日曜日に観たい この1本
すばらしき世界
「ゆれる」「ディア・ドクター」「永い言い訳」などで知られる西川美和監督の最新作。これまでの西川監督の作品は全て自身の原作によるものだったが、今回は初めて佐木隆三のドキュメンタリー小説をもとに映画を作ったという。西川監督の作品は日頃私たちが見て見ぬふりをして過ごしている心の奥底にしまい込んでいる部分を引き出してくるようなところがある。
映画は主人公の三上正夫(役所広司)が冬の旭川刑務所を13年ぶりに出所するところから始まる。二人の刑務官に見送られて一人バスに乗り込んだ三上は「今度こそ堅気(かたぎ)ぞ」とつぶやく。三上は人生のほとんどを刑務所の中で過ごしてきた。14歳で少年院に入れられてから、刑務所を出たり入ったり。「今度こそ」の言葉にはもう二度と同じ失敗をしたくないという思いが込められている。
三上は博多で芸者をしていた女性から生まれ、施設に預けられた。少年となった三上には放浪癖があり、やがて施設を抜け出して関西のヤクザの事務所に出入りするようになった。三上は多分これまでも出所するたびに「今度こそ」と思ってきたのだと思うが、ずっと極道の世界を歩いてきた彼にとって堅気になるのは簡単ではなく、居場所を見つけられずに元の仲間のところに戻っていったのだと思う。
三上は殺人を犯して刑に服していた。裁判の回想シーンが入るが、妻・久美子(安田成美)とスナックを経営し、普通の生活を送ろうとしていたがトラブルに巻き込まれ、人を殺めてしまったようだ。せっかく上手くいきかけていたのに運がない。
今度こそうまくいくだろうか。身元引受人になってくれた弁護士の庄司勉(橋爪功)と妻の敦子(梶芽衣子)、スーパーの店長・松本良介(六角精児)、ケースワーカーの井口久俊(北村有起哉)らが親身になって三上を支援してくれる。
三上はテレビ局に自分の経歴を細かく書いた「身分帳」を送っていた。テレビ番組を通して生き別れになった母を探したいと思ったのだ。興味を持ったテレビプロデューサーの吉澤遥(長澤まさみ)と作家志望のディレクター津乃田龍太郎(仲野太賀)が三上を主人公にドキュメンタリーを撮りたいと近づいてきた。この映画は津乃田の視点から描かれているところがある。生活のために仕事を引き受けた津乃田は、やがて仕事を越えて三上の更正を願うようになっていく。この映画は津乃田の物語でもある。
アパートで一人暮らしを始めた三上の生活はきっちりしている。部屋の整理整頓が行き届き、ベッドの上には綺麗に畳まれた毛布が乗っている。何か自分にできる仕事はないかと考えた彼は免許の再取得にチャレンジする。運転手になろうと思ったのだ。運転免許試験場で三上は軍隊の行進のように大きく手足を上げて試験官の後に続く。刑務所での生活習慣が染み付いているのだ。そんな三上がちょっとコミカルに描かれている。
あるカメラマンの友人のことを思い出した。彼は中学卒業後に自衛隊の少年兵になった。陸上自衛隊で戦車に乗っていたという。 自衛隊を辞めた後、宅配便の運転手になったが、事故を起こした。戦車隊では障害物があればアクセルを踏み込むように教えられたという。その癖がつい出てしまった、と笑っていた。
優しくて真っ直ぐな性格の三上は、時に暴走し「昔の顔」に戻る。吉澤と津乃田と3人で飲んだ帰り、路上でオヤジ狩りにあっている中年男性を助けた三上はチンピラ二人を叩きのめし、危うく殺しそうになる。
後半に、弁護士の庄司夫妻やスーパーの店長・松本が堅気の処世術、つまり「逃げること」を三上に諭すシーンがある。私を含めて観客の多くはそうやって生きてきたのだと思うが、それって本当に正しいのかな、と後ろめたい気持ちがよぎる。
あちらの世界とこちらの世界。この作品は相容れない二つの世界を描いている。あちらの世界の住人だった三上がこちらの世界に馴染むのはなかなか大変だ。
昔の兄弟分でヤクザの組長(白竜)の妻(キムラ緑子)は三上に「堅気の空は広いみたいですよ」と言う。その後映る東京の空は本当に広く感じる。
タイトルは、ルイ・アームストロングの「What a Wonderful World」を連想させる。ルイは黒人差別で苦しんだこの世を「なんてすばらしい世界だ」と歌ったのだ。
【戸田 照朗】
脚本・監督=西川美和/原案=「身分帳」佐木隆三著(講談社文庫刊)/出演=役所広司、仲野太賀、六角精児、北村有起哉、白竜、キムラ緑子、長澤まさみ、安田成美、梶芽衣子、橋爪功/2021年、日本
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「すばらしき世界」、DVD税込4180円、発売中、発売・販売元=バンダイナムコアーツ