わたしのページ(読者投稿)
2022年1月9日

来年のお正月こそは我家で
 去年に続き、今年の元旦も子どもたちの家族との新年の集まりを止めにしました。
 暮には次男の初の子の1升餅行事を我が家で祝い、その時はコロナも大分落ち着いていたので部屋を片付け、3人の子どもたちの家族毎にテーブルを分け、家族以外の人と話す時はマスクを原則にとしました。
 お正月には2年前と同じようにテーブルを並べ、13人対面で祝えると待ち望みましたが、オミクロン株が徐々に増え今年もリスクを避けることに。何しろワクチンを受けていない小学生2人と1歳の子もいるのですから。
 そんな訳で元旦の朝、夫と手分けしてお節を届けることに。30日の夜からフル回転、大晦日はテレビも付けず朝から料理に掛かりきりで、黒豆、きんとん、きんぴら、焼豚、昆布巻、卵焼き、はんぺんを使った伊達巻、ブリの照り焼きと座る暇もなく作り、それに火を使わないで2、3日前から用意できた松前漬となます、塩抜きし味付けした数の子、買った蒲鉾(かまぼこ)とハム等を用意。
 重箱も揃ってはいませんがテーブルに出し就寝。元旦は4時過ぎに起きて我家も含め4軒分の詰めに入りました。
 何しろ重箱の大きさがまちまちなのでやたらと時間がかかり、詰め方での夫との小競り合いも手伝い、7時過ぎにやっと終わりました。8時には家を出たいので朝食を掻き込み、取りに来るという長男分は残し、夫は長女宅へ、わたしは次男へ配達に。9時には待ち合わせ場所に着きました。お節を渡して10時頃家に戻れましたが、それから10分もしない内に、次男から写真とメールが届き「あっという間に完食。ご馳走様でした」とのこと。
 疲れたやら嬉しいやら。来年のお正月こそは我家で集まりたいと思います。
 (根本・みみちゃん 72)

一期一会の気持ちで接する
 今年のわたしの抱負は「一期一会(いちごいちえ)の気持ちで接する」です。
 一期一会は、一生に一度だけの機会や出会いのこと。「今日出会った人とは二度と出会うことはないかもしれないから、この出会いに感謝しよう」という意味で使われることが多いですが、本当はもう少し深い意味があります。
 正しくは、初めて会う人のみならず、毎日顔を合わせる家族や友人であっても「あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、今できる最高のおもてなしをしましょう」という含意で用いられ、さらに「これから何度でも会うことはあるだろうが、もしかしたら二度とは会えないかもしれないという覚悟で人には接しなさい」という戒めの言葉なのです。
 いつも会う人、毎年開催されるイベント、あたりまえのように巡って来る四季でさえも、全く同じというものはない。
 また、必ず次があるとは限らない。今日は会えても、明日もまた会えるとは限らないとコロナが教えてくれました。
 一期一会を胸に、楽しい一年を過ごしたいと思います。(稔台・くろねこ)

認知症かと不安になる物忘れ…
 前日見た映画が思い出せない。タイトルも主役も筋も。何一つ覚えていない。これでは3歩歩けば忘れるという鶏並だ。
 かつて煙草を買いに行って、日ごろ吸っている煙草の名を忘れ焦ったことがあった。しかし、その時は煙草のパッケージの色からたどり着いた。友人や家族との会話中に、話題の人物の名前が思い出せずにうなることは数え切れないが、顔つきや年恰好、雰囲気など何かしらは頭に残っているものだ。
 今回は思い出す手がかりがまったくない。どういうジャンルの映画だったのか。恋愛、サスペンス、SF、コメディ、時代劇……。いくつかあげてみるも記憶は戻らない。認知症かと不安になる。
 これは昨年末も押し詰まったころ、無料で配信される映画をパソコンで見た時の話。あまりの忘れっぷりにあえて追跡調査せず放っておいた。
 2日後、不思議なことに突然主役とあらすじが頭に降りてきた。タイトルはどうしても思い出せず、調べてみると「箱入り息子の恋」。むしろ覚えやすい方じゃないかと思えるのだが…。
 2022年元日。熱いお茶を飲もうと湯を沸かしていたが、年賀状が届くと見入ってしまった。連れ合いの大きな声が飛んできた。「やかんがしゅんしゅん鳴いてるよ」。(松飛台・髭爺 72)

新聞の読み方変えて理解進んだ
 今年の目標は新聞の読み方を変えることだ。
 いつも1面を読んだ後に、コボちゃんのある後ろの頁から順に読んでいる。くらし面でほっこりした後、国際・政治面は難しく疲れて読む気力がなくなっていた。
 しかし、順番を変えて1頁から2頁へ順に読んでみると、余力のあるうちに苦手分野が読め、思ったよりも内容が理解できた。海外の出来事を知ることで、人同士が争うのは何故かを考え、わたしは何をしないといけないかを考えることができた。
 少しだけやり方を変えただけで思考が広がったことが嬉しい。このまま続けていきたい。(日暮・はらほり 35)

叔母に憐憫の情愛を感じた元旦
 元旦にコロナ禍で疎遠になっていた叔母が千葉市から来訪しました。
 特別なことは何もなく普段遣いのおもてなしでしたが、わたしの手料理の和食を「おばあちゃんの味に似てる。美味しい」と絶賛してくれ、わたしも精神的に充実した時間を共有することができました。
 血縁関係は共に自然にわかり合えて平常心で接することができる強さが存在します。
 懐かしい昔話で盛り上がり、「帰るのがさびしい」とつぶやく叔母にれんびんの情愛を感じました。
 叔母さん、春には陽に干した暖かい羽根布団でお迎えしますので、気軽にお越しくださいね。(岩瀬・かけがえの無い叔母 47)

新玉の寅年、夫と初詣に!
 新玉の寅年、ばあちゃんは手のつめ足のつめに真っ赤なマニキュアを装い、夫と初詣に参りました。
 熊野神社の注連飾り清々しく、日本国旗が北風にゆれ、狛犬には真新しいマスクがかけられている。
 夫と神社入口にて一礼し、参拝者の最後尾に着く。神社本殿前、我が家仕来たり通り進左退右にて石段を左足から昇り、二人でお賽銭を入れる。例年なら鈴があり鳴らすが今年も無い。拝礼をし二拍手。健康で過ごせた御礼を唱え一礼する。
 久しぶりに、夫のハツラツとした顔を見た。
 「なんとなく今年は良いことあるごとし元日の朝晴れて風なし」。
 石川啄木の歌を口ずさみ帰宅する。(常盤平・こいぬ 78)

杉本洋子さんの作品

寅君♥(高塚新田)

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