わたしのページ(読者投稿)
2022年9月25日

日常の危険にもっと目を向けて
 二ツ木の住民は通勤・通学の際、幸谷小近くの信号機のない横断歩道を渡り、新松戸駅へ向かう。この信号機のない横断歩道では、歩行者が渡ろうと待っているのにほとんどの車がスピードを緩めず走り過ぎる。
 自動車教習所では、『信号機のない横断歩道は歩行者優先で、必ず横断歩道の手前で一旦停止」と習うはず。現状は走り過ぎる車の合間に歩行者は急いで横断歩道を渡っている。
 そして通称『じゃんけんトンネル』という信号機付きの交差通行のトンネルに至るまでのクネクネ道路がとても危ない。
 見通しが悪いにもかかわらず減速せずに走り抜ける車の何と多いことか。ヒヤッとすることは週に一度や二度ではない。
 街の大きな交差点では、右・左折しようとする車が歩行者に「早く渡れ!」と言わんばかりにグングンと迫ってくる。
 春と秋の年2回、お祭りのように交通安全キャンペーンを実施しているが、キャンペーンに時間を割くのではなく日常の危険にもっと目を向けて対策を立てるために費用を使って欲しい。今の社会は車優先になっている。(二ツ木・石井裕子)

涙が止まない言葉もない…
 小さな保育所が急増し、保育士さんが両手に2歳前後の幼児の手をつなぎ、箱形の乳母車には、1歳程の幼児を2~3人乗せて、近くの公園の帰りだろうか11時少し前によく出会う。
 「こんにちは、お帰りなさい」と声を掛けると、「こんにちは、ありがとうございます」と返ってくる。澄んだ目、もみじのような手。孫の幼き頃を思い出しジーンとしてくる。
 3歳の園児がバスの中に置き去りにされ亡くなったという。「またか」「嘘だろう」。信じられない、信じたくない。あまりにも酷い。5時間余り後のバスの中の様子がニュースで報じられていたけれど、胸が締め付けられる思いだ。親御さんの胸中を思うと、なんと言ってよいのか言葉にならない。
 何度も起きるこのようなことがあってはならない。起こしてはならない。
 親御さんを慰める言葉がない。涙が溢れて止まない。お子様のご冥福をただただ祈るばかりです。(彼岸花)

物価高も節約とエコで対応
 最近、物価が高くなって困っています。特に食料品だとなかなか削ることができません。そんな時、値引きを利用しています。賞味期限が近い物は廃棄になってしまうともったいないし、SDGsにもなってお得でいいですよね。
 パンなどは冷凍して保存しておきます。料理もなるべく多めに作って冷凍します。煮込み料理はいっぺんに作ると時短にもなりますし、お惣菜を買わずにすみます。
 飲み物もボトルに入れて持ち歩くようになりました。
 節約とエコ両立できて、意外と楽に続けられそうです。(あっちゃん)

災害に備えておにぎり握る
 「おにぎりをにぎりましょう」。亡き母が台風のニュースの度に空を見上げて「ご飯があればおにぎりにしていつでも食べられるでしょ」と、いつもより多めにお米を研いでいた。
 電気釜が無い時代、小学生のばあちゃんは姉とかまどから炊き上がるお釜の匂いを嗅ぎながら、たくあんを切った覚えがある。
 古い時代、源氏物語の第28帖「野分」と巻名にあり、与謝野晶子訳「今年の野分の風は例年よりも強い勢いで空の色も変わるほど吹きだした」と『のわき』の一節にある。そして夏目漱石「釣鐘のうなるばかりに野分かな」の句を思い出す。
 近年は電気水道などライフラインが停止するようなゲリラ豪雨の時、また大きな地震の時、ばあちゃんはいつもより多めにお米を炊き、たくあんを切る。
 もうひとつ源氏物語からおにぎりの話を。
 「屯食」強めしをにぎりかためて卵形にしたものとして若菜(上)の巻にお祝いの席のお弁当として出てくる。(こいぬ)

大切にしたい、リサイクル精神
 フリマやリサイクルショップが大好きです。見ているだけでも楽しめますが、意外とお値打ち品が安価で入手できる点が魅力です。
 もちろん新品も良いですが、まだ使える中古美品は多数ありオススメです。
 綺麗な日本製のデザインの美しい陶器や好みの衣類に出会えた瞬間、「ラッキー!」と脳のセロトニンの喜びの快感が走ります。
 今の持ち主には不要になったけれど、次の人が「欲しい!」と思う心を尊重する。そんなエコのリサイクル精神は継承されるでしょう。わたしはずっと大切にしていきたいです。(エコの精神をこれからも)

地域猫活動を目の当たりにして
 地域猫活動というものがある。地域の人たちが主体となって、野良猫の不妊去勢の手術をして、トイレの設置、周辺の掃除、適切なエサやり(置きエサをしない)などをして、野良猫の数を減らすことで、野良猫によるトラブルを解決しようという取り組みである。
 地域猫とは特定の飼い主がいないものの、地域住民の認知と合意の上で共同管理されている猫を指す。手術済の猫は片耳の先端をV字にカットされていて、野良猫と区別されている。
 うちの近所でも片耳をV字にカットされた猫が数匹いる。地域住民の認知と合意はなく、勝手に活動しているようだ。何軒かの家でおのおのエサをあげている。トイレは設置していないから、人気のない庭などで糞尿をしている姿を見る。エサを置きっぱなしにしている家があるから、耳をカットしていない野良猫もエサを食べていることがある。
 地域猫活動と言っても、地域にいる猫をみんなまとめて面倒をみているわけではないようだ。こんな場面を見た。地域猫が野良猫にいじめられていた。そこにエサやりをしている人が現れて、棒を振り回して野良猫を追っかけまわしていた。
 また、こんな場面も見た。地域猫が野鳥のヒナを狙っていた。そこにエサやりをしている人が現れて「弱い者いじめはやめなさい」と言わんばかりに、かわいがっている猫に石を投げつけていた。猫に倫理は分かるまい。そもそも猫が鳥を捕まえようとするのは、ごく自然なことではないのか。
 そんな人たちを見ると、地域猫という言葉を利用して、お気に入りの猫にエサをあげて、可愛がりたいだけではないのかと疑ってしまう。エサやりをするなら、トイレを設置して糞尿の掃除などもきちんとしていただきたい。
 また、猫が懐いているのなら、家の中で飼うということも考えてみてほしい。車や自転車に接触しそうな地域猫を何度か見たことがあるので。(焼き栗)

俳句に接して見聞も広がる
 新聞の俳句のコーナーで、こんな文字を見つけました。
 「蘖」。
 俳句には、特異な語彙・熟語・季語が満載で、驚いたり、学んだり、反省したり、喜んだり、時に悔しがったりしています。
 そして右記の文字は「ひこばえ」と読むことを知りました。
 毎年街路樹であるイチョウの木を眺めながら、「この芽を何と表現するのだろう」と思っていましたから、一つ解決しました。考えてみると俳句だからではなく、一般的な言葉として、知っておきたい熟語もありますね。
 「ひこばえ」とは「樹木の切り株や根元から生えてくる若芽のこと」でした。語源は、「太い幹に対して、若芽を『孫(ひこ)』 に見立てて、『ひこばえ(孫生え)』」と言います。
 同時にもう一つ解決しました。樹木ではありませんが、刈り取った稲の株から生える、稲の蘖に相当する芽です。「穭(ひつじ)」と呼ぶそうです。「社叢(しゃそう)」も見つけました。「神社の境内を囲うように密生している林。今までの樹々」との長いフレーズも、短く表現ができます。
俳句に接しながら、同時に見聞が広がりそうでワクワクしています。
(フレーズ一番)

照井さんの作品

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