本よみ松よみ堂
伊集院静著『君のいた時間 大人の流儀Special』
出逢いと別れ。愛犬ノボとの生活をつづったエッセイ集
作家の伊集院静さんが愛犬ノボ(乃歩=ノボル)との生活をつづったエッセイ集。名前は正岡子規の幼名・升(のぼる)からとったという。仙台の家には兄(先住犬)のアイス(亜以須)がいる。散歩の時に親しくなり、後にお手伝いさんとなったトモチャンの愛犬ラルクも近くに住んでいる。いずれもミニチュアダックスである。三頭は仲が良かった。
犬は人間の6倍の速さで年を取る。いつか別れが来る。あまりに家人(妻)とアイスが仲がいいので心配になった著者は、もう一匹飼うように言った。ペットショップで2か月も売れ残っていた犬。それがノボだった。
綺麗な顔立ちをしたアイスに比べて、ノボは見栄えが悪かった。著者は愛情を込めて「東北一のバカ犬」と呼ぶ。ノボはある時から異様に著者になつくようになった。著者とノボはどこか似ているという。ノボは夜半まで原稿を書いている著者の傍らで眠り、著者が仕事で海外や東京へ行ったりすると、その前日からソワソワし始める。著者の動物への接し方は、父親からの影響が大きいらしい。父親は犬や猫や鳥などに人間に語りかけるように話していたという。
ノボが家に来たのは2003年5月20日。このエッセイ集は、『週刊現代』2011年3月19日号~2022年11月12日号に書かれたものを単行本として抜粋、修正したもの。書き始めた時は、8歳ぐらい。東日本大震災が起きた年である。
1950年生まれの著者は、ノボの老いに自らの老いを重ねる。
ノボは17年半で亡くなった。その前にはアイスとラルクも亡くなっている。
ノボが亡くなって2日後に書かれた「二人で眠るとしよう」というエッセイはわずか1ページ。その短さが喪失の大きさを感じさせる。一周忌の数日前に書かれた「人は歩きだすしかない」も1ページだ。
「そうか、君はもういないのか」というエッセイのタイトルを見て、2008年、城山三郎さんの没後に刊行されたエッセイ「そうか、もう君はいないのか」を思い出した。城山さんの言う「君」は、ガンで亡くなった奥様のことである。
著者は編集部から「愛犬のことをまとめて一冊の本にしたい」と申し出られた時、「それはたぶん完成しないだろう…」と確信があったという。
表紙のことなどでトラブり、「愛犬の死まで利用して、本を売る必要はないんじゃないか!」と憤る著者に、家人は「どれだけあの子たちが、けなげで、頑張って生きたか、あなたの筆で書いて下さい」と言ったという。
著者が書くように、この経験は特別なものではなく、愛犬、愛猫と暮らす多くの人たちが経験することだ。我が家には、犬1匹と猫5匹が暮らしている。犬は13歳、年長の猫は15歳。どこかで心の準備を始めている自分がいる。松戸に来てから、既に5匹の猫を亡くした。毎日外出する前に手製の仏壇の前で手を合わせる。
著者は猫が苦手とのことで、少々猫に対して誤解があるように感じた。私の犬は、今まで2度飼い主が代わったためか、尻尾は振るが、あまりベタベタはしない。反対に、猫たちは人間が大好きで人懐っこい。2匹は私の顔をなめまくる(猫の舌は痛いので勘弁して欲しい)。【奥森 広治】