本よみ松よみ堂
ヤマザキマリ著『歩きながら考える』
「旅する漫画家」がコロナ禍の不自由の中で考えたこと
たまに安住紳一郎の「日曜天国」(TBSラジオ)のゲストにいらしていて、面白い方だなぁと思っていた。著者の本を読むのは初めてである。
本書には断片的にしかその経歴が出てこないので、ラジオで話されていたことなどを参考に、最初に少しまとめておく。
ヤマザキマリさんは、映画にもなった「テルマエ・ロマエ」のヒットでも知られる漫画家、文筆家、画家。「テルマエ・ロマエ」は古代ローマ人の浴場設計技師が現代の日本にタイムスリップしてくるというコメディ。お風呂が大好きという共通点がある古代ローマ人と日本人を対比して面白おかしく描いている。ヤマザキさんは、山下達郎と親交があり、昨年リリースされたニュー・アルバムの表紙の肖像画も描いている。
ヤマザキさんの父は生後間もなく亡くなり、オーケストラでヴィオラ奏者をしている母に育てられた。母の勧めで14歳の時に、フランスとドイツを一人旅。さらに母の勧めで17歳の時にイタリアに留学。フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻した。イタリア人の「詩人」の恋人との間に息子が生まれたが、別れて一人で育てることを決意する。後に14歳の欧州一人旅で出会ったイタリア人老陶芸家の孫と結婚。彼は14歳年下の学生だったが後に文学研究者となる。彼の仕事の都合で、シリアのダマスカス、ポルトガルのリスボン、アメリカのシカゴなどに移住。現在はイタリアのパドヴァに戻っているが、ヤマザキさんは、イタリアの家族と日本の仕事場を行き来しながら生活している。
そんなヤマザキさんにとって移動や旅は絶対的な心の栄養供給源だったという。それが、コロナ禍により移動が制限され、夫の勧めもあり、日本に長時間留まることになった。移動しないことは、創作活動に悪影響するのでは、という焦りもあった。しかし、「たちどまることで得たものが非常に多くあった」という。この作品は昨年9月に発行された。コロナ禍が始まってから2年半ぶりにイタリアに帰るまで、家族と離れて東京で考えたことが詰め込まれている。
読んで感じたのは、ヤマザキさんはとても博識だということ。
古代ギリシャ哲学や古代ローマ史をはじめ、貧しい学生時代に貪るように読んだという安部公房など、日本の文学。数え切れないほど映画も観ており、戦前、戦後の古い映画にも詳しい。自粛生活を送るヤマザキさんを心配した友人の差し入れの中にあった「ドリフ大爆笑」のDVDを観て、子どもの頃に好きだったドリフターズの笑いには世界に通じるものがあると改めて評価する。
知識があるということは、一つの事象をあらゆる角度から見ることができるということだ。コロナ禍の中、多くの反対を押し切って行われた東京五輪を考察し、スポーツが社会に与える影響や日本社会の特質に触れる。また、別の文脈では、日本における「愛国精神」とはなんなのかを考える。
母がカトリックだったため、ヤマザキさんは幼児の頃に洗礼を受けている。キリスト教の考え方が理解できることは、夫や夫の家族と接することに役立っているが、ヤマザキさんご本人が何かの宗教に傾倒しているということはないという。イスラム圏に住んだこともある。日本に生まれ育ったので、その根幹には八百万(やおろす)の神の存在を感じる感性や、仏教的な影響もある。
ヤマザキさんと息子のデルスさんは、あることをきっかけに、15年前から8月になると毎年、沖縄の戦没者の慰霊に訪れるようになった。パンデミックが始まった年の夏、デルスさんはネパールで買ってきた小さな仏像を土に埋めた。夫のベッピさんとは広島平和記念資料館も訪れている。世界的なパンデミックの中で始まったウクライナ戦争をはじめ、なぜ戦争が起こるのかについて、考察している。紹介されているエリアス・カネッティ著「群衆と権力」(1960年刊行)を読んでみたいと思った。
ヤマザキさんは子どもの頃から昆虫が好きで、コロナ禍の中でカブトムシを飼育し、金魚すくいで買ってきた金魚も大きく成長している。そして、ずっと猫のベレンが傍にいる。生きる意味や理由など考えず、ただ生きて死んでいく昆虫や動物を見ていると、「人間は地球に優遇される特別な生き物ではない」と考える。この点は、個人的に非常に共感した。
私見だが、キリスト教やイスラム教などの一神教を信じる文化には人間を特別視する傾向が非常に強いと思う。対して、何にでも神が宿るとする八百万の神や、生きているものを全て尊重する仏教には、人間だけがエライという考え方はないと思う。そういった意味で、海外生活が長いヤマザキさんの中にも、しっかりと日本的土壌が生きているのでは、と感じる。【奥森 広治】