだろう。
もとのレシピから全く別のアレンジが何パターンも生まれた面白い実験であった。「1つ置き換える」、これが1つのレシピからバリエーション豊かなアレンジに幅を広げていくコツなんですね。(小金きよしヶ丘・シゲ美 52)
鏡に映る自分はどんな顔に
誰の言葉だったろうか。手帳にメモ書きがある。
「20歳の顔は自然から授かったもの・30歳の顔は自分の生き様・だけど、50歳の顔にはあなたの価値がにじみ出る」と。
この春、81歳になる我が身はどんな顔になっているだろうか。
運命がもう一度からかうような患いの無いように、ひらりと健やかに、誕生日を迎えられるようにと祈り、弥生半ばの誕生日の朝、青春のカケラが残っているだろうかと怖いものみたさで鏡を見てみよう。(こいぬ)
色々な事があり実感したのは…
ここ4年近くの間に我家はわたしの弟と兄、夫の弟とその妻、従姉妹の夫と近しい人が5人も亡くなりました。
その内の2人はその日に家族がいましたが、3人は一人暮らしだったため本人はどうかわかりませんが他から見れば突然であり、当然ながら司法解剖になりました。
3人とも家の中で亡くなりましたが、初めに亡くなった弟は長い間一人暮らしで、前に入院した折、隣人に「何かあったら姉に電話していただけませんか?」とお願いしていたので気にかけて下さり、毎日車で出かけていたのに1週間程車が動いて無いと連絡を下さり、姉が駆けつけて推定1週間前に亡くなったとのこと。冬のことだったので顔も綺麗なまま、お別れが出来ました。
去年亡くなった兄も、義姉が亡くなってから一人暮らしが続き、最近は食事の仕度も出来なくなり、孫が毎日お弁当を届けに行っていたのにもう冷たくなっていた、との話でした。でも亡くなった当日中に見つかりました。
先月の10日に亡くなった義妹は、3年前に癌で亡くなった夫の弟の妻で、3年間は一人暮らしでしたが毎日息子が連絡していた様子で10日と次の日も電話に出ないからと12日の金曜に、仕事終わりに車で3時間近くかけて様子を見に行ったら、多分10日に亡くなったらしいとの司法解剖でした。
3人とも心不全とか心筋梗塞とかの心臓の病気でしたが、余り苦しまないで逝ったのだろうか、そうあって欲しいと思うばかりでした。
さて、知りあいで会社を経営している年配の女性が去年の7月にコロナにかかり、家で動けなくなったとのこと。幸い会社の人に家の鍵を預けていたので、連絡も取れず休んでるのを心配して家まで来てくれ、救急車で入院。1か月かかりましたが無事退院でき、今も元気に仕事に出かけています。
色々なことがありましたが、わたしが実感したのは一人暮らしになった時、どこかと繋がっているほうが良いということです。我家が経験したことも不幸ではありましたが、皆が心に掛けてくれて早くに見つけてもらえ、最後のお別れも出来ました。
隣近所の人に頼むのも難しい時代ですが、市役所や警備会社で紹介してくれるかとか、費用がどの程度かかるかどうかも調べておくことも元気な内に必要なことじゃないかと考えます。(匿名希望)
嫌悪を感じつつも慈悲の思いも
自宅は戸建ての二世帯住宅でわたしは2階に居住している。外階段から玄関までのバルコニーは東南向きで陽光がさんさんと降り注ぎ、この時期、暖を求めて野良猫(地域猫)が目を細めて居座る。出没する彼らの体毛の色や模様は一様ではないので、様々な猫が入れ替わっているようだ。
猫嫌いのわたしは手で追い払うことを繰り返す。これも動物虐待の範疇らしい。
全国の犬猫の殺処分数の推移によれば、1974年は犬が115万8千頭、猫が6万3千匹だった。圧倒的に野良犬が多かったのがわかる。それが令和元年には犬が6千頭、猫が2万7千匹と両者とも激減しているが、猫が逆転して多くなっている。
1973年に成立した動物愛護法は動物の虐待遺棄に対して罰金等を科していたが検挙率は低かった。動物は物扱いで、それらの罪は器物損壊にしかならなかった。1999年改正後は、動物販売業者、飼い主ともに終生飼育することが明記された。飼い主は不妊去勢手術をすること、所有者情報の登録が義務化された。
しかし、数は少なくなったとはいえ、相変わらず捨て猫と思われる猫は後を絶たない。嫌悪を感じつつもその姿が目に入ると哀れで仕方がない。「どこで何を食べているの? 頼むからわたしの前に来ないで」と心の中で叫ぶ。
近年、行政による地域猫活動の推進も功を奏しているという。これは野良猫の不妊去勢手術を実施し、地域で見守り管理し、一代限りの命を全うさせる取り組みだ。
2年前、松戸動物愛護福祉団体が協賛するイベントで屋外猫繁殖抑制支援活動家のH・K氏と出会うことができた。映画上映会や講話のなかで、屋外にいる飼い主のいない猫は野生ではない、猫たちも必死に生きている。野良猫自身も好きで増えているわけではない。人間の手で不幸な命を増やしてきたのだ。等、多くのことを学んだ。
この活動に共感し、1年前からわたしはこの団体に寄付をしている。こつこつではあるが、定期的に継続支援していくつもりだ。(仲井町 A・T 78)
今一度、家族の絆を深めよう!
可愛い年ごろの4歳の次女を両親が「憎たらしい」とライン(LINE)で交わし、次女の服毒死の疑いで逮捕された。詳しいいきさつは自白しておらず不明だが悲しい。
昨今、息子が母親または父親を殺す事件、父親が息子を殺す、兄が弟を傷つけるなど家族間の死傷事件が驚くほど発生している。悲しい出来事だ。
これら悲劇の基は何だろう?
大きな理由の一つは、明治憲法下、父親は法的に強力な支配権を有し父親を中心に家が形成されていた。しかしながら、新憲法の個人の独立と平等の原則が確立され、民法は改正され戸主権は廃止された。それとともに親子間で尊属、卑属関係は薄れ、平等感覚が普遍的となった結果であろう。父親の権力は弱まり子供の力が増してきて今や親子間で慈愛、敬意の意識は薄れて家族関係はある一面他人と同じくなった。
しかし、わたしはこの風潮には断じて逆らわねばならないと信じている。それは、家族は両親が愛情によって結ばれ、当然の帰結として子どもができ、孫が育っているのである。つまり両親を中心として愛情によって成り立っているのである。
今一度、家族で顔を見合わせ、絆を深めよう。(八ヶ崎・松田賢 86)