わたしのページ(読者投稿)
2021年10月24日
自動音声の電話に要注意!
自動音声の電話のアンケートが頻繁にかかってくる。
前は選挙が近づくと、たまにかかってくることがあったが、新型コロナの緊急事態措置が解除された9月30日頃から、いろいろな自動音声のアンケートが、我が家の固定電話にかかってくるようになった。
自動音声は機械の声だから安心だろうと、電話機のプッシュボタンを押して、安易にアンケートに答えてはいけない。ただのアンケートということもあるが、詐欺や詐欺まがいのこともあるのだ。
詐欺の手法としては、まず大手の企業などを名乗り、そこから「男性なら1、女性なら2をプッシュしてください」などという形で、個人情報を聞きだす。さらに、サイト利用料やアプリの料金が未納であるなどと言い、お金を払わせる。
お金の話が出なくても、「〇〇に関する調査です」と言って、「何人住まいですか」「週に何回外出しますか」「年齢はおいくつですか」などと個人情報を収集する目的で行われている場合もある。アンケートに回答することで、詐欺や悪質商法に悪用されることもある。
自動音声による世論調査は存在している。これはコンピューターで無作為に数字を組み合わせて番号を作り、電話をかけてアンケートを取る方法で、選挙期間が近づくと世論調査は当然多くなってくる。そうすると、詐欺グループもこれに便乗して、わたしたちの情報を集めようとしてくる。電話の初めに「世論調査です」と言えばほとんどの人が怪しまない。
ただの世論調査のアンケートか、詐欺まがいの怪しいアンケートかの見分け方がある。 世論調査は不特定多数の方に対して行うもので、個人を特定するような情報は必要ない。ほしい個人情報は、性別と年齢くらいだ。なので、「粗品を送るので、お名前と住所を教えて欲しい」と言われても絶対に答えてはいけない。
そもそもアンケートに答える義務はない。なので、回答しないことに罪悪感を覚える必要はない。少しでも怪しいと感じたら、迷わず電話を切り、心配なら家族や友人に相談するか、警察や消費生活センター等に相談するといい。(稔台・秋明菊)
70歳になりやり残したことは?
70歳になった時に、「やり残したことは?」と自問自答してみました。その時に、いの一番に思いついたのが「この歳まで金ヅチだった」ことでした。
このままではいけないと思ったわたしは一念発起。その後2年かけて、クロールと背泳ぎ25メートルをクリアーしました。
そして76歳になった時、無謀にもわたしに俳句を勧めて下さる方が現れました。それが縁でEテレの日曜俳句を観るようになりました。
しかし詠む側に変わるには、思った以上の敷居の高さを感じました。
ある日国語辞典で「六十の手習い」の意味を調べていた時でした。類義語の一つの「八十の手習い」が目に飛び込んできました。
類義語とは、「意味の似かよっている二つ以上の語で、例えば『家』と『住宅』」と、ありました。
そして、その由来は『学問や習い事を始めるのに年齢制限などなく、たとえ晩年でも遅すぎることはない。その横に晩学という意味で「六十」は、「七十」「八十」でもよい。』ともありました。
その時フッと「俳句を観る側(テレビ)から詠む側に変わってみよう!」と思えてきたのです。80までにはまだ2年もあると、自分を奮い立たせた瞬間でもありました。(晩学一番 78)
定年後はぜひ町会のお手伝いを
自営業だったわたしの定年は75歳だった。身体もきつくなりだし同業者の方からの「そろそろバトンタッチしては」と声もかかり、いい潮時と身をひいた。バトンタッチしてから、もう6年になる。
身を引いたばかりの時は「半分安堵と、半分は何か始めなければ」という焦りのようなものがあった。しかし、自営業だったわたしは自分で時間を自由に使えたので、少々きつい夜なべをしたりして、趣味に、ボランティアに自由になる時間を満喫した。しかしサラリーマンの人たちは、65歳ぐらいで定年を元気なうちに迎え、趣味に、ご夫婦で旅行を始めたり、再就職をなさる方もおられるだろう。
お仕事の休みの日など、少し町会のお手伝いをしていただけたらと願うばかりです。
今まで会社と家の往復で見えなかった自分の住む町が見えてくるのではないでしょうか。老後も住み続ける町が、少しでも住みやすくなってゆくのではないでしょうか。
町会の役員の方も高齢化しています。是非少しの時間を町会の運営にご協力していただけたらと、切に願います。(常盤平在住)
この頃のことば狩りに思うこと
野球解説の大御所が、オリンピック女子ボクシングで日本史上初の金メダリストとなった女性について「嫁入り前のお嬢ちゃんが顔を殴り合って、こんな競技を好きな人がいるんだ」と発言し、批判を浴びた。
これは高齢男性の主観であって、特段神経質になることでもないと思う。
仮に、わたしが好きな宝塚歌劇について「女性が男性の格好をして愛だの恋だのを表現するのは理解できない」という人がいたとしても、それを批判することや理解してと諭すつもりも全くない。
あるメンタリストが「ホームレスの命はどうでもいい。生活保護者に食わせる金があるんだったら猫を救ってほしい」と発言し、大炎上した。
有名人の中にも元ホームレスだった方々は多くいる。家庭環境や社会情勢からたまたまそうなってしまったのであり、誰にでも起こりうる可能性はある。このメンタリストに想像力がなかっただけのことだと思う。
失言で大炎上している人たちも、やがて淘汰されていったり、長年かけて表舞台に復帰したり、それもこれもその時の社会情勢や時の運なのだから。(二ツ木・石井裕子)
70過ぎて知ったウニの美味しさ
70代に入ってから、ある昼食会でカニ料理を食べた。出された料理に変わった茶色のものがついてきた。
「何これ?」と友だちに聞くと「それウニよ。食べたことないの?」との答え。これまでの貧しい食生活がバレて、とんでもない恥をかいてしまった。
その数年後、ちょっと高価なお寿司を食べた時、ウニの美味しさにビックリ!
これでウニの複雑なおいしさに目覚めてしまい、その後、ウニめし、ウニ入り駅弁、生ウニと買いましたが何せ高嶺の花。恋に落ちた身では財布をはたいても、と言いたいところですがウニの握り寿司一貫5百円もするし…。
あまりの高価さに、この恋は、否ウニはあきらめました。そのうち恋に目覚められる日を夢見つつ…。
しかしウニの食べ過ぎはコレステロールが高すぎて良くないとか。食べ過ぎるほど食べられるひとがうらやましいですが。老いの恋は手がつけられない。(浮世ばなれ)
缶に詰まった母からの愛情
寒暖の変化が激しい季節、たまたまタンスの整理をしていたところ、ひとつの缶が見つかりました。
中身はわたしの小さいころからの白黒写真。それと、大事に通信簿も保管されていました。
缶のフタにわたしの名前が書いてありました。缶の写真はこの世にわたしが生まれてまもなくの写真、それから昔小学校の校門前にて父がカメラのシャッターを押して撮ってくれた時の写真等。当時の入学式のことはかすかに頭に残っています。
数多くの白黒写真はわたしにとって、母はもうこの世にいませんが母からのプレゼントだと思いました。当時の母との想い出がよみがえってきます。
今考えると、ひとりっ子のわたしを心の底から愛し続けてくれていたことをこの缶を見てあらためて感じています。そしてわたしは毎日が母の日と思っています。
この缶はお金で買えない愛情がつまった人生の宝箱と思い、困った時や気持ちが落ち込んだ時そっと宝箱を開けて母の顔を想い浮かべて元気をもらっていければと思います。
(胡録台・私の宝箱)