本よみ松よみ堂
浅田次郎著『母の待つ里』
都会育ちの還暦世代の男女が求める理想の「ふるさと」
変わった設定の小説だ。カード会社が提供する「ふるさと」の疑似体験。
来園者の夢を決して壊さないディズニーランド。来園者はそれが虚構の世界だと知っているが、あえて騙されに行き、夢の世界に浸り、幸福を感じる。そしてリピーターになる。
この作品の中で「ふるさと」を訪れるのは、60歳前後の3人の男女。いずれも独身。
松永徹は日本人なら知らない者はいないという最大手の加工食品会社の社長。
室田精一は製薬会社の元営業部長。二人の娘は既に嫁いでいる。退職金が振り込まれると突然妻に離婚を切り出された。
古賀夏生は女性医師。忙しさにかまけて、女手一つで育ててくれた母の介護を十分にできず死に別れてしまったことを後ろめたく思っている。
美しい自然に囲まれた東北の「ふるさと」相川村で待つ「母」は86歳で腰の曲がった「ちよ」という女性。バス停の近くにある酒屋の女性、寺の住職、近所の家の夫婦は彼らを幼馴染、久しぶりに帰省した村人として迎えてくれる、いわば虚構の「ふるさと」の中のキャストだ。「母」は手料理でもてなし、寝物語を語る。
「母」は演じているというより、本当に彼らのことを自分の子供だと思っているように見える。カード会社とはどんな契約になっているのか。過疎の村はこんなことまでしないと生き残っていけないのだろうか。
このプレミアムカードの年会費は35万円。このサービスを受けるためには一泊50万円かかる。裕福な会員を対象にしたサービスだとしても、簡単に出せる金額ではない。それでも彼らはリピーターになっていく。
東京で生まれ育った著者には、ふるさとへの強烈な憧れがあるという。しかし本当に東京の人には、ふるさとはないのだろうか。私は「男はつらいよ」の寅さんのことを考えてしまう。寅さんにとって、葛飾柴又は紛れもないふるさとだった。
著者はこの作品についてのインタビューで、東京の中で十何回も転居したと話している。だからふるさとを感じられないのだという。
私にはふるさとがある。だからこの小説には心から共感できないのかもしれない。若い頃、一度だけ岩手県を旅行したことがある。その時感じたのは、東北には日本昔話に出てきそうな典型的な日本の田舎の風景があるということだ。それは私のふるさとである九州の風景とはだいぶ違っていた。
私のふるさとにはこの小説に出てくる「母」と同じぐらいの歳の母がいる。そして私はいつも残された時間のことを考えている。この小説の「子供」たちがやはり疑似だと思うのは、彼らがそのことを考えていないということだ。【奥森 広治】