本よみ松よみ堂
生島淳著『箱根駅伝に魅せられて』

強豪校の栄枯盛衰と数々のドラマ。次代を担う大学は?

 小学生の頃からラジオで箱根駅伝を聴き、瀬古利彦が走る姿を想像していた生島さんが早稲田大学に入学したのが1986年。翌年の87年に日本テレビで完全生中継が始まり、箱根駅伝は大きな転機を迎えた。学生スポーツの中でも最も大きなコンテンツとなり、今では10月の中旬に行われる予選会も地上波で生中継されている。
 実は私も86年に中央大学に入学し、まったく同じ時期に大学生活を送っている。大学に入学した年は様々な出来事があり、複雑な思いで過ごしていた。そして迎えた翌87年の正月、実家のテレビで観た箱根駅伝。それまで箱根駅伝には馴染みがなかったが、中央は6区の山下りで首位に立つと、8区まで首位を守った。9区で順天堂と日体大に抜かれて3位に終わったが、テレビ画面に映る母校の白地に赤の「C」のユニフォームを見ながら自分の中で何かが変わっていくのを感じた。
 2013年に途中棄権し、シードを失った中央は2016年に予選会11位で落選(10位までが通過)。大正時代から続いていた連続出場記録が途絶えた。生島さんはこの時のことを「予選会史上最大の事件」と書いている。
 「同窓生の組織『白門会(はくもんかい)』の方々のガッカリしている姿と言ったらなかった」「思うに、落ち込みの度合いとは、『期待値』や『歴史』にも関わってくる。中大にとって箱根駅伝とは大学の『フラッグシップ』なのだ。それは司法試験の合格者の数字と同じくらい意味を持つような気がする(法学部の関係者は怒るだろうな)」
 いえいえ、生島さん、怒ったりしません。その通りだから。
 思わず、中大のことを長く書いてしまったが、本書はもちろんそんな偏った書き方はしていない。
 生島さんは母校早稲田大学を中心に取材しているのかと思ったが(思い入れは強いだろうけれど)、本格的に取材するきっかけは青山学院だったという。今でも続いているという主務を務めていた学生との交流なども書かれている。親しくなれば、思い入れも強くなる。取材は青学が優勝する以前から始められていた。
 青学が初優勝したのは2015年の91回大会。来年100回を迎える箱根駅伝の歴史ではわりと最近のことだ。青学出身の方は、それまで箱根駅伝にはあまり関心がなかったかもしれない。でも、母校が優勝する姿を何度も見てしまった今後は、たとえ弱くなろうとも関心を払わざるを得なくなるだろう。
 87年にテレビ放送が始まってから、山梨学院や神奈川大学などが初優勝を果たしている。この2校の関係者も同じだと思う。
 優勝を狙う大学の大きな壁となる存在を「目の上のたんこぶ」と書いているのが面白い。
 戦後1947年に復活した箱根駅伝で東京オリンピックが開催された1964年までの18大会で6連覇を含む12回優勝した中央大学。69年から78年までの10年間で7回優勝した日本体育大学。81年、82年と連覇し、86年から89年まで4連覇した順天堂大学。90年代前半に留学生の起用で旋風を起こし、3度優勝した山梨学院大学。2000年に初優勝し、2002年から4連覇を達成した駒澤大学。2009年には大学というより柏原竜二(東洋大学1年)という個人が「目の上のたんこぶ」になる。5区の山登りで、首位を走る早稲田との4分58秒差をひっくり返した。「山の神」だ。この年、東洋は初優勝し、翌年も連覇。2012年と14年も優勝した。青山学院は2015年に初優勝すると4連覇。2021年からは駒澤が復活し、昨シーズンは初の大学駅伝三冠。今年も出雲、全日本を制し、来年の箱根駅伝で2年連続の三冠を狙う。
 一時代を築いた大学の出身者が他の大学の指導者になり、初出場や復活を果たす「コーチング・ツリー」(樹形図)。合宿所やリクルーティング(選手の獲得競争)、学生生活などについて書いた「取材の現場から」。中央の吉居大和、駒澤の田澤廉、青山学院の近藤幸太郎がドラマチックな首位争いを演じた今年の「史上最高の2区」など、内容は盛りだくさん。
 今年の箱根ランナーの出身高校を都道府県別に見ると千葉県が20人でトップだという。秋になると毎年、東葛駅伝や千葉県中学校駅伝の取材をするが、この中からも将来の箱根ランナーが生まれてくるに違いない。【戸田 照昭】

角川新書 900円(税別)

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