わたしのページ(読者投稿)
2021年11月28日
「そんなに急かさないで」
スーパーのレジ。昨今、いろいろな支払い方法があるが、わたしはもっぱら現金払い。
やはり、店員さんが支払い対応してくれるレジはいい。丁寧に金額を教えてくれて、こちらがお金を出すのを待っていてくれる。歳をとると、何かと動作が遅くなるので、ありがたい。
一方、自動精算機は、現金払いを選んでからすぐにお金を入れないと、機械の心の無い声で「お金を入れてください」と言ってくる。こっちも早くしようと頑張っているのに、そう言われると余計に焦ってしまう。
そして、数秒後にまた「お金を入れてください」と言ってくる。何か責められている気持ちになる。
わたしは(自動精算機に)言いたい。
「そんなに急かさないでください」と。(稔台・蝸牛)
気持ちこもった温もりの年賀状
来年の年賀状も売り出され、年末の時期になったと実感するこの季節です。
古い年賀状を見ていて、中には連絡がとれなくなった人たちもおり、その方たちの顔が一人一人想い出されます。
年に一度限りの年賀状のやりとりです。今年は今までと少し違った、一枚の賀状に気持ちと感謝を記そうと、今習っている絵手紙と毛筆にて書こうと考えています。年賀状で全国各地に気持ちのこもった暖かい温もりの郵便はがきを、これからも送り続けていきたいと思います。(胡録台・1枚の便り)
年賀状じまい、終活年賀状とは
いよいよ年賀状が発売され、わたしも80枚ほど購入しました。毎年気になるのが「年賀状じまい」で、今年もリストを思索中です。近年は「終活」の流行から、「終活年賀状」とも呼ぶそうですね。
すでに還暦や古希の際に「終活年賀状」を出状してきましたが、次の80歳の傘寿を控え「もう一区切りつけたい」と10枚ほどを考えています。
そして文面にはとても苦慮しますが、差し出す方も受け取る方も気持ちよく、年賀状じまいしなければなりませんね。
終活年賀状の末尾には必ず「長きに渡る賀状の感謝」と「今後のご健康とご多幸の祈願」の一文を添えています。
ところで還暦の時でしたが…。
終活年賀状を受け取った会社の一後輩から、「わたしの方からだけでもいいので、年賀状を差し上げたいのです。返事はいりませんゆえ」と返ってきました。わたしも分かちがたく、その後の関係は穏やかに戻り現在に至ります。
(頼り一番・78)
好みの本はわたしの心の栄養に
今年も読書週間がやって来た。その度に20歳の頃を思い出す。
下村湖人の「次郎物語」だ。セピア色になって、今も本箱にある。頁をめくると、あちこちに棒線がひいてある。その中から少し拾ってみよう。
母親の体が弱く、生まれて間もない次郎は乳母のところに預けられます。就学時に母の元に戻ります。その母が亡くなる前に、「ただ愛してあげればいいのね。」と次郎への思いを語っています。
今のわたしでしたら、小学校にも入れてもらえなかった無学の母の無償の愛情が痛いほど分かります。
「己に勝つというのは、自分だけの利益とか、幸福というものを捨てて、一途に国のため、世のため、人のために尽くそうとする心になることなんだ。つまり見事に死んで見事に生きよ」武士道にも心酔した。
「静かに理知的にものを考えて、極端に言うと、冷たい機械のように道理に従って行く、そういう人間が一人でも多くなることが、この狂いかけた時代を救う道だよ」
「人間は、苦しいときよりも、かえって得意なときに堕落するものだからね」
わたしはこの本を読んで、感動、希望、自分の生きる道を模索したものでした。
81になるわたしの手の届くところには、養老孟司の「養生訓」、斉藤茂太の「老いへのケジメ」、佐藤愛子の「気がつけば終着駅」「九十歳何がめでたい」などなどの本がある。青春時代に貪るように読んだ本とは違うけれど、年を重ねてこの歳になって好む本も今のわたしの心の栄養になっている。
(常盤平・もみじのころ)
ゴミを片付け心もキレイに
わたしの住んでいる地区は駅の反対側へ行くために地下道を抜けていかなくてはなりません。
わたしは自転車を利用しているのですが、自転車をひいて階段側から降りていくと視線の先にゴミがまとまって捨ててありました。近所の人が片付けてくれるのかと思いましたが、帰りに通った時もそのままでした。
次の日、早朝に思い切って自宅からゴミ袋と軍手を持っていき、そのゴミを片付けました。捨ててあったゴミは、マンガ本、弁当の空箱、プラスチックのコップ、缶、ペットボトルなど。
幸いにも階段を上った先にゴミの収集場があったので、缶以外はそこに出し、缶はわたしの所の集積所が回収日でしたので持ち帰りました。
他の人もわたしと同様にゴミの山に不愉快だったと思います。きれいになりそこを通った人が片付いたことに良かったと思ってくれたら幸いです。
(五香のみのり・68)
戻りつつある日常生活に感謝を
ずいぶん新型コロナウイルスの感染者数も減少して落ち着いている状況ですね。
先日、主人と初めて福井県へ旅行に行きました。コロナワクチンも2回接種が済んでおりましたが一応、陰性を確認してから旅行へ出かけました。
10月18日に東尋坊を訪れたのですが、晴天にも恵まれ、その絶景は圧巻でした。少し波は荒かったのですが何十年ぶりに遊覧船にも乗りました。
少しずつですが日常が戻りつつあるのは、すごくありがたいことですね。
あのシンガーソングライターの半﨑美子さんもおっしゃってました。コロナ禍で先が見えない中でこうしてライブやコンサートが少しずつできるようになって、日常生活が戻りつつあるのはとてもありがたいですと。
いつも楽しいことばかりではありませんが、出かける楽しみ、非日常があることはとってもありがたいことですし、無事に過ごせることに感謝したいと思います。(二ツ木・渡辺明子)
認知症にアンチョコがない
3年前の朝5時、「副社長に挨拶するのでYシャツ背広出してくれ」と起こされた。
退社して10年以上となる。ひどくたちの悪い冗談でしょ、と笑いたかったが、夫の海馬は得体の知れぬ感情が駆け巡ってるようで、不安な顔で立っている姿に、笑ってはいられないと、クリーニングに出したYシャツ、背広を10年ぶりに着せた。
食事もせず出かけようと、今何時と聞く。朝の6時ですよ、と答える間もなく玄関を出ている。慌てて追いつき改札口に不安な顔で立ち、わたしの顔を見て何を思ったのか「きょうはやめにする」と言った。夫の左手をギュッと握り帰宅する。
思えば、認知症と思えることは多々あったが、物忘れは後期高齢を過ぎれば誰でも少しはあるわよねなどと呑気に過ごし、大相撲の優勝力士の名前が出てこない。メガネをお風呂場に置き忘れる。メールボックスの番号を忘れて新聞を持ってこない。など笑って過ごしていたが、3年前頃から、夫の記憶中枢は蒼古の風が吹いてるようで、小学生の時飼っていた犬の名を呼び探したり、亡くなっている両親に会いに行くと言ったり、ゴルフの迎えはまだかと外玄関に立つようになる。
わたしの不安な心の揺れを息子に相談すると、今すぐ専門の方に相談するようにとの事で、「高齢者いきいき安心センター」へ出向き、事のいきさつを説明して、どのような事が良いかご指導を頂いた。早速、市との手続きも終わり、担当のケアマネさんも決まり、デイサービス週3回利用する事になる。デイサービスの朝のお迎えの車に乗りバイバイと路地を曲がるまで手を振っている姿に、幼稚園児を送った気分になる。
そして、デイサービスから持ち帰った「10ヶ所のまちがい探し」の2枚のプリントにわたしも挑戦。1枚目は簡単だわ、と思ったが2枚目は2か所わからず、虫メガネを使いプリントとにらめっこ。何度も見たところだがスポンと抜けていた。見つけた時の達成感。カルピスをぐいっと飲み爽快。自分に拍手する。
自分は認知症と思っていない81歳と、けしつぶほどの希望を抱き腹をくくっている78歳のかみあわぬ会話の日々。
先日、フジテレビのザ・ノンフィクション、50歳で認知症になった父と17歳の息子の思い出を見て、何が正解かアンチョコがないのでわからないが、わたしはつたない文にて胸の内を綴り、自分自身の認知症予防とし、日付が変わる頃書き終えました。(匿名希望)