本よみ松よみ堂
道尾秀介著『N エヌ』

完成度の高い6章の物語でつくる、読者自身の物語
 ある仕掛けを施した小説。帯には著者のこんな文章が寄せられている(横書きで、改行あり)。
 「読む人によって色が変わる物語をつくりたいと思いました。
 本書は六つの章で構成されていますが、読む順番は自由です。
 はじめに、それぞれの章の冒頭部分だけが書かれています。
 読みたいと思った章を選び、そのページに移動してください。
 物語のかたちは、6×5×4×3×2×1=720通り。
 読者の皆様に、自分だけの物語を体験していただければ幸いです」
                         ――道尾秀介
 「本書の読み方」には、「なお本書は、章と章の物理的なつながりをなくすため、一章おきに上下逆転させた状態で印刷されています」とある。
 「N」は180度回転させても「N」となる。どちら向きからも読める、そんな物語、という意味が込められているのだろうか。
 物語は「つ」の形をした湾を囲む街を舞台にしている。湾には「目玉島」と呼ばれる学校の体育館ほどの大きさしかない小さな無人島が浮かんでいる。それほど大きな街ではないと思うが、裕福な人たちが住む地域と、貧しい人たちが住む地域がある。空港からの距離は分からないが、海外へ行き来する飛行機が上空を飛んでいる。
 「名のない毒液と花」。中学校の女性理科教師の夫は同級生とともに「ペット探偵」を始めた。彼女は保護した犬の力を借りて、教え子の少年の秘密に迫ることになる。
 「落ちない魔球と鳥」。毎朝、堤防に立てかけたマットに向かってボールを投げ、フォークボールの練習をしている高校生の少年は「死んでくれない?」と話す鳥と出会う。少年はいつも堤防で釣りをしている老人と鳥の飼い主を探し、言葉の意味を探る。
 「笑わない少女の死」。定年退職をした英語を話せない英語教師が、敬愛するラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が幼少期を過ごしたアイルランドの首都ダブリンを旅している。老教師は街で物乞いをしている少女と出会う。
 「飛べない雄蜂の嘘」。大学で昆虫の研究をしている女性が酒乱の恋人に殺されそうになる。そこへ突然見知らぬ男が部屋に現れ、彼女を救ってくれた。彼はいったい何者なのか。
 「消えない硝子の星」。ダブリンでターミナルケア(終末期医療)の看護師の道を選んだ日本人男性が、担当となった母親と娘の人生に関わっていく。
 「眠らない刑事と犬」。街で50年ぶりに起きた殺人事件。女性刑事は、鍵を握ると思われる現場から逃げた飼い犬を探すため、ペット探偵の男に接触する。
 登場人物は魅力的だが、名前はあえて記さなかった。というのも、ある章で名前のなかった登場人物が、別の章で名前を得て登場したりするからだ。
 物語には蝶と花が登場する。時はいつか分からないが、シルバーウィークという言葉が出てくるので、9月だろう。
 それぞれの物語は単体でも「完成」しているように感じるが、どこかで繋がっている。「バタフライ・エフェクト」(蝶の効果)という言葉を思い出した。ほんの小さな出来事が連鎖して別の予想もしなかった大きな事象を引き起こす、という意味だ。完成度が高い物語だからこそ、読者が自由に繋げて、自分なりの物語を感じることができるのかもしれない。【奥森 広治】

集英社 1700円(税別)

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