アムールトラが生きられる環境
人間のためにも大切
『トラ学のすすめ』著者 関啓子さんに聞く
今年は寅年。しかし、自然界に生きるトラたちは環境破壊などのために絶滅にひんしている。トラを伝説の動物にしないために、何か出来ることはないだろうか。大のトラ好きで『トラ学のすすめ|アムールトラが教える地球環境の危機』(三冬社)などの著書がある関啓子さんに話を聞いた。【戸田 照朗】
寅年と聞いて最初に思い浮かんだのは関さんの森の関姉妹の妹、関啓子さんのことだった。
関啓子さんは、一橋大学名誉教授。社会学博士。教育思想史、比較教育学、環境教育学が専門。特にロシア(旧ソビエト連邦)の教育学を研究するために度々ロシアを訪れ、時間を見つけてはロシアの動物園に通い、アムールトラを眺めた。子どもの頃からトラは好きだったが、ますますアムールトラに惹かれ、2冊の本を出版するに至った。「なぜトラが好きなのか」。好きなものの説明は難しいと言うが、極東の自然の生態系の頂点に立つアムールトラの優美な佇まいに惹かれたようだ。寒い地域に住むアムールトラはトラの中でも一番体が大きく、パステルカラーの黄金色と黒の縞模様が美しい。オスの場合、体長(頭と胴)は約2メートル。体重約250キロ、鼻先から尻尾までの全長は約3メートルある。
トラはネコ科の動物でかつては8亜種がいたが、3亜種が絶滅。現在残っているのはベンガルトラ、インドシナトラ、スマトラトラ、華南トラ、そしてアムールトラである。
干支(えと)の話に戻ると、十二支のうち伝説の動物は龍だけだ。しかし、トラも絶滅にひんしており、遠くない将来、伝説の動物になってしまう可能性がある。
自然界の生息数はベンガルトラが3100から4700頭、インドシナトラが1200から1800頭、スマトラトラが400から500頭、アムールトラは450から500頭だ。華南トラは絶滅寸前と言われている。この数字は少し古いが、2010年11月にロシアのプーチン大統領(当時は首相)の肝いりで開催されたトラ・サミットで、2022年の寅年までにトラの数を倍増させるという目標が掲げられた。専門家の間では懐疑的だったが、現在アムールトラは600頭まで増え、倍増には程遠いものの数を増やしている。強権で知られるプーチン氏だがトラの保護には熱心で、ポケットマネーを使ってまで支援をしている。
20世紀初頭には10万頭が生息していたというトラ。どうしてここまで減ってしまったのだろう。まず第一に森林の破壊がある。生態系の頂点に立つトラにとって豊かな森林は必要不可欠だ。森林が痩せてしまうと餌となるシカやイノシシなどの数が減ってしまう。トラだけが増えれば良いのではない。トラの生存を支えるだけの豊かな自然が必要なのだ。
アムールトラの場合、極東のタイガ(シベリアとロシア平原北部の亜寒帯林)と呼ばれる森林が生息地だ。日本からも近く、北海道の対岸に位置する。ソ連邦解体後の急激な変化の中で、このタイガの森林が乱伐された。1988年に約90万ヘクタール、約2億立方メートルあったロシア沿岸地方のチョウセンゴヨウの林は、1993年には12万ヘクタール、約3000万立方メートルに減少。わずか5年間で85%のチョウセンゴヨウの成熟林が消滅したことになるという。
木材の主な輸出先は韓国、中国、そして日本だ。アムールトラの減少に日本も無関係ではない。
タイガではよく山火事が起こるが、その原因は人為的なものが少なくないという。開発業者や密猟者の火の不始末が原因になることがあるという。
美しい毛皮や骨などの全身の部位が漢方薬の材料に使われ、高値で取引されるため、密猟も後を絶たない。
資源開発はロシアの重要産業だが、パイプラインの建設は大きく自然を破壊する。WWFロシア(世界自然保護基金ロシア)、自然保護団体、地元住民組織が働きかけ、パイプラインの線形を変えさせた事例もある。
タイガは世界の森林面積の22%を占める。この森林が減少していくということは、地球温暖化にも影響し、ひいては人間の未来にも暗い影を落とすことになる。生態系の頂点に立つアムールトラが生きられる豊かな森林を残すことは、人間にとっても大切なことなのだ。
自然保護、種の保存に役割り増す動物園
1頭のトラのテリトリーの広さについては諸説あるが、成獣のオスなら800から1000平方キロ(兵庫県の10分の1)、メスなら300から450平方キロ(埼玉県の10分の1)だという。
関啓子さんは野生のアムールトラを見たことがない。『アムールトラに魅せられて』(東洋書店)という本で対談した動物写真家の福田俊司さんも2度しか見たことがないという。それも奇跡的なことで、自然保護区で働いたロシア人でも20年間で5~6回だという。
それでは、研究者たちはどうやってトラの頭数を把握しているのかというと、足跡を観察して生存を確認している。
世界の動物園には約500頭のアムールトラが飼育されており、動物園での繁殖は種の保存のために重要になっている。ロシアではソ連時代の1950年代から個体の血統の記録があり、世界の動物園にいるアムールトラは国際血統登録番号で管理されている。
上野動物園よりも18年早く1864年創設のモスクワ動物園は、自然保護と教育・啓蒙が最重要目的だという。教育部があり、動物学者と教師からなる専門スタッフ15人に調教師など8人が加わる。教育プログラムの開発、教材の開発、授業、引率、出前授業など多様な活動を展開している。
関啓子さんはアムールトラのタイガとココアに会いに2009年6月に釧路市動物園を訪れた。動物園は釧路湿原に隣接し、タンチョウヅルと猛禽類(もうきんるい)の保護増殖で知られている。
2008年5月、タイガ(オス)とココア(メス)のきょうだいは、父リングと母チョコの間に生まれた。実は生まれたのは3頭で、いずれも仮死状態だった。母のチョコを引き離して蘇生を試みたが、一番小さい1頭は助からなかった。命を取り留めた2頭にも後ろ脚に重い障害が残った。自然界では助からない命のためか、母のチョコは育児放棄。獣医と飼育員が懸命に育ててきた。しかし、タイガは2009年8月25日に肉片を喉につまらせて急逝した。ココアは現在も元気だというが、通常のメスよりも小柄。しかし、脚への負担を考えると、そのほうがいいかも知れないという。
2頭が懸命に生きる姿は、動物園を訪れる多くの人たちに命の大切さを教えてきたという。
また、関啓子さんはロシアで瀕死の重傷から回復したジョーリックも訪ねている。2009年、生後4か月の時に食事の鶏の羽の一部が上あごに刺さり、傷口が化膿したために重症化してしまった。このことを知った環境教育に熱心なハバロフスクの中学校第3ギムナジアの生徒たちがキャンペーン活動を行い、寄付金を集め、治療が始まった。担当したダラキャン獣医師は基金を設けてさらに寄付金を集め、所有者の移動動物園(所有する動物をトラックなどで輸送し、広場や校庭などに柵をつくって展示する)からジョーリックを買い取り、野生動物リハビリ・センターで治療を続けさせた。2012年4月まで19回もの手術を受けたという。ジョーリックはロシアがいかにアムールトラを大切にしているかを示す象徴のような存在になったという。
松戸市に近い動物園では、多摩動物公園(日野市)でアムールトラが飼育されている。上野動物園と、よこはま動物園ズーラシア(横浜市)にはスマトラトラが、東武動物公園(埼玉県宮代町)にはホワイトタイガー(ベンガルトラの白変種)が飼育されている。
絶滅危惧種のトラや自然環境を守るために、私たちができることはないだろうか。例えば動物の毛皮を使わないブランドの服を選ぶこと。国際的な森林管理協議会FSC認証のロゴマークがついた家具や紙製品を選ぶこと。寄付などを通してWWF(公益財団法人世界自然保護基金)の活動を支援することなどが考えられる。
※参考文献=関啓子『アムールトラに魅せられて』(東洋書店)、『トラ学のすすめ|アムールトラが教える地球環境の危機』(三冬社)。『トラ学のすすめ』は、2018年、朝日新聞の書評欄担当者が選ぶその年の3冊の1冊として齊藤美奈子氏によって選出さた。